2021/2/4放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。今日はマタイの福音書26章56節から「成就するためです」と題してメッセージをお伝えいたします。
「しかし、このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書が成就するためです。」
ここからいよいよイエスの受難物語に入りますね。イエスの十字架の予告に始まり、一挙に最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、ユダの裏切り、イエスの逮捕と大祭司カヤパの取調べ、そしてサンヘドリンの小委員会での裁判とマタイは書き進めていますねえ。そしてマタイは56節、すべてが聖書の語っていることが実現するためであったとまとめています。
イエスの十字架の死は旧約聖書にあらかじめ予言されていたことでした。ユダの裏切りの箇所を読むと、ユダが計画的にイエスを不当な裁判に引き渡したようにも思われます。しかしユダのその計画もイエスはお見通しで自分の身を委ねたというわけですねえ。
既に知っていながら自分の身に起こる危険を受け入れていくイエスの気持ちはどんなものであったのだろうかと思うところですが、イエスはこう祈っています。
「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」
(マタイの福音書26章39節)
やはりイエスも生身の人間。そのような試練が来るのを耐えがたく思っていたようですねえ。
けれども、イエスは神の御心に従っていきます。なぜでしょう。イエスの弟子ペテロはイエスのその従順の意味を解き明かしてこう語りました。
「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。」 (ペテロの手紙第一 2章24節 )と。
イエスは、目的をもって、つまり人の罪が赦され新しいいのちが与えられるために進んでその苦しみを受けてくださったというのです。
大切なのは、イエスのこの目的は達成され完了していることです。つまり私たちの罪もイエスは負ってくださったのです。イエスにある罪の赦しを素直に受けとめていきたいものですね。
では今日も良き一日となるように祈ります。
( PBA制作「世の光」 2021.2.4放送でのお話しより )
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