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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の恵みを受け取る / 岩井基雄

2015年03月13日 | Weblog
2015/3/13放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。先月から旧約聖書 創世記のヤコブという人について学んでいますね。彼は双子の弟として生まれ、兄エサウとの葛藤の中を歩むという波乱万丈の人生を送りました。エサウとヤコブの兄弟は正反対の個性を持っていたのです。エサウは山々で狩りをする野の人であり、ヤコブは羊を飼う人でした。そして父イサクはエサウを愛し、母リベカはヤコブを愛したのです。親それぞれの偏った愛情は双子の兄弟の心をゆがめ傷付けることもあったと思われます。母リベカは神から兄が弟に仕えるというメッセージを受けていましたが、ヤコブ夫妻がそれを受けとめるという姿勢は見られませんでした。夫婦のコミュニケーションそのものが破れていたのでしょうね。

 ある日、兄エサウが狩りを終え野から帰ってきた時、空腹だったエサウは弟ヤコブが差し出した一杯のレンズ豆と引き換えに、長男としての権利、長子の権利をヤコブに譲ってしまいました。この長子の権利は当時のイスラエルの社会の中でとても重要で普通なら兄弟に譲るなどということは考えられないものでした。しかし空腹に負けたエサウはいとも易々とその権利を放棄したのです。

 このエサウの愚かさを聖書はこう語っています。
 「こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。」 創世記25章34節

 空腹で帰宅した兄を待ち構え、交換を提案したヤコブもまた計算高い人間です。しかし神の祝福よりも目の前の利益を優先させ長子の権利を軽蔑した軽率なエサウについて新約聖書でも「俗悪な者」と表現され、「彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。」とさえ言われています。 ヘブル人への手紙12章16節、17節

 すべての人に問題があり罪があります。しかし罪を認め、神の取り扱いを願う素直な心はすべての人にあるわけではありません。あなたはいかがでしょうか。軽率な判断や計算高い心など問題を持つ私たちです。神様の取り扱いを受け入れる謙遜さを持ち砕かれた心を与えられていきたいですね。

 聖書のことば
 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。
  旧約聖書 詩篇34篇18節

(PBA制作「世の光」2015.3.13放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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