goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■だれが破りえよう / 福井 誠

2015年03月19日 | Weblog
2015/3/19放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「だれが破りえよう」です。それではイザヤ書14章27節から読んでみましょう。

 「万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。

 イザヤ書14章はイスラエルを取り囲む国々の一つバビロンに対するさばきのことばが書かれている所です。この時まだバビロンはそれほど大きな国ではありませんでしたがやがて時の超大国アッシリヤを凌ぐ勢いをつけてイスラエルを打ち滅ぼす神の道具として用いられるようになります。アッシリヤを打ち破ったバビロンはその後、「暁の子」「明けの明星」と言われるほどに栄華を極めていくのです。それもつかの間、無残にも敗北させられていきます。それはバビロンが密雲の頂きに上り、いと高き方のようになろう、つまり神のようになって全世界に君臨しようと、驕り高ぶったからです。自分に勢いを与え世界の覇者としてくれた神を認めず、神に栄光を帰すことなく、傍若無人に振る舞った時にバビロンは裁かれていくのですね。

 大切なのは歴史を支配し正しいことを導かれる神様がおられることを認めることです。目には見えませんが、この世界には物事を正しく導かれる神がおられます。悪いことは悪いとし、良いことは良いとされる神がいるということです。

 確かに人間の歴史を振り返る時に、私たちの身近な小さな組織から大きな国家に至るまで歴史は目に見えない神の存在を証ししています。時代が大きく右に振れてあるいは左に振れてねじ曲がっていくときにそれは何者かの手によって元の正しい位置に復元させられていくのを私たちは経験しているのです。つまりそうした時代の流れからこの歴史を支配しておられる神がおられることを覚えて神を畏れて歩まなければいけないということですね。

 神は仰せられます。
 「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。・・・万軍の主が立てられたことを誰が破り得よう。」 イザヤ書14章24節、27節

 力強い御手を持った神がおられます。その神があなたと共に生きてくださることを知っていただきたいのです。

(PBA制作「世の光」2015.3.19放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■かえるの大群(災害 その二) / 板倉邦雄

2015年03月18日 | Weblog
2015/3/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「かえるの大群(災害その二)」です。

 田畑のある田舎に育った私は蛙と一緒に育ちました。しかし、蛙の大群と遭遇したことはありません。

 さて、エジプト全土を襲った第二の災害は蛙の大群でした。ナイルの川が血の色に変わって一週間が経ちました。主なる神はモーセに言いました。「あなたはパロ王様の所に行ってこう言いなさい。『王様、主なる神はこう言われています。わたしの民をエジプトから去らせてわたしに礼拝させるようにしなさい。しかし解放するのを拒むならばわたしは蛙の大群をもってあなたの国を隅々まで打つであろう。ナイル川から蛙の大群が登り、あなたの家、あなたのベットに上る。あなたの家来と全国民の家に入り、あなたとあなたの家来、あなたの国民の身体に這い上がるであろう。』 」
 
 王様は聞く耳を持ちませんでした。モーセはアロンに言いました。「杖を持って手を川の上、流れの上、池の上に差し伸べ、蛙の大群をエジプトの全地に登らせなさい。」

 蛙の大群がエジプト全土を覆い尽くしました。蛙の大群がナイル川や池から登ってきました。台所にも風呂場にも風呂桶にも、そして寝室にも入ってきました。夜になれば蛙の大群の合唱で寝られません。気持ちは悪いし、うるさいし、王様と国民は困りはててしまいます。蛙に帰ってもらいたくなりました。帰れコールとなったでしょうねえ。
 王様はモーセとアロンを呼んで訴えました。「頼むから蛙を私と私の国民から取り去る様に主なる神に祈ってくれないか。私の好みを聞いてくれたら、その時あなたの国民を去らせて主という神を礼拝させても良い。早くしてくれ。明日までに頼む。」

 モーセとアロンは出て行って蛙の大群について主なる神様に祈り呼び求めたので蛙の大群は家から庭から畑から死に絶えました。蛙の死骸の山が一山、一山と積み上げられ、全地は悪臭が漂うようになったのです。ところが王様は息つく暇ができたのを見て、主なる神様が言われたようにその心を頑なにして、約束を破ってしまいました。

 (PBA制作「世の光」2015.3.18放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■主の祈り 9 / 大嶋重徳

2015年03月17日 | Weblog
2015/3/17放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが弟子たちに教えられた「主の祈り」という祈りが記されています。主の祈りは「天にまします」と祈ったあとに「父よ」と祈ります。

