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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■前もって話しました / 福井 誠

2021年07月20日 | Weblog

2021/2/2放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はマタイの福音書24章25節から「前もって話しました」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「いいですか。わたしはあなたがたに前もって話しました。」

 この24章と明日の25章は続き物で、これをマタイは終末つまり世の終わりをテーマとするイエスの5番目の説教としています。その内容は具体的に、紀元70年、ローマ帝国によってエルサレムが破壊される悲劇を預言したものです。しかし3節、「あなたが来られ、世が終わる時」とあるように、どうやら紀元70年の出来事に限らず、後の時代のこと、つまり今の私たちにも関わる終末の預言としても理解できるところですねえ。

 ここでイエスは終末にどのようなことが起こるのかを具体的に語っています。その時を知らせる前兆がある、と。例えば、私こそ救い主だと自称する偽キリストが現れる。戦争、内乱、政情不安が起こる。自然災害が起こる。社会的な不正がはびこり、人が冷たくなるなどです。そして35節、この天地は滅び去ります、と地球の終わりが予告されていますね。

 何か怖いなと思う方もおられるでしょう。しかし印象はともかく、よく理解し心に留めるべきことが語られています。

 というのも、現代は環境破壊が進んで、人々は他の惑星に移り住むことすら考える時代です。地球の滅びは聖書が言わずとも人々に意識され始めています。

 しかしたとえそうであっても心配には及びません。聖書は、どのようにその日に備えるべきかを前もって伝えているからです。神を信じる者にとって、その世の終わりは恐怖と災いの日ではなく、長い人生の旅路の終わりであり、安息です。やがて私たちは備えられている天の都に迎えられるのです。そしていつその時が来ても良いように、天の御国に入る希望を持って御国に入るに相応しい日々の歩みを心がけるように勧められています。

 大切なのは聖書に教えられながら良き備えをすることでしょう。

 では今日も良き一日となるように祈ります。

    ( PBA制作「世の光」 2021.2.2放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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■行いを真似てはいけない / 福井 誠

2021年07月19日 | Weblog

2021/2/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はマタイの福音書23章3節から、「行いを真似てはいけない」と題してメッセージをお伝えいたします。

 「彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい。しかし、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです。」

 スマホのアプリ  stand.fm (スタンドエフエム) で放送中の私の聖書通読ブログ音声版でマタイの福音書を聞いてこられた方は流れが分かっていると思います。

 イエスは律法学者やパリサイ人たちと度々衝突してきました。そしてこの23章で、イエスは彼らの腐敗や欠点を容赦なく批判していますね。

 しかしマタイは、律法学者やパリサイ人を批判しようとしているのではなくて、読者に正しい信仰のあり方をイエスの言葉を通して語ろうとしています。

 イエスは言います。
 「彼らの言うことはすべて実行し守りなさい。しかし彼らの行いを真似てはいけない、」と。

 彼らが口にするのは聖書のことばなので聞くに値する。しかし彼らは口にする聖書のことばをそれほど実行してわけではない。だから、彼らの行いを見て真似るようなことがあってはいけない。しばしば、信仰の世界にはこのような矛盾があるものです。人間は罪人ですから致し方がないと言えばそうですが、ことばと行いが一致した信仰を持っていきたいと思うところでしょう。私自身、聖書のことばを人に語りながら、やはりそのことばには自分がついていけていない状況を感じることがありますね。大切なのは、そのような自分をわきまえて、絶えず神の御ことばにとどまって神に従うことを志すことなのでしょう。もちろん信仰は個人の頑張りや努力によるものではなくて、神の恵みにより自然に育っていくものもあるものです。しかし、ぼーっと人生を歩んで信仰の高嶺を踏み進んでいくこともできません。彼らの言うことを全て実行しなさいというように、神のことばを心に留め、神に従う思いをもって日々信仰の歩みを進めていきたいものですね。

 では今日も良き一日となるように祈ります

    ( PBA制作「世の光」 2021.2.1放送でのお話しより )


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■真の権威はどこに / 岩井基雄

2021年07月16日 | Weblog

2021/1/29放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 金曜日の今日は昨日に引き続き、マルコの福音書から学びましょう。今日は、真の権威はどこに、と題して学びましょう。

