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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■雲の中に、虹を立てる / 福井 誠

2018年08月08日 | Weblog
2018/7/4放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「雲の中に、虹を立てる」です。 創世記9章13節から読んでみましょう。
わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。」(新改訳2017)

 雨上がりの虹を見て皆さんは何を思いますか? きれいだなあと思いますねえ。なぜこんなものができるんだろう、なぜ? 科学的に虹は光の屈折や反射によって起こる現象なのですが、科学ではない世界のなぜ?を考えたことはあるでしょうか。子どものような質問かもしれませんが、聖書はそのなぜ?に答えています。今日その話をしてみましょう。
 旧約聖書の創世記にノアの箱舟と呼ばれて親しまれてきたお話があります。その昔、神が天と地そして人間をお造りになった後、人間はその神様を認めようとせず、神様に背いた出来事がありました。そして人間は堕落し、悪に傾き、人間社会も腐敗を極めました。その様子を神様はご覧になって、全人類を大洪水で滅ぼそうとお決めになったのです。

 ところが、そこにただ一人、目に見えない神様を認める義(ただ)しい人ノアがいたので、神様はこのノアとその家族を救おうと箱舟の建設を命じられます。ノアの義(ただ)しさは真面目にその神様の命令に取り組んだところにありますね。ノアは箱舟を完成させ、結果、箱舟に乗ったノアとその家族は大洪水から守られて救われました。大洪水の水が引いて生き残ったノアとその家族が箱舟から出てきた時に、空には美しい虹が出ていたのです。

 神様はノアにこの虹を示しながら約束します。「もはや大洪水の大水で地を滅ぼすことはない」と。「人間の心は悪に傾くものだから。」と人間の弱さも認められました。つまり雨上がりの虹は、たとえこの地上に洪水がたびたび起こるとしてもそれで全人類が滅ぼされることはないという神様の約束のしるしです。この天と地をお造りになった神様がおられます。その神様は、天の水門をはじめすべてを支配しておられるだけではなく、人間の弱さも理解しておられるお方です。なぜ虹ができるのか、それはあなたに心を傾けておられる目に見えない神様がおられるしるしです。聖書を読んでその神様を知っていただきたいと思います。

(PBA制作「世の光」2018.7.4放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

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■一同は聖霊に満たされ / 板倉邦雄

2018年08月07日 | Weblog
2018/7/3放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「一同は聖霊に満たされ」という題でお話ししましょう。
 
私たちキリスト信徒は天地万物の創造と摂理の父なる神を信じています。また私たちの罪の贖いのために十字架にかかり、三日目に復活された神の独り子イエス・キリストを信じています。そして神とキリストから遣わされた聖霊様を神として信じ告白して参りました。使徒の働き二章に入ります。

 さて、五旬節の日が来たので、イエス様の十二使徒たちと信徒たち一同が集まっていました。五旬節の日とは過ぎ越しの祭りから数えて50日目、ギリシャ語ではペンテコステと言います。この50日目に当たりました春の収穫祭の日でした。国内はもちろん国外からも多くの巡礼者たちがエルサレムの都に集まっていたのです。

 みんなの者が一緒に集まっている時でした。突然激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同が座っている家いっぱいに響き渡ったのです。まさに復活されたイエス様が約束された聖霊の降臨でした。聖霊が激しい風に喩えられていますね。

 また次の起こったことは舌のようなものが炎のように分かれて現れ、一人びとりの上にとどまったのです。聖霊は炎のように燃える存在で、信じる者一人ひとりにとどまり、心の中に熱く内住してくださるようです。

 ですからこのあと一同は聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままにいろいろの他国のことばでイエス・キリストの証人となり、語り出すことになりました。聖霊に燃やされて主イエス様にお仕えすることができるのです。

 聖書のことばに、「霊に燃え、主に仕えなさい。」(ローマ12章11節 新改訳2017 )とあります。ここで大切なことは、一同は聖霊に満たされた、という出来事です。聖霊は個人個人に働きかけるのですが、それ以上に一堂に集まっている全員に働きかけるということです。キリスト信徒がなぜ毎週日曜日に神様を礼拝するために教会へ集まるのでしょうか。それは集まっている一堂に聖霊が注がれ一同が聖霊に満たされる幸いを経験するからです。

   (PBA制作「世の光」2018.7.3放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■あなたの救いを待ち望みます / 岩井基雄

2018年08月06日 | Weblog
2018/7/2放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
 第一の月曜日は詩篇から学んでいますが、今日は108篇の後半から「あなたの救いを待ち望みます」と題してご一緒に考えてみましょう。

 先月は「揺り動かされない人生」と題して、神様に信頼し、祈りと感謝を捧げる歩みの大切さを学びました。しかし現実の私たちの心には様々な葛藤がありますよね。詩篇の作者はそんな自分の戦いを隠しません。今日の詩篇には彼の心の叫びが歌われています。早速お読みします。

 「あなたの愛する者たちが助け出されるよう
  あなたの右の手で救い 私に答えてください。

 「神よ あなたは私たちを拒まれるのですか。
  神よ あなたはもはや 私たちとともに出陣なさらないのですか。
  どうか敵から私たちを助けてください。
  人による救いはむなしいのです。