 ここで一つの問いを皆さんにしたいと思います。すべてを知っておられる神に祈る必要はあるのか、という問いです。悟りを語る仏教において親鸞は無祈祷を語りました。悟り得たものが一体何を祈るのだろうかという意味です。もし祈らなければならない神であるならば、その神は実は何も分かっていない愚かな神だとも言えるでしょう。皆さんはこの問いにどのようにお答えになるでしょうか。

 この問いの答えはこうです。私たちが祈る神様は宇宙の概念でもなく、自然界そのものでもありません。祈る先におられる神は父と言われる人格的な神様だということです。

 私の息子が小さかった時に、家族で一緒にお出かけをしました。公園でキャーキャー言いながら遊んだあと、その帰りの車の中で、息子は今日一日あったことを話してくれるんです。「お父さん今日ねえ、僕はねえ、滑り台で滑ってると、もうすごい勢いで、すーっと滑ってものすごい怖かったんだよ。」 その話を聞きながら私は「いやいや、お父さん、そこにたでしょ。もうその事は知っているからそんな話を今しなくていいよ。」なあんて言いません。息子が私に嬉しそうに話してきてくれることは私も嬉しいのです。
 また娘の誕生日には一緒に買い物に行きます。娘に、「何が欲しいの?」と聞きながらも、本当は妻から娘が欲しいものが何かは聞いて知っているのです。しかし、買い物をしながら、「何がいいかなあ」と二人で話している時間が私にとって喜びなのです。

 神様が私たちの父である神であるならば、キリスト教信仰においても祈らずとも神はすべてを御存知であると言い得ます。しかし、私達の信じている神様は祈りという交わりに私たちが入って来ることをこの上もなく喜んでおられる父という神様だということです。祈りの中で今日私にあったことをあれやこれやと一緒に話したいと願っておられる神様です。この父と呼ばれる神様が私たちの祈りを今日も聞きたいといって待っていてくださいますから、私たちはすべてを知っておられる神様になお今日も祈りを捧げたいと思います。

  ( PBA制作「世の光」2015.3.17放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■弟子たちを選んだ目的 / 関根弘興

2015年03月16日 | Weblog
2015/3/16放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。イエス様は十二人の弟子を選びました。でもこの十二人はみんな違う---十人十色と言いますけれども---みんな違いのある人達でした。イエス様は何のために彼らをお選びなったのでしょう。福音書には三つの目的が書かれています。

 第一は、彼らをご自分の身近に置くということでした。イエス様はご自分の身近に彼らを置いて、ご自身の愛と恵みの中で憩わせるために彼らをお選びになったというのですね。

 二番目は、彼らを遣わして福音を宣べさせるためだというんです。弟子たちは福音を宣べ伝えていく者として任命されました。イエス様の身近にいることによって、イエス様の素晴らしさを味わいそれを伝えていきなさいという訳ですね。そして後に弟子たちは、イエス様がまことの救い主であること、イエス様が人々の罪のために自ら進んで十字架につけられ墓に葬られ三日目に復活されたことを彼らは知りました。そしてイエス様の目撃証言者として、全世界に出て行ってイエス・キリストこそ真の救い主だと宣べ伝えていく者になっていきました。

 そして第三は、悪霊を追い出す権威を持たせるためと福音書に書かれているんです。「悪霊」なんて聞くと、何だかオカルトの世界のような感じがしますよね。恐ろしい化けもののような姿を想像してしまうかもしれません。でも聖書が教えていることは、この世界には私たちをまことの神様から引き離そうとする力があること、私たちの間の中に妬みやまた憎しみや分裂や混乱をもたらそうとする力があるということを教えているんです。でもそのような力よりもはるかに偉大な力を持っておられるイエス様が守ってくださるんだ、ということを伝えるために弟子たちは選ばれたというのです。

 実はこの弟子たちが選ばれた訳ですけども、イエス様はあなたにも同じように語っているんですねえ。イエス様は「わたしはあなたを離れず、あなたを捨てない。共に歩もう。」と約束されるのです。一人ひとりを、あなたを、私を、ご自分の身近に置き、何があっても大丈夫という約束の中に生かそうと約束してくださるんですね。

 イエス様の福音って一体何でしょう。イエス様は嵐の中で戸惑う弟子たちに「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」(マタイ 14:27、参照マルコ 6:50 、ヨハネ 6:20)と言われました。「シャローム(平安があるように)。」と言われました。「いつもわたしはあなたと共にいる。」(参照マタイ 28:20 )と約束しました。これら一つ一つのことばは福音そのものです。そしてこれらのことばを凝縮すれば、「大丈夫」という一言になると思うんですねえ。イエスはこのラジオを聴いているあなたにも、「大丈夫」と語ってくださるのです。福音に生きるとはイエス様の大丈夫というこの声を聞いて、受け入れ、生きていくことなんですね。

