2020/8/13放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。大嶋重徳です。ルカ福音書を順番に読んでいます。
羊飼いがマリヤとヨセフの夫婦のて所にやって来て、天使が野原で自分たちに告げたことを伝えました。すると、「マリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」[ルカの福音書 2:19]とあります。
教会の礼拝もまた心に納めて思いを巡らす時間です。怒涛の一週間を過ごしながら私たちは神様の前に出てきます。しかし身体は疲れている。一向に、語られている神のことばが心に納まってこない、思いは巡らない、ということがあるでしょう。
私は『世の光』の他に WTP というインターネットラジオの番組をしていますが、そこに「礼拝中どうしても寝てしまうんですが、どうしたらいいでしょうか」という質問が来ました。実は私はかつて説教で「礼拝中に寝る恵み」という話をしたことがあります。
(聖書の)『使徒の働き』にはユテコさんという、礼拝中に窓際から落ちて死んでしまう人のお話が出てきます。しかし彼はその後生き返るという奇跡に与(あずか)るんです。この話は一体私たちに何を教えているんでしょうか。礼拝中に寝るかもしれないから窓際は気をつけろ、ということではありません。ユテコは奴隷であったのではないかと言われます。いわゆる鎖に繋がれているような奴隷ではなく、自分の時間を持つこともできる奴隷でした。彼はヘトヘトになりながら仕事をし、それでも彼は自分の時間になるわずかな時間を礼拝をするためにやって来たのです。すると人がいっぱいで、窓際の端っこしか座ることが出来なかった。そして労働の厳しさから彼は礼拝中に眠る。そして落ちる。しかし生き返るんです。いのちを得る。
私たちは礼拝に来ないといけないというのではなく、礼拝でこそいのちを得るのです。礼拝でこそ日々忙しく働いている人生にいのちが生まれるのです。ヘトヘトに疲れている毎日の中で礼拝で立ち止まるのです。自分にとって一番大切にすべきものは何なのだろうか、自分にとって一番良いものを知ってくださる神様の前で問いかけるのです。自分の考えを神様の考えに合わせに行くのです。すると間違っていた自分の歩み、的を外していた自分の生活、言わなくて良いことを言ってしまった過去の一週間、それらの自分が礼拝で死んでよみがえる。結論を言うならば、寝るなら礼拝でこそ寝てほしいということです。ある牧師は「神のことばは毛穴から入る」という名言も言いました。そうやって神のことばを心に納め、自分の人生を思い巡らす。ぜひ教会の礼拝にいらしてください。
( PBA制作「世の光」2020.8.13放送でのお話しより )
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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