 私たちは心のどこかで人への影響力を求め、権威や権力を求めてしまいますねえ。キリストの時代、律法学者やパリサイ人と呼ばれた人々は旧約聖書の律法を自分たちの権威として人々を指導し従わせていましたが、彼らは傲慢でした。

 神への礼拝の場所が商売に利用されていたことに憤りを覚えたキリストが、商売人や両替人たちを追い出した時、律法学者やパリサイ人たちはユダヤの長老たちと一緒にキリストのもとに来てこう尋ねたのです。
 「何の権威によって、これらのことをしているのですか。だれがあなたに、これらのことをする権威を授けたのですか。」
    新約聖書 マルコの福音書11章28節

 彼らの傲慢さやご自身を陥れようとする心を見抜いたキリストは逆に彼らに質問しました。
 「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」と。
 それは彼らが答えにくい質問でした。人々に、バプテスマすなわち神への悔い改めの洗礼を授けていたバプテスマのヨハネのことを「天から来た」と言えば、「なぜ彼を信じなかったのか」と問われ、もし「人から出た」といえばヨハネこそ神からの預言者と信じる人々が怒り、暴動が起きかねなかったからです。計算高い彼らはキリストに「分かりません」としか答えられませんでした。それは彼らが本当の真理を求めてはいなかったことを露呈するものでした。彼らは自分たちの権利を握りしめ、また人を恐れるあまりキリストの真の権威に心を留めず、罪の悔い改めもしなかったからです。

 私たちの心にも権力や影響力を求め、自己中心で傲慢な心がどこかにあります。キリストは私たちの心にも光を当てます。全てを創造された神の権威、神の御子キリストの愛の権威を正しく認め、正しく神を恐れてその愛と恵みに生かされたいと心から願います。私たちの人生の真の権威は神と神の御子キリストの愛と恵みにあるからです。その愛と恵みに生かされる歩みを共に歩ませていただきませんか? 

   (PBA制作「世の光」 2021.1.29放送でのお話より ) 


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

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■神への祈りと赦し / 岩井基雄

2021年07月15日 | Weblog

2021/1/28放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 木曜日と金曜日はマルコの福音書から学びましょう。今日は神への祈りと赦しについてです。

 神への礼拝と祈りが捧げられる場所である神殿を商売の道具にしていた人々に怒りと悲しみをあらわされた後、キリストは彼らを象徴するイチジクの木を裁かれました。それは遠くから見ると葉も多く勢いがあるように見えても、全く実を結んでいないイチジクでした。キリストがその木に裁きを語った数日後にその木は完全に枯れてしまったのです。キリストのことばの通りになったことに驚く弟子たちに対し、キリストは祈り求めることについて次のように語りました。

 「ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。また、祈るために立ち上がるとき、だれかに対し恨んでいることがあるなら、赦しなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださいます。」
        新約聖書 マルコの福音書11章24節、25節

 私たちにとって自分の祈りが神に聞き届けられることは本当に嬉しいことです。しかしキリストは私たちの祈りの背後に人に対する恨みや憎しみが隠れていないかどうか吟味するように促され、弟子たちを悔い改めに導かれました。すべてをご存知の神様は私たちの心にも光を当てられます。神への祈りを捧げるための神殿が人間の欲望のために用いられていたことがキリストによって戒められ、きよめられたように、キリストのことばによって、実を結ばないイチジクの木は枯れました。

 私たちは自分の心にどのような思いが隠れているかを祈りの前に吟味する必要があります。その上で私たちは神に祈り求めるのです。

 そして私たちが自分の罪を悔い改め、神からの赦しを受け取るときに、私たちも他の人を赦すことができる者へと変えられていきます。そのことを父なる神は心から喜び、なおあなたを祝福し、罪の赦しの喜びで満たしてくださるのです。

 あなたも神の前にへりくだり、キリストの招きに応えていきませんか? 
 神はあなたの祈りを聞き、その祈りに応えようとしてくださっているのです。

   (PBA制作「世の光」 2021.1.28放送でのお話より ) 


