2020/8/28放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。
イエス様はユダの裏切りの手引きによって捕らえられてしまいました。その時ペテロは剣を抜き、大祭司の下僕の耳を切り落としてしまいました。するとイエス様は「「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」(マタイの福音書 26:52 新改訳聖書 第三版 )と言われました。そしてルカの福音書には「そのしもべの耳に触って彼を癒された。」(参照 ルカの福音書22:51)と書かれています。
イエス様はなぜペテロにこう言われたのでしょう。それは一人も失わない為にだったんです。考えてみてください。もしここでペテロが剣で戦ったら無力な弟子たちはすぐにローマ兵たちに殺されてしまったでしょう。イエス様は逮捕される前にヨハネの福音書17章で祈りの中で、「わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。」(ヨハネの福音書17:12 )と祈っておられました。そしてご自分を捕らえにきた人々に向かって、「もしわたしを捜しているのなら、この人たちは」----つまり弟子たちは---「このままで去らせなさい。」(ヨハネ 18:8 )とも言われました。
後にヨハネの福音書の中に、「それは、『あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。』とイエスが言われたことばが実現するためであった。」(18:9 )と記されています。つまりイエス様は弟子たちを守るために剣を取ってはならないと言われたのです。そしてご自分の身を差し出すけれど弟子たちは剣の災禍に飲まれることなく無事に去ることができるように、と願っておられたのですね。
そしてもしここでペテロが剣で戦ったらその責任はリーダーであるイエス様が受けることになりますよねえ。公務執行妨害、傷害致死罪、反逆罪、色んな罪状がつけられ、そしてそれらの罪のために処刑されてもおかしくはありません。しかし神様の救いを全ての人にもたらすために大切なのは、罪のないイエス様がすべての人の罪を背負って十字架に着くということです。イエス様の側では全く罪がなく無抵抗で捕らえられていく、それが救い主としてのあり方だったのです。イエス様が十字架につけられることは神様のご計画でした。剣を使って抵抗する必要など全くなかったのです。
(PBA制作「世の光」2020.8.28放送でのお話しより)
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