 (PBA制作「世の光」2015.3.16放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■神のさばきと救い / 羽鳥頼和

2015年03月14日 | Weblog
2015/3/14放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は旧約聖書のゼパニヤ書からお話しします。この書には度重なる警告にもかかわらず罪を悔い改めないユダの国に対して神がさばきを行われることが重々しく語られています。神はユダの人々に対して「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ」(ゼパニヤ書 2章1節)と言います。

 「恥知らず」とは「顔が変わらない」という意味のことばが使われていて、悪いことを認めない悔い改めないユダの人々を表しています。神はユダの人々にさばきの最後通告をします。「神の教えを守ろうと罪を認め悔い改める者は神を尋ね求めよ。義を求めよ。柔和を求めよ。そうすれば、さばきの時に守られるかもしれない。」(ゼパニヤ書 2章3節参照) もうユダヤの裁きは避けることができないのです。神の裁きはユダの周りの諸外国にも及びます。神の裁きを逃れることのできる者はないように思えます。

 しかし神はすべての者が裁かれるそのとき、ある「人々はみな、自分のいる所で主を礼拝し、国々のすべての島々も主を礼拝する。」(ゼパニヤ書 2章11節)と言います。この人々とは「民の残りの者」(ゼパニヤ書 2章9節)と呼ばれる人々です。自分の罪を悔い改め、神の裁きが行われる中で信仰を失わず、ひたすら耐え忍んだ人々なのです。

 更に神は終末の時代について語られます。
そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。」(ゼパニヤ書 3章9節)というのです。ユダの人々だけでなく外国の人々までも神を礼拝するようになるのです。

 新約聖書テモテへの手紙第一 2章4節に、神の本当の気持ちがこのように記されています。
 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」 

 そこで神は、罪深い者を救うためにイエス・キリストを遣わされました。キリストの十字架は心の頑なな私たちを救うためのただ一つの救いの道なのです。

 イエス・キリストは言われます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父なる神のみもとに来ることはできません。」(ヨハネ 14章6節参照)

 明日は日曜日です。救いを得るためにぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.3.14放送でのお話より )
 
***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■神の恵みを受け取る / 岩井基雄

2015年03月13日 | Weblog
2015/3/13放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。先月から旧約聖書 創世記のヤコブという人について学んでいますね。彼は双子の弟として生まれ、兄エサウとの葛藤の中を歩むという波乱万丈の人生を送りました。エサウとヤコブの兄弟は正反対の個性を持っていたのです。エサウは山々で狩りをする野の人であり、ヤコブは羊を飼う人でした。そして父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛したのです。親それぞれの偏った愛情は双子の兄弟の心をゆがめ傷付けることもあったと思われます。母リベカは神から兄が弟に仕えるというメッセージを受けていましたが、ヤコブ夫妻がそれを受けとめるという姿勢は見られませんでした。夫婦のコミュニケーションそのものが破れていたのでしょうね。

 ある日、兄エサウが狩りを終え野から帰ってきた時、空腹だったエサウは弟ヤコブが差し出した一杯のレンズ豆と引き換えに、長男としての権利、長子の権利をヤコブに譲ってしまいました。この長子の権利は当時のイスラエルの社会の中でとても重要で普通なら兄弟に譲るなどということは考えられないものでした。しかし空腹に負けたエサウはいとも易々とその権利を放棄したのです。

 このエサウの愚かさを聖書はこう語っています。
 「こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」 創世記25章34節

 空腹で帰宅した兄を待ち構え、交換を提案したヤコブもまた計算高い人間です。しかし神の祝福よりも目の前の利益を優先させ長子の権利を軽蔑した軽率なエサウについて新約聖書でも「俗悪な者」と表現され、「彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。」とさえ言われています。 ヘブル人への手紙12章16節、17節

 すべての人に問題があり罪があります。しかし罪を認め、神の取り扱いを願う素直な心はすべての人にあるわけではありません。あなたはいかがでしょうか。軽率な判断や計算高い心など問題を持つ私たちです。神様の取り扱いを受け入れる謙遜さを持ち砕かれた心を与えられていきたいですね。

 聖書のことば
 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。
  旧約聖書 詩篇34篇18節

(PBA制作「世の光」2015.3.13放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■万軍の主が召集する / 福井 誠