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■神の守りと導き / 岩井基雄

2021年07月14日 | Weblog

2021/1/27放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 昨日に引き続き今日も旧約聖書のモーセの生涯から学んでみましょう。私たちも苦難からの助けを長く待たされることがありますねえ。エジプトで奴隷状態であった神の民を神はモーセというリーダーを立て、本来の場所イスラエルの地へと導きました。その奴隷の期間は400年を超えたのです。希望もついえそうな長期間の苦しみを経験する時も、神は御自分の民を決して忘れなかったのです。聖書はこう語ります。

 イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は430年であった。430年が終わったちょうどその日に、主の全軍がエジプトの家を出た。エジプトの家から導き出すために種が寝ずの番をされた夜であった  旧約聖書 出エジプト記12章40節から42節

 かつて神の民は大飢饉を逃れてエジプトに移住しました。神はその前にヨセフという人をエジプトに送り、エジプトも周辺の国々もこの大飢饉から守るための備えをさせたのです。しかしヨセフのことを知らない王がエジプトに続く中、神の民はエジプトで奴隷のような状態で過ごさざるを得なかったのです。それは苦難と悲しみの連続でした。しかしこの、神に見捨てられたかと思う430年間も神は彼らを忘れず、彼らを見守り、エジプトを裁き、神の民をそこから連れ出されたのです。神の守りは真実だったのです。
 
 神である主が寝ずの番をされた、というのは不思議な表現ですね。どんな時にも神ご自身が神の民を守ってくださるのです。

 聖書の別な箇所にはこう記されています。
 「主は あなたの足をよろけさせず/あなたを守る方は まどろむこともない。
  見よ イスラエルを守る方は/まどろむこともなく 眠ることもない。」
       旧約聖書 詩篇121篇 3節、4節

 神の民イスラエルを守られた神様は私たちをも守られます。神様は永遠で無条件の愛であなたを愛し、あなたを守り導かれるからです。どんな時にもあなたも神に愛されています。あなたも神様の愛と約束に信頼して忍耐をもって今を歩んでいきませんか? 神様はあなたの人生を見守り、助け、豊かな祝福を与えてくださるのです。

   (PBA制作「世の光」 2021.1.27放送でのお話より ) 


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■過ぎ越しの意味と神の裁き / 岩井基雄

2021年07月13日 | Weblog

2021/1/26放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 火曜日と水曜日は旧約聖書のモーセの生涯から学びましょう。あなたは自分の子どもたちや次の世代に何を一番伝えたいでしょうか。神の民イスラエルには三つの祭りがあり、最も重要なのは過ぎ越しの祭りでした。それはエジプトで奴隷状態であった神の民を神がモーセというリーダーを立てて導き、苦難から助け出した事実に基づいており、子どもたちに神のお恵みと守りを伝える祭りでした。祭りの意味を子どもたちが尋ねたとき、次のように答えなさい、と聖書は語ります。

 『それは【主】の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ。』
         旧約聖書 出エジプト記12章27節

 自分たちが助け出された神の恵みと守りを感謝し、次の世代に伝えること、それが過ぎ越しの祭りの意味でした。モーセが語る神のことばに信頼し、命令通りに家の門柱と鴨居に子羊の血を塗った家庭は、神の裁きが過ぎ越して、長男の命が守られたのです。神に信頼せずその準備をしなかったエジプトの家庭に起こったことを聖書はこう語ります。

 「真夜中になったとき、【主】はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。」 
  出エジプト記12:29 

 長男の命を失うということは想像を絶する悲しみでした。この神の裁きを受けなければならないほどエジプトの王と民は真の神に背き、警告を無視し続けたのです。
エジプトは神に裁かれ、ついに神の民はエジプトでの奴隷状態から解放され、約束の地イスラエルに向かうことになったのです。

 それから千数百年後の過ぎ越しの祭りの時に、神の御子キリストは十字架につけられました。罪のない、神の子羊であるキリストが私たちの身代わりに血を流し、私たちの罪の裁きを完全に受けた十字架による救いは真の過ぎ越しを意味していたのです。

 この過ぎ越しの真の意味は、あなたへの神様の愛の表れであり、あなたの罪の赦しの道なのです。あなたも神に感謝して歩みを進めていきませんか? 

