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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■重荷を担い、勝利を与えてくださる神 / 岩井基雄

2012年12月07日 | Weblog
2012/12/7放送

 世の光の時間です。お変わりませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇68篇19節から20節です。

 「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。」 旧約聖書詩篇68篇19節から20節

 人生の旅路に於いて私たちは仕事の責任や苦悩、病や将来の不安、言いしれない恐れや孤独など様々な重荷を担っていますねえ。しかしこの詩篇には「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。」と歌われています。それは神は私たちにとって救いの神であるゆえに私たちを救いだし、すべての重荷やそれに伴う不安や恐れも担ってくださる、というのです。

 しかも、「死を免れるのは、私の主、神による。」と更に続いていましたね。私たちの人生の重荷の最たるものは死への恐れや不安かもしれません。しかしその死に対しても私たちは勝利し、本当のいのちに導かれていきます。神様は私たちに命を与えたお方であるので、愛によって命を創造し、本物のいのち、永遠のいのちを用意して私たちを待っていてくださるからです。

 ではどのようにして死を免れ、死に打ち勝って勝利をすることができるのでしょうか。

 新約聖書の中に次のようなことばがあります。
 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。・・・神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」 新約聖書コリント第一の手紙15章55節、57節

 私たちの罪のために代りに裁かれ、死に打ち勝ってよみがえってくださったイエス・キリストによって神は私たちに勝利を与えてくださったというのです。神様はあなたが抱えている人生の重荷、心の深みにある恐れや不安を御存知です。そしてそのすべてを代わりに担い、イエス・キリストにある勝利にあなたを導かれます。

 あなたも真の勝利、永遠のいのちを受ける勝利の人生を歩み始めませんか?

(PBA制作「世の光」2012.12.7放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■いつそのようなことが / 福井 誠

2012年12月06日 | Weblog
2012/12/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「いつそのようなことが」です。それではマタイの福音書の24章3節から読んでみましょう。

 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」

 かつてイスラエルを旅行した際にエルサレムの神殿があったという場所に行ってきました。そこから谷を挟んで向こう側にオリーブ山が見えました。ああ、あそこからこちらを見てイエス様と弟子たちがこの話をしたのだと身近に感じるところがありました。

 さて当時エルサレムの神殿は白い大理石の作りで金の屋根を備え、夕日が沈む頃には実に美しく輝いたと言われます。完成までに約50年を要したというのですから、それは大変立派な建造物であったことでしょう。弟子たちもその壮大な姿を見ながら、これこそイスラエルの誇りだと思ったのではないでしょうか。

 しかしイエスはそんな弟子たちに言われるのです。。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」(マタイの福音書の24章2節)

 耳を疑うことばでした。そんなことが起こるわけが無い、と。しかしこの預言はそれから約40年後の紀元70年に実際のものとなりました。ローマに反逆したイスラエルはローマ軍に鎮圧され、エルサレムの神殿も徹底的に破壊されてしまったのです。誰がそんな政変を予測し得たことでしょうか。世の中、何があるか分からない、突然予測のつかない事態に巻き込まれてこれまでの生活が破綻するということがあるのですね。

 しかしイエスが語っていることは歴史的に繰り返す教訓的な出来事ではなくて最後的な決定的な出来事、つまりいずれこの世が終わるという現実に私たちは向かっているということなのです。神が始められたこの歴史は神が主権をもって閉じられる。その時が来るというのですね。

 いつその日が来ても驚いたり困ったりしない。神の前に隠し事のない、また備えられた歩みをさせて頂きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2012.12.6放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■人の一生と埋葬 / 板倉邦雄

2012年12月05日 | Weblog
2012/12/5放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか、板倉邦雄です。今日は「人の一生と埋葬」という題でお話ししましょう。人の一生は様々です。しかし共通していることは例外を除けば、死んで葬られる、ということでしょう。アブラハムの妻サラの一生は127年でした。そして夫アブラハムによって葬られます。創世記の題23章です。

