2020/9/2放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。福井誠です。継続は力なり。聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いてまいりましょう。哀歌3章33節から、「意味もなく、苦しめ悩ませることはない」と題してメッセージをお伝えいたします。
「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。」
ヘブル語の旧約聖書をギリシャ語に翻訳した七十人訳聖書というものがあります。その聖書の哀歌の序文には、「イスラエルが捕囚となり、エルサレムが荒廃して後、エレミヤは座して泣き、エルサレムのために哀歌を歌っていった。」と記されています。そこでこの哀歌は伝統的にエレミヤによって書かれたと考えられてきました。
先に長いエレミヤの預言書をご一緒に読んで来た方はよくわかると思いますが、エルサレムの滅亡を預言し、イスラエルの民に警告と悔い改めを勧めてきたエレミヤにとって実に無念極まりのない背景があります。エレミヤは自ら預言した通りに事が成就してしまった現実と向かい合いながら哀しみの歌を歌っている、という訳ですね。
しかしそれは単なる嘆き、後悔の歌ではないので、イスラエルの人々に繰り返し読まれ愛される一書とされてきました。つまりそれは当時のイスラエルの民に新しい気づきと決意、行動を促した悔い改めの書、立ち返りの書なのです。
実際、エレミヤは言いました。
「主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。」
エレミヤは失意の中にある者たちに追い討ちをかけるようなことを言わず、むしろ悲しみがやがて祝福に変えられていく希望を語ります。
なぜなら、私たちが信じる神は恵み深くあわれみ深いお方だからです。そして一度バビロンに滅ぼされたイスラエルが、やがて神の助けによって再びその国家を建て直すことになる希望のメッセージを伝えました。
そして確かにこの書は国家を再建するイスラエルの人々の希望の書となったものです。哀歌を読むときに、どのような事態にあっても希望を捨ててはいけないことを教えられます。意味のない悲しみはない。いのちある限り希望はある、と信じましょう。
では良き一週を祈ります。
(PBA制作「世の光」2020.9.2放送でのお話より )
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