        旧約聖書 詩篇108篇6節、11節、12節 (新改訳2017)

 この作者は神から拒絶されているような苦難の中にいます。神の愛を覚えつつも苦難の中でその信仰が揺らぐ葛藤を抱えているのです。
 彼は神様に正直に叫びます。「あなたの右の手で救い 私に答えてください。」「どうか敵から私たちを助けてください。」と。心にある思いをそのまま神に祈るのです。

 人による救いはむなしいということを彼は知っています。その場だけの一時的なむなしい助けではなく、神様よりの本当の助けと救いを心から求めているのです。そして神様は私たちの叫びや祈りに応えてくださいます。

 聖書の別の箇所にはこう書かれています。
 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。
        旧約聖書 イザヤ書 41章10節 

 神様はわたしと共にいて、守り、助けるだけではなく、私たちを強くしてくださるのです。この詩篇の作者も神様の力と共に、自らの働きにも心を留めます。彼は続けてこう歌っています。
 「神にあって私たちは力ある働きをします。
  神こそが 私たちの敵を踏みつけてくださいます。

               詩篇108篇13節

 神様はどんな困難な中にあるあなたをも決して見放さず、愛と恵みを注ぎ、そしてあなたに力を与え、勝利へと導いてくださるのです。

  PBA制作「世の光」2018.7.2放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■主の前でのくじ引き / 羽鳥頼和

2018年08月04日 | Weblog
2018/6/30放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今日は旧約聖書ヨシュア記18章からお話しします。18章にはイスラエルの各部族への相続地の割り当てのことが記されています。相続地とは神からその部族に与えられた土地で、代々その部族が住み続けることのできる所です。

 この時、イスラエルの中で相続地を割り当てられていない7部族が残っていました。ヨシュアはイスラエルの人々に言いました。「神があなたがたに与えられた地を占領しに行くのをあなたがたはいつまで伸ばしているのか。部族ごとに三人の者を出しなさい。その者たちはその地を行き巡り、自分たちの相続地に従がってその地なついて書きし、私の所に戻ってきなさい。私たちの神の前であなたがたのためにくじを引いて相続地を割り当てる。」 

 「神の前でくじを引く」とは公平に相続地を割り当てるための方法であるというよりも、人が神の思いを知るための方法です。相続地を偵察に行った人々がヨシュアのもとに来ました。そこでヨシュアは神の前で彼らのためにくじを引きました。ヨシュアたちのくじ引きは神の判断に自分を委ねて神の心を知るための行いでした。

 聖書にはもう一つ印象深いくじ引きのことが記されています。旧約聖書詩篇22篇18節でこう語られています。
 「彼らは私の衣服を分け合い 私の衣をくじ引きにします。」(新改訳2017)

 「私」とは救い主キリストのことです。キリストの服がくじ引きされるというのです。このことばの通りのことが何百年も後に実現しました。新約聖書マタイの福音書27章35節でこう語られています。
 「彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いてその衣を分けた。」(新改訳2017)

 「彼ら」とはローマ兵のことです。十字架につけられたキリストの前でローマ兵たちがくじ引きをしたのです。

 この詩篇のことばが実現したということは、キリストが救い主であること、そしてキリストの十字架が神による救いであることを表しています。

 聖書は神の救いがキリストの十字架によって私たちに与えられることを教えています。
 明日は日曜日です。神を知り、神の救いを知るために、お近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2018.6.30放送でのお話より )
 
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このサイトは URL名として
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が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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■主の守り / 関根弘興

2018年08月03日 | Weblog
2018/6/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は旧約聖書の詩篇121篇の最初の部分をお読みいたしましょう。

 「私は山に向かって目を上げる。
   私の助けは どこから来るのか。
   私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
   主は あなたの足をよろけさせず
   あなたを守る方は まどろむこともない。

        (旧約聖書 詩篇121篇 1~3節 新改訳2017)


 聖書の神様は天地を造られたお方で、あなたを守る方だ。そしてまどろむこともない、眠ることもないお方です、と約束されているんですねえ。私なんかはいつもまどろんでばかりですから、何とも心強いことばです。

 ところで、日本語の「守る」ということばは「め」ということばと「みる」るということばの合成語だと言われています。「めみる」が「まもる」になったと言われているんですねえ。ですから守るということばの本来の意味は「ずっとそのものから目を離さないで満続けている」という意味があると言われます。

 聖書の神様はあなたを守る方だと書いてありますよねえ。そしてまどろむことなく眠ることもない、ずうっと神様はあなたを見続けているんですよ、こう言うんです。でもそれがどうして守りなのでしょう。神様があなたを見ているなーんて聞くと、ヤバイって感じるふうに思う人もいるかもしませんね。

 私は小さい時、いたずらをすると母から叱られまして、「弘興(ひろおき)、私たちの目はごまかせても神様はいつも見てるのよ。」 こうよく言われました。いや、まいったなあ、神様は俺のいいところは見て無くて、悪いところばっかり見てるのかよー、と思ったりもしたことがありました。

