2021.2.8放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
教会のシンボルマークは十字架です。それはイエス・キリストが十字架につけられたことに大きな意味があったからです。今週は、このイエス様の十字架への道をお話しましょう。
もちろんイエス様は十字架につけられるような悪いことは何一つなさいませんでした。しかし当時のユダヤの宗教家や最高議会の議員たちは、何とかしてイエスを死刑にしたいと願っていました。イエス様が自分を神の子キリスト救い主だと公言し、彼らの偽善や形式主義を厳しく批判なさっていたからです。彼らはイエス様をでっち上げの宗教裁判にかけて、神を冒涜している罪で死刑に値するという判決を下しました。彼らは自分たちでイエス様を石打ちの刑にすることもできましたが、それでは不十分と考え、当時ユダヤ地方を治めていたローマ総督ピラトのもとにイエス様を連れて行き、ローマの死刑方法である十字架刑を要求したのです。
総督ピラトは彼らがイエス様に対して激しい妬みを持っていることに気づいていました。そしてイエス様にはローマの法律に照らしても死刑に値する罪を見いだすことはできませんでした。ですからピラトは「この人は何の罪もない。この人を十字架につける理由や原因は何もない。」と三度も繰り返して宣言していたのです。また過ぎ越し祭りの時には犯罪人の一人に恩赦を与える習慣がありました。そこでイエス様を恩赦の対象にしようと提案したのです。
しかし宗教家たちに扇動された群衆は、「イエスではなくバラバを釈放しろ。イエスを十字架につけろ!」と激しく叫び立てていきました。
結局ピラトは民の声を恐れ、これ以上の混乱を恐れていました。そこでイエス様を十字架につけるようにと引き渡してしまったのです。
十字架刑は非常に残酷な処刑方法です。両手と足を太い釘で十字架に打ち付け、死ぬまでそのままの状態に放置するのです。数時間もの間、想像を絶するような激痛に耐え続けなければなりません。ですから早く死ねるように十字架刑の前には囚人を徹底的に痛めつけても良いという習慣すらありました。イエス様は鞭打たれ、茨の冠を被らされ、十字架を背負い、処刑場に向かって行ったのです。
(PBA制作「世の光」2021.2.8放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。