   (PBA制作「世の光」 2021.1.26放送でのお話より ) 


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■信仰の人 長尾八之門 / 岩井基雄

2021年07月13日 | Weblog

2021/1/30放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 この土曜日は歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでみましょう。今日は加賀花、今の石川県で、信仰の人として歩んだ長尾八之門についてです。

 長尾八之門、旧姓長屋八内(はちだい)は加賀藩の武士の孫として金沢に生まれました。三歳の時に父が病死し、三十歳で祖父の知行を受け継ぎます。三十四歳で高岡町奉行となり、誠実に町を治め、人々から信頼されました。四十六歳の時、八内は金沢の卯辰山で開墾に従事していた「浦上四番崩れ」で流刑に処されたキリシタンたちおよそ5百名の監督を命じられたのです。八内は彼らが貧苦と屈辱の中でも聖書が語る神様に信頼し、誠実な祈りの生活を送る姿に深い感銘を覚えました。

 ある時、八内は彼らが隠し持っていたキリスト教の小冊子を借りて貪り読みます。そこに記された天地万物を創造された神、また罪の赦しに心が深く揺さぶられたのです。

 明治維新となり、キリシタンたちが長崎へ帰った後、八内は事業に失敗し、財産の全てを失ってしまいます。虚脱状態にあった八内はある夜、金沢でウィン宣教師が語るキリストの愛に深い感銘を覚え、自分の心が真理と愛で満たされるのを感じたのです。その時に、この宣教師が語っていたのは次の聖書の言葉でした。

 完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。・・・
 こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。
 その中で一番すぐれているのは愛です。
        新約聖書 コリント第一の手紙 13章10節、13節

 神の愛と真理に導かれた八内は、自分の罪を認め、キリストへの信仰を告白し、自らを八之門と呼び、信仰の歩みを始めたのです。彼の人生の転換は家族に影響を与えました。彼の次男の巻が同じ年に洗礼を受け、妻も他の子たちも数年のうちに次々にクリスチャンになります。この次男の長尾巻が後に初の北陸出身日本人伝道者となるのです。また彼の子孫は、その後の80年間に130人の者たちがキリスト者となりました。長尾八之門がいつまでも残る信仰と希望と愛に生かされ、それを大胆に周りの人々に伝えて言ったのです。

   (PBA制作「世の光」 2021.1.30放送でのお話より ) 


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■神を恐れる、真の幸い / 岩井基雄

2021年07月12日 | Weblog

2021/1/25放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 今日は、神のことばの素晴らしさを記している最も長い詩篇、119篇の最初のところから、神を畏れる真の幸いに心を留めてみましょう。

 幸いを表す英語は主に三つあり H と L と B から始まることばです。ハッピー Happy やラッキー Lucky は有名ですが、もう一つは ビー・ブレスト Be blessed 祝福される幸いを表すことばです。状況や環境に影響を受けやすいハッピーやラッキーに対して、ビー・ブレストの方は状況よりも神や人との関係性が中心にあり、聖書が語る幸いは全てこのことばと言えるでしょう。

 裕福でも憎しみ合う家族より、どんなに貧しくても信頼し合う家族の方が関係性の幸いを持っています。そして人間関係以上に聖書が語る神様との関係がより重要で、神からの祝福を受け取ることが私たちの本当の幸いなのです。

 ではどんな人が神様の祝福を受け取る人なのでしょうか。今日の詩篇をお読みします。

 幸いなことよ/全き道を行く人々/【主】のみおしえに歩む人々。
 幸いなことよ/主のさとしを守り/心を尽くして主を求める人々。
 まことに 彼らは不正を行わず/主の道を歩みます。

    旧約聖書 詩篇119篇1節から3節

 ここには神を正しく畏れ、神のことばを大切に心に抱いて歩む人こそ神からの豊かな祝福を受ける、ということが描かれています。

 天地万物すべてを造られた神様に喜ばれるようにと神の教えや諭しを求め、聖書に記された神の道を歩む人は、人の目や評価また自分の欲望に振り回されません。どんな困難な状況、悲しみや苦しみの中にあっても、神に信頼し、神の前を真っ直ぐに歩み、不正を行わずに全き道を歩むことができるのです。

 それは、私たちは正しいことをなかなか行わえい本当に弱い存在ですが、私たちを愛し導く神様が真実で愛にあふれたお方なので、私たちを内側から造り変え、導いてくださるからです。

 そして、その祝福の内を歩む詩篇の作者はこう祈ります。

 「あなたの義のさばきを学ぶとき/私は直ぐな心であなたに感謝します。」

      詩篇119篇7節

 あなたも神を正しく畏れ、神の祝福を受け取って歩んで行きませんか? 

