2021.2.10放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様は自分が磔にされる十字架を背負い、処刑場まで歩いて行かれました。その道はその後、「悲しみの道」ヴィア・ドロローサと呼ばれるようになりました。約1 km ほどの道です。イエス様は十字架を背負い、道の途中で何度も何度も倒れては立ち上がり、容赦のない兵隊の罵声を浴びせられながら歩いて行かれたことでしょう。
その時でした。ローマ兵は一人の男を無理やり引っ張ってきて、イエス様の十字架を背負わせたのです。その男はシモンという名のクレネ人でした。クレネは北アフリカの地中海に面した都市でした。そこにはユダヤ人も多く住んでいました。
このシモンという人はクレネ近郊の田舎に住んでいたようでした。彼は念願かなってエルサレムに巡礼のためにやってきました。ちょうどその時、年に一度の最大のお祭りの過ぎ越し祭の時でしたので、世界中のユダヤ人たちがエルサレムに集まってきていました。
しかしシモンが町に入ると、過ぎ越しの祭りのせいだけではない、異様な雰囲気に満ちていました。野次馬が溢れ、罵声が飛び、涙する者もあり、そこでとんでもない光景を目撃したのです。それは、何度もよろめき倒れながら十字架を背負う男の姿でした。もちろんシモンにはそれが誰なのかわかりません。せっかくエルサレムに来たのに見たくないものを見てしまったと思ったかもしれません。
その時、突然、ローマ兵がシモンの腕をつかんで引きずり出し、「おいお前。イエスの十字架を代わりに背負え」と命令したのです。彼は、なんて運が悪いんだ、と思ったに違いありません。しかしローマ兵に逆らうことなどできません。周りの人目を考えてみてください。十字架を背負っている人をどんな目で人は見るでしょう。「ああきっとあいつも悪いことでもしたのではないかあ。きっと何かの罰を受けてるに違いない。」 彼は必死で、私は何の関係もありません、と説明したかったに違いありません。
シモンにとってこの突然の出来事は、栄(は)えあるエルサレム巡礼が最も惨めな人生最悪の日になってしまったと思えたに違いありません。しかし十字架につけられたイエス様を見たとき、最悪の日が救い主に出会った栄えある日と後に変えられていくのです。
(PBA制作「世の光」2021.2.10放送でのお話しより)
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