goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■ルカの福音書45 / 大嶋重徳

2021年07月01日 | Weblog

2021.1.14放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。

 12歳のイエス様がエルサレムの神殿に行かれた記事がルカ2章に記されています。教会では多く教会が日曜日に教会学校という子どもたちのクラスを行ないます。それは子どもの時に神様のまなざしの中で神様に愛されていることを知っていくことの大切さを子どもたちに届くことばで伝えること、それが大切だからです。

 先日も、私が牧師をする教会にクリスチャンではないご家族が来られました。「子どもの頃に教会学校に通った経験を自分の子どもにしてもらいたくって」と教会にいらっしゃったのです。子どもの頃に聞いた聖書のお話が人生を通して大きな励ましと慰めをもたらすのだなあと改めて思いました。特に12歳頃というのは、いろんな疑問が湧いてきます。 小学校でも、自分はどのグループに入れるのかという緊張感がとりわけ女の子にはあるでしょう。また人は何のために生きているのかと考え始めます。死んだら人はどこに行くのだろうか? という死の不安もまた子どもながらに持つのです。また、クリスチャンを両親に持つ子どもたちにとっては、なぜ自分はクリスチャンホームに生まれたんだろうか? 自分はよその家に生まれたら日曜に礼拝に来ることなんかなかったんじゃないかという疑問もあるでしょう。私も聖書の語る神様以外にも宗教はあるじゃないか、・・・中学生の頃にいろんな疑問が湧いてきました。この自然界と人体の神秘を見て、神がいないとは言えない。でも聖書の記す神が本当の神かどうか分からないじゃないか、と思ったわけです。なんだったら自分で聖書みたいなものも書いて宗教をできるようにしてみようか、とも思いました。しかし、そんなことを教会学校の先生に、自分の親に、ぶつけていいんだろうか? 困らせるだけなんじゃないか? と 自分の中でも悶々としていたのです。

 こんなことを聞くと、重徳君は信仰を失ったんじゃないか、と心配されるような気がする。何も言わずに教会からはそおっと離れていこう。

 しかし、子どもたちの抱える人生の疑問、信仰の疑問に寄り添ってあげる場所が必要です。子どもの持つ質問に頭ごなしに押さえつけるような態度を取るのではなく、いい質問だねと、きちんと悩む場所を持つこと、きちんと質問のできる場所を持つことが、子どもにとって大切なことです。

 教会がそんな場所であったら、どれだけ子どもたちの大きな慰めになるでしょうか? 悩むことのできる教会、質問のできる教会になりたいと思います。 


     ( PBA制作「世の光」2021.1.14放送でのお話しより )


********

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******  
 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■ルカの福音書44 / 大嶋重徳 | トップ | ■ルカの福音書46 / 大嶋重徳 »