   (PBA制作「世の光」 2021.1.25放送でのお話より ) 


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■モーセの祈りへの神の答え / 羽鳥頼和

2021年07月10日 | Weblog

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今週はエジプトを脱出したイスラエルの民の荒野の旅について、旧約聖書の民数記からお話ししています。

 イスラエルの民は神の命令に聞き従って荒野へ旅立ちました。神は毎日、マナという食べ物を与えて下さっていました。

 ところが旅立って間もない頃、人々は神に不平を言って、「肉が食べたい」と叫びました。指導者モーセは人々の不平不満と彼らに対する神の怒りとの狭間で困り果ててしまいました。

 そんなモーセが祈ると、神は答えてくださいました。神は具体的な方法を教えて、さらに超自然的な神の力によってモーセを助け、人々を正して下さいました。

 まず神はモーセに、「あなたが民の司としてふさわしいと思う者を七十人集めなさい。」と言われました。

 モーセは神に言われた通りにしました。

 神は選ばれた七十人にモーセのように人を治める力を与えられました。こうして七十人がモーセを助ける者とされました。

 神はモーセの抱えていたもう一つの問題、肉が食べたいという人々の不平にも答えられました。「わたしは一ヶ月の間、彼らに肉を与える。それで彼らは吐き気を催す。それは彼らがエジプトから救い出した神をないがしろにして、『エジプトから出てこなければ良かった』と言ったからである。」

 神は男だけで六十万人もいるイスラエルに「肉を与える」と言われました。神は海から風を吹かせました。神はその風に乗せて大量のウズラを運んで、イスラエルの宿営の近くに落としました。

 人々は一日中それを集めて、その肉にかぶりつきました。

 すると神の怒りが燃え上がり、神は非常に激しい疫病で人々を打ちました。

 エジプトから救い出してくださった神によってすでに必要な食べ物マナが与えられているのに不平を言う人々に、神が災いを下されたのです。

 神が与えてくださるものに感謝して満足することを学びたいと思います。

   (PBA制作「世の光」2021.1.23放送でのお話より)
 
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■民と神の間で困るモーセ / 羽鳥頼和

2021年07月09日 | Weblog

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今週はエジプトを脱出したイスラエルの民の旅について、旧約聖書の民数記からお話ししています。 
 
 イスラエルの民はエジプトから自分たちを救い出してくださった神の命令に従って旅立ちました。ところが旅立ってから間もなくして、人々は神に対して不平を言いました。

 最初は一部の人々が大声で嘆きながら言いました。「ああ、肉が食べたい。エジプトでタダで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりもスイカ、ニラ、玉ねぎ、ニンニクも。だが今や、私たちの喉はカラカラだ。全く何もなく、ただこのマナを見るだけだ。」

 マナというのは荒野で神が毎日与えて下さっていた食べ物です。マナは朝になると白い霜のように地面を覆いました。人々はそれを集めて臼で挽いたり、ついたりしたものを煮るとそれは甘いパン菓子のような味がしました。

 人々は神が与えてくださったこのマナに飽きてしまったのです。一部の人々の嘆きは人々にも広がりました。人々の嘆く泣き声が宿営に響き渡りました。

 その声を聞いて神はお怒りになりました。

 そのことを知った指導者モーセは不平不満を言う人々と、それを怒っておられる神の間で困ってしまいました。

 モーセは神に祈りました。「何故この民全体の重荷を私一人に負わせるのですか。私には重すぎます。」

 モーセのこの「重荷が重すぎます」ということばにイエス・キリストのことばを思い出します。

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎを得ます。」

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイの福音書 11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」     (マタイの福音書11章28節、29節 )

 さて、神はモーセに何と答えられたのでしょうか。

 今日の、不平不満をいう人々の姿を見ると、自分の内にある欲望を見ているような気がします。欲望は底なしでコントロールしにくいものです。

 さて明日は、モーセの祈りに神が答えてくださったことについてお話しします。

   (PBA制作「世の光」2021.1.22放送でのお話より)
 
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