2015年03月12日 | Weblog
2015/3/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「万軍の主が召集する」です。それではイザヤ章13章4節から読んでみましょう。
 「聞け。おびただしい民にも似た山々のとどろきを。聞け。寄り合った王国、国々のどよめきを。万軍の主が、軍隊を召集しておられるのだ。

 イザヤ書の1から12章はイスラエルに向けて語られた裁きと回復のメッセージでした。13章から23章までがまたもう一つの区切りとなっており、イスラエル以外の諸外国、バビロン、ペリシテ、モアブなどに対するさばきのメッセージをまとめたものになっています。今日読む13章はバビロンに対するメッセージです。

 当時、バビロンは強国でしたが、まだアッシリヤに勝る勢力を誇っていた訳ではありませんでした。しかし神はそのバビロンがアッシリヤをしのいで、やがてユダを打ち滅ぼす国となることを語っているのです。

 「聞け。おびただしい民にも似た山々のとどろきを。」と言うのは、まさにバビロンの軍隊の威勢のよさを語るものです。それは万軍の主つまり神様が召集し整えたものであるというのですね。

 ところがそのバビロンもやがて神様の裁きを受けることになる、とイザヤはバビロンのこれからの姿を次々と明らかにして行きます。大切なのは歴史を動かしているのは強国のバビロンではない。バビロンをご自身の裁きの道具とされる神ご自身だ、と言うことですね。国が興り国が滅ぶのは、単に優れたリーダーの興亡の物語ではありません。優れたリーダーシップを演ずる機会を与えてくださる神様に導かれて起こっている事柄です。人間の愚かな失敗あるいは知恵ある成功によって起こっていることではなく、すべては神が許しあるいは成り立たせている出来事なのです。現代の日本の政治も同じでしょう。アメリカもヨーロッパも国際秩序を成り立たせているのは神様であって、一握りの政治家の思う通りに、ということではありません。人間はそんなに完璧に人生を歩んでいる訳ではないのです。となれば逆に穴だらけの人生であっても良きに期待することができます。人生を導かれる神を畏れ、神に期待し従いたいものですね。

(PBA制作「世の光」2015.3.12放送でのお話より )

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■血の川(災害その一) / 板倉邦雄

2015年03月11日 | Weblog
2015/3/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「血の川(災害その一)」という題でお話ししましょう。

 川は私たちの生活にとって大切な物です。たくさんの生き物がいます。飲み水になります。洗濯場や水浴場にもなります。田んぼや畑への水引きとなるでしょう。エジプトの国のナイル川もそのような母なる川でした。

 さて、エジプトの王様は強情でした。イスラエル人の出国を許しませんでした。しかし神様はモーセに命じました。
 がっかりしてはいけない。朝になったらまた王の所へ行きなさい。王はナイル川へ水浴びに行く。この前、蛇に変わったあの杖を持って岸辺で待っているのだ。会ったらこう言いなさい。「ヘブル人の神、主が私を遣わしました。『荒野で神を礼拝できるように民を行かせなさい。この前はわたしの言うことを聞こうともしなかった。今度こそわたしが神であることを必ず思い知るだろう。モーセに杖でナイル川の水を打てと命じたからだ。川は血に変わるだろう。魚は死に、水は臭くなり、エジプト人は水を飲めなくなってしまう。』と主なる神は言われます。」

 そこでモーセとアロンは命じられた通りにしました。王様と側近たちの見守る中でアロンが杖でナイル川の水面を打ちました。するとどうでしょう、みるみる真っ赤な血に変わったのです。魚は死に、水は臭くなって飲めたものではありません。国中どこへ行っても血で一杯です。しかしエジプトの魔術師たちも秘術を用いて水を血に変えて見せたので、王様は相変わらず強情を張り、モーセとアロンには耳を貸そうともしませんでした。エジプトの民たちは水を手に入れるため川岸に沿って井戸を掘ったのです。

 さて、国の指導者や上に立つ人が心を頑固にして人のことばに耳を貸さなくなると一番苦労するのはその下にいる人々であり国民なのだ、ということが分りますねえ。一家の長である父や夫、職場の上司、人々を指導する先生、そして国の指導者たちの心が頑固で強情にならないように祈って参りましょう。

 聖書のことばです。
 「王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。
   テモテの第一の手紙 2章の1節から2節 口語訳聖書

 (PBA制作「世の光」2015.3.11放送でのお話より )

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblica.info 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

