♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■主の守り / 関根弘興

2018年08月03日 | Weblog
2018/6/29放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
 今日は旧約聖書の詩篇121篇の最初の部分をお読みいたしましょう。

 「私は山に向かって目を上げる。
   私の助けは どこから来るのか。
   私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。
   主は あなたの足をよろけさせず
   あなたを守る方は まどろむこともない。

        (旧約聖書 詩篇121篇 1~3節 新改訳2017)


 聖書の神様は天地を造られたお方で、あなたを守る方だ。そしてまどろむこともない、眠ることもないお方です、と約束されているんですねえ。私なんかはいつもまどろんでばかりですから、何とも心強いことばです。

 ところで、日本語の「守る」ということばは「め」ということばと「みる」るということばの合成語だと言われています。「めみる」が「まもる」になったと言われているんですねえ。ですから守るということばの本来の意味は「ずっとそのものから目を離さないで満続けている」という意味があると言われます。

 聖書の神様はあなたを守る方だと書いてありますよねえ。そしてまどろむことなく眠ることもない、ずうっと神様はあなたを見続けているんですよ、こう言うんです。でもそれがどうして守りなのでしょう。神様があなたを見ているなーんて聞くと、ヤバイって感じるふうに思う人もいるかもしませんね。

 私は小さい時、いたずらをすると母から叱られまして、「弘興(ひろおき)、私たちの目はごまかせても神様はいつも見てるのよ。」 こうよく言われました。いや、まいったなあ、神様は俺のいいところは見て無くて、悪いところばっかり見てるのかよー、と思ったりもしたことがありました。

 後ろめたさがあると見られているということは大変嫌なことですね。でも、大分前ですけど、子どもと外で遊んでいるときに、神様のこのことばがとても身近で力強い安心に満ちたものだっていうことが分ったんです。それは子どもが遊んでいる時に私が、「○○ちゃん、ここで遊んでいていいよ。ずっとお父さんが見ていてあげるから。」 この一言で子どもは安心しきって思いっきり遊ぶんですねえ。何かを挑戦するときに、「大丈夫だよ。お父さんがちゃんと見ていてあげるから。」 すると子どもはいろんなことに挑戦していったのです。

 天地を造られた神様があなたに「大丈夫だよ。見ていてあげるから。」と語りかけてくださるほど力強い確かな守りはないのですね。

  (PBA制作「世の光」2018.6.29放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。