2021.1.15放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
12歳のイエス様がエルサレムの神殿にとどまって律法の専門家に質問をしている箇所が出てきます。しかし、一方で自分たちからはぐれてしまったことを心配する両親のヨセフとマリヤはどれだけ心配したでしょうか。 心配した分、怒りがこみ上げてきたのです。
母マリヤは「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい、父上も私も心配してあなたを捜し回っていたのです。」
するとイエス様がおっしゃいました。「どうして私をお探しになったのですか? 私が必ず自分の父の家に居ることをご存知なかったのですか?」
マリヤはイエス様を見失った時、カーッとなりました。そして、どのような経緯でこの子が生まれたかを忘れてしまっていたのです。この子どもは神様から預かった子どもなのだという事実です。自分の思いを握り締め、自分の思いで子どもの人生を押し量ったのです。
しかし、イエス様はそういう訳にはいかなかったのです。「どうして私をお探しになったのですか?」 ・・・ 私の人生は父なる神様のものです。あなたたち親のものではありません・・・。 確かにイエスはヨセフの子としてマリアを通して誕生されたのですが、あなたの人生の思い通りになるわけにはいかない、と。なぜなら、私の人生は神のものであり、私の父の家とは本来的に父なる神の家なのだ、と言われたのです。
私は子どもが生まれた時に、あるクリスチャンの先輩から、「命を預かったのですね」という手紙をもらいました。その時にハッとしたんですね。あー、この子の人生は神様のものなんだ。いつか神様にお返ししないといけないんだ。その日に至るまで、誠実に忠実に子育てをするんだ、ということを教わったのです。
今日ここで私たちが教えられるべきことは、子どもの人生を握りしめてはいけない、ということでしょう。私たちはこんなに愛しているんだからこそ自分好みの子どもに育ってくれるはずだ、という思いを持ちやすいものです。しかし、神に愛され人に愛される、それは神の家に居る子どもとして育てていくということです。偏差値の高い高校に入れるために私たちは子どもを育てているのではありません。 将来が安定した仕事に就くために子どもを育てているのではありません。神と人に愛される人生をひたすら願って子どもたちを育てていくのです。
( PBA制作「世の光」2021.1.15放送でのお話しより )
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