 後ろめたさがあると見られているということは大変嫌なことですね。でも、大分前ですけど、子どもと外で遊んでいるときに、神様のこのことばがとても身近で力強い安心に満ちたものだっていうことが分ったんです。それは子どもが遊んでいる時に私が、「○○ちゃん、ここで遊んでいていいよ。ずっとお父さんが見ていてあげるから。」 この一言で子どもは安心しきって思いっきり遊ぶんですねえ。何かを挑戦するときに、「大丈夫だよ。お父さんがちゃんと見ていてあげるから。」 すると子どもはいろんなことに挑戦していったのです。

 天地を造られた神様があなたに「大丈夫だよ。見ていてあげるから。」と語りかけてくださるほど力強い確かな守りはないのですね。

  (PBA制作「世の光」2018.6.29放送でのお話しより)

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■十戒 -自由への励まし 65/  大嶋重徳

2018年08月02日 | Weblog
2018/6/28放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。 十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。
 十戒の第六戒に「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。この戒めへの本質的な疑問は、人は本当に殺してはならないのかということです。

 実は私じたちは漠然と考えている訳です。人を殺すのは本当にいけないことか、なぜ殺してはいけないと言えるのか。よく言われることは人間は自分も自分の愛する人たちも殺されたくはないでしょう、だからあなたも殺してはならないんだでよ、という答えです。あるいは、あなたが殺されること、死ぬことを悲しむ人がいるでしょう、とも言われます。しかし私には愛する人もいないし自分自身などいつ死んでも構わない、あなたの悲しみは私に何の関係があるのか、という人の前に立つならばこの答えは時に力を失ってしまいます。あなたは何と答えるでしょうか。

 私たちは「殺してはならない。」の究極的な理由もまたこの十戒を与えてくださった神様の存在を前提にしなければ、この世界で殺してはならない自由の完全な答えなどはないのだと思います。

 自分の人生が偶然の連続で、本当は望まれて生まれてきた訳ではないのだ。誰も自分が生きている事を喜んでなんかいない、と思うならば、私たちは生きることが辛くなってきます。

 しかし神様との交わりに生きるとき、神は私たちに、「あなたはわたしのもの」と語られ、神は「人間のいのちの所有者はわたしだ」と力強く宣言されるのです。その意味で、殺すという事は神様の所有を犯すことを意味するのです。それは自分のいのちであっても、他人のいのちを奪うことであっても同じことです。

 私たちが聖書に見るときに、聖書の一番最初に神によって造られたいのちが語られます。そこで私たちのいのちの所有者が神であることを知ります。ああ自分は自分で生きてきたように思っていたけれど、自分が生かされてきたんだな、という事に気がつかされていきます。そして自分の人生は神様が愛していのち与えてくださった人生なんだ、神様が目的を持って生かしてきてくださった人生なんだ、と受けとめていくとき、私たちは自分のいのちの所有者が神様であることがうれしくなってきます。

 今日もあなたが生きていることを喜んでおられる神様の眼差しがあなたに注がれています。その神の眼差しの中を歩んで行きたいと思います。

   ( PBA制作「世の光」2018.6.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■息を吹き込まれた / 福井 誠

2018年08月01日 | Weblog
2018/6/27放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「息を吹き込まれた」です。 創世記2章7節から読んでみましょう。
神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(新改訳2017)

 神がいるのかいないのか、多くの人は半信半疑であるかと思います。いると思えばいるし、いないと思えばいない。しかし大自然を見るときに、これを極めて深い知恵をもってお造りなった神がいると考えた人は多いことでしょうね。また人類の歴史を見るときに、確かに正しい神がおられて歴史を守り導いているということを思った方も多いでしょう。自然や歴史は私たちにおぼろげながらに、神がいるのではないか、という思いを与えてくれます。けれども、神がいるかどうかについては聖書を読むときに、いよいよはっきりと明確に理解されるものです。

 そこで聖書の第一頁を開きますと、「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1章1節)と書かれています。このことばに、同志社大学を創設した新島 襄さんは、自分の知らない神がいた、天と地をお造りになり万物を支配しておられる神がいるのか、その神を信じよう、と決心したと言われます。

 もし神という偉大なお方がおられるならば、私たちは幾らこの小さな頭の中で考えていても、消して分からないことでしょう。神様ご自身からいろいろと語ってくださらなければ思考にも知恵にも限界のある私たちが無限で人間社会を超絶した神を理解するなど到底不可能です。

 そこで聖書は、その神が天と地を創造し私たち人間をお造りになり、そして私たちに何を期待し、何を願っておられるかを明らかにしているのです。

 聖書によれば、人間は神のかたちに造られています。それは神のきよさや神の正しさ、神の愛といった内面のかたちに似せて作られたということです。ですから人間は尊い存在でもあるのです。

 そして人間には神のいのちが吹き込まれました。ですから人間はいのちを大事にしなければならないのですし、これを与えてくださった神を愛さなければいけないのです。

 ぜひ聖書を読み続けて、私たちをお造りになった神が共におられる祝福をはっきりとつかんでいきたいものですね。

(PBA制作「世の光」2018.6.27放送でのお話より )

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