***

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

***




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■主の祈り 8 / 大嶋重徳

2015年03月10日 | Weblog
2015/3/10放送

  世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが弟子たちに教えられた「主の祈り」という祈りが記されています。この祈りは「天にまします我らの父よ」と祈ります。ここで私たちは天と言う所に場所を持っておられる神様は私たち人間の目が目に留めないようなところをも天という場所から神様は見ていてくださることを知ることができるのです。

 天におられる神の前に立つとき、私たちはどんなに人から認められなかったとしても、神様は必ず見ていてくださるという慰めを与えられます。私たちの悲しみは誰も私を評価してくれないという思いに陥るとき、その悲しみは度合いを深めます。しかし、「天にまします」と祈る時に、誰も誉めてくれなかったとしても神様は見ていてくださるのです。誰も起きてこない台所で早起きをし家族のために朝食を作りお弁当を作るあなたの姿を見て、父なる神様は「我が子よ、良くやった」、そう言ってくださるのです。誰も見ていない場所で誰に誉められることのない小さな仕事を誠実にやり遂げるあなたの姿を天におられる父は必ず見ていてくださるのです。世の中はいつも人の目に留まるような大きな仕事を評価するでしょう。しかしその評価もまた時代によって場所によって人によっても幾らでも変わっていくことでしょう。しかし、私たちが天から見ていてくださっている父なる神の眼差しを感じて生きて行くときに、私たちの生きる力は変わりゆく人の評価ではなく、変わらずに私を愛してくださる方の思いの中で生きることができるのです。

 更に、もしあなたが大きな失敗をし、振り返りたくもない罪を犯したとしても、それゆえにどんなに自分の心を自分で裁いたとしても、「天にまします」と、神側の目線を思い浮かべるときに、神様は「あなたを赦しているよ」と天の場所から高らかに世界に向かって宣言してくれるあの十字架の声が聞こえて来るのです。ですから、私たちがどんなに心の余裕を失い、孤独に、生きる意味を見失ったとしても、「天にまします」と祈るときに、あの天におられた神の子イエス様が地上で人となられた今、私とあなたと共にいてくださることを確信することができるのです。そのとき、私たちは孤独ではありません。

  ( PBA制作「世の光」2015.3.10放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■違いのある弟子たち / 関根弘興

2015年03月09日 | Weblog
2015/3/9放送


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 イエス・キリストの公の活動期間はわずか3年ちょっとでした。そしてイエス様はその間に12人の弟子をお選びになったんです。
 もしあなたがこれから世界を変えようとしてメンバーを集めようとするなら、どんな人たちを集めますか? それは能力がある人たちを集めようとしますよね。話し上手な人、経理担当、マネージメントに長けた人、神学的にしっかりとした知的な人、まあボディガードも必要だろうというようなことで優秀な人たちを集めようとします。
 ところがイエス様が選ばれた12人の弟子のリストを見ると、どうしてこの人たちが選ばれたのだろうと首をかしげたくなるような人たちでした。その弟子の中にはガリラヤ湖の漁師たちがいました。短気な者たちもいたようで、イエス様から「雷の子」とあだ名される者もいました。ユダヤの社会から嫌われていたローマ政府にですね税金を納めるために働いていた取税人もいました。一方で、ユダヤ教の中でも特に排他的で国粋主義者と言われるようなローマ政府打倒と叫んでいたような男もいたんです。まあ水と油とような12人ですよね。本当にこんな人たちでまとまっていくのだろうか。どうしてこうも違う人たちを選ばれたのだろうかと思います。

 でもこのリストを見るたびに何だか励まされる思いも持ちませんか? イエス様は違いのある人たちを弟子として選ばれたんです。背景も性格も全然違います。けれどもたった一つだけ共通点があるんです。それは一人ひとりがイエス様に招かれ、「はい、従います」と言ってイエス様について行ったという、こういう事実です。イエス様の招きに応えたということが彼らの唯一の共通点だったんですねえ。

 私は教会という場所は本当に間口の広い所だと思うんです。なぜならみんな違う所から来ていますし、背景も性格も職業も学歴も違います。違うことばかりですね。でも共通点が一つあるんです。それはイエス様の招きに、「はい、ついて行きます」と応答したかどうかということなんです。そのイエス様の招きに答えて行くということは実は違いを乗り越えた世界がそこに生まれて来るということでもあるんですね。
 パウロはエペソ人への手紙の2章の14節で、キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわす方だと記しています。
 私たちの間にはいろんな隔ての壁があります。しかしイエス様の招きに生きる時、その隔ての壁が打ち壊されていくんですね。

 (PBA制作「世の光」2015.3.9放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする