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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■クレネ人シモン その後 / 関根弘興

2021年07月29日 | Weblog

2021.2.11放送
 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストは十字架を背負い、道の途中で何度も何度も倒れては立ち上がり、容赦の無い兵隊の罵声を浴びせられながら歩いて行かれたことでしょう。

 その時でした。ローマ兵は一人の男を無理やり引っ張ってきて、イエス様の十字架を背負わせたのです。その男はシモンという名のクレネ人でした。

 実はこのシモンについてはどの福音書を見ても、イエス様の代わりに十字架を担いだことしか書かれていません。しかしマルコの福音書には、このシモンがアレキサンドルとルポスとの父である、とわざわざ記しているんです。ですからこの福音書を読んだ人たちの多くがシモンの息子であるアレキサンデルとルポスという兄弟をよく知っていたということになりますね。

 後に新約聖書の多くの手紙を記したパウロがローマの教会に宛てた手紙にこんな一文が記されています。

「主にあって選ばれた人ルポスによろしく。また彼と私との母によろしく。」
            (ローマ人への手紙16章13節 新改訳第三版)

 ここに出てくるルポスが、十字架を担いだシモンの息子ルポスではないかと考えられるのです。つまりイエス様の十字架を背負ったシモンの息子ルポスが、今はローマにいるそのお母さん、つまりシモンの奥さんですよね、その奥さんがパウロを世話していた人だというわけです。このことを考えると、シモンがエルサレムで十字架を無理やり吸わされた出来事が後に家族がクリスチャンになっていく大きな転機となっていったと考えられるのです。

 シモンは最初、自分の身の不運を嘆いたかもしれません。しかし十字架を背負わされたシモンは傍らを歩いておられるイエス様を見ながら、「このイエスとは一体何者なんだろう。大きな罪を犯したようには見えないし、罵られても嘲られても憎しみの眼差しを向けるわけではない。一体どういうお方なのだろう。」 そんなふうに考えたでしょう。彼は十字架につけられたイエス様の姿をじっと見つめていたのでしょう。十字架でイエス様が言われたことばを耳にしたはずです。それにイエス様を十字架につけたローマの百人隊長は、「この方はまことに神の子であった。」というのを聞いて、シモンも同じような思いを持ったに違いありません。そしてイエス様を救い主として信じ、信仰が家族にまで広がったとも言えるのです。

 人生最悪の日が救い主に出会う日となっていったのですね。

      (PBA制作「世の光」2021.2.11放送でのお話しより)
 ***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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