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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 -自由への励まし 65/  大嶋重徳

2018年08月02日 | Weblog
2018/6/28放送

世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
 聖書には十戒と呼ばれる神と人との間に結ばれた約束があります。 十戒をはじめとした聖書のことばは人間を縛りつけるものではなく、自由へと導くためのことばなのです。
 十戒の第六戒に「殺してはならない。」(出エジプト記20章13節 新改訳2017)とあります。この戒めへの本質的な疑問は、人は本当に殺してはならないのかということです。

 実は私じたちは漠然と考えている訳です。人を殺すのは本当にいけないことか、なぜ殺してはいけないと言えるのか。よく言われることは人間は自分も自分の愛する人たちも殺されたくはないでしょう、だからあなたも殺してはならないんだでよ、という答えです。あるいは、あなたが殺されること、死ぬことを悲しむ人がいるでしょう、とも言われます。しかし私には愛する人もいないし自分自身などいつ死んでも構わない、あなたの悲しみは私に何の関係があるのか、という人の前に立つならばこの答えは時に力を失ってしまいます。あなたは何と答えるでしょうか。

 私たちは「殺してはならない。」の究極的な理由もまたこの十戒を与えてくださった神様の存在を前提にしなければ、この世界で殺してはならない自由の完全な答えなどはないのだと思います。

 自分の人生が偶然の連続で、本当は望まれて生まれてきた訳ではないのだ。誰も自分が生きている事を喜んでなんかいない、と思うならば、私たちは生きることが辛くなってきます。

 しかし神様との交わりに生きるとき、神は私たちに、「あなたはわたしのもの」と語られ、神は「人間のいのちの所有者はわたしだ」と力強く宣言されるのです。その意味で、殺すという事は神様の所有を犯すことを意味するのです。それは自分のいのちであっても、他人のいのちを奪うことであっても同じことです。

 私たちが聖書に見るときに、聖書の一番最初に神によって造られたいのちが語られます。そこで私たちのいのちの所有者が神であることを知ります。ああ自分は自分で生きてきたように思っていたけれど、自分が生かされてきたんだな、という事に気がつかされていきます。そして自分の人生は神様が愛していのち与えてくださった人生なんだ、神様が目的を持って生かしてきてくださった人生なんだ、と受けとめていくとき、私たちは自分のいのちの所有者が神様であることがうれしくなってきます。

 今日もあなたが生きていることを喜んでおられる神様の眼差しがあなたに注がれています。その神の眼差しの中を歩んで行きたいと思います。

   ( PBA制作「世の光」2018.6.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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