 さて夫アブラハムは妻サラのために悲しみ泣きました。ところがいつまでも悲しみ泣いてばかりいられません。妻を埋葬する墓地がありませんでした。夫アブラハムは立って現地の人々にお願いします。「私はあなたがたの内の旅の者で寄留者です。私の妻が死んだので葬るためあなたがたの内に私の所有として一つの墓地をください。」 現地の人々は承諾してくれたのでアブラハムは更にお願いします。「できればエフロンさんの持っている畑の隅にある洞穴を代価を払いますので墓地として譲ってくださいますか?」 すると持ち主のエフロンさんは答えました。「いえ、私はあの畑をあなたに差し上げます。その中の洞穴も差し上げます。あなたの妻を葬ってあげてください。」 しかしアブラハムは無償で畑と洞穴を譲り受けることを拒み、代価を払うことを固持しました。そして銀貨を払って畑と埋葬用の洞穴を所有します。

 聖書はこう書き記しています。
このように畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々によってアブラハムの所有の墓地と定められた。」創世記23章の20節

 所有権の取得の場合、それが無償であっても代価を払う場合であっても公的な証人が大事なんですね。

 それにしても人の一生の死と埋葬ということが高価で尊い代価を払ってまでなされる大切なことだと言うことです。十字架で処刑されたイエス・キリストも新しい墓に丁寧に葬られました。

 もう一つのことはアブラハムが神様の約束の地で自分の所有地になったのは愛する妻サラの墓地だけだったという事実です。主なる神様は幾度もアブラハムに約束しました。「この地をあなたに与える。」と三度も言われているのです(創世記 12章7節、15章7節、15章18節)。しかし、現時点では妻サラの墓地だけだったのです。実はアブラハムから約600年後、約束の土地はアブラハムの子孫に与えられるのです。
 
( PBA制作「世の光」2012.12.5放送でのお話より )

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■共に生きるためのゆるし / 山中直義

2012年12月04日 | Weblog
2012/12/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 人を赦すというとき、そこには二種類の赦しがあるように思います。一つ目は自分本位の上から目線の赦し。赦してやるというような赦しがあるように思います。

 しかしもう一つ、相手を本当に愛し思いやり、その人を生かそうとするそんな赦しがあるように思います。

 旧約聖書創世記43章に登場するヨセフは自分を奴隷として売り渡した兄たちを赦そうとしていました。

 20年前この兄たちはこのヨセフを奴隷として売り飛ばしましたが、神様がこのヨセフと共にてくださり守り導いてくださった。そしてヨセフはとうとうエジプトの総理大臣にまで上りつめたと聖書は言います。

 さてそのヨセフの前にあの兄たちが現れたと言います。深刻な食糧飢饉の中で食物を求めてエジプトの総理大臣のもとにやってきたというのです。ヨセフは兄たちを赦す思いをすでに持っていました。しかし不思議なことに彼は自分の正体を隠しながらあの十人の兄たちと関わりを持ち続けたと言います。それは単に上から赦してやるっていうことではなくて彼らにとって本当に何が最善かをよく考えた上での丁寧な赦しの行為であったと聖書は教えています。

 この十人の兄たちが今度は本当に家族を、兄弟を愛するかどうかそのことを実践する機会を与えようと、チャンスを与えようとヨセフは丁寧に関わろうとした。聖書はそう言うのです。

 人を赦すそのとき、上から赦してやるということではなく、何が本当に相手のためになるのか、人を生かすそのための赦しを目指したいと思わされます。

 そしてそんな赦しこそが人に本当の意味で罪を気づかせ悔い改めに導かせそして再び歩かせるものになるのではないかと思うのです。

 聖書が教えている神様の赦し、それはあなたを愛し思いやりあなたを生かそうとする深い赦しであると聖書は教えています。

 イエス・キリストは私たちを赦すために罪を赦すために十字架におかかりくださったと言います。

 このイエス・キリストの十字架を本当によく知る時に私たちは罪を知り悔い改めに導かれ本当の意味で喜んで生きることができるようになると聖書は教えています。

 あなたを赦そう、あなたを生かそうとしていてくださる神様の赦しをどうぞあなたも受け入れてくださいますよう。

(PBA制作「世の光」2012.12.4放送でのお話しより )

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■どこにおられるのですか? / 関根弘興

2012年12月03日 | Weblog
2012/12/3放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興です。

 今、新約聖書のヨハネの福音書からイエス・キリストはどのようなお方なのかという事をお話しをしています。

 その人がどのような方かを知る方法としては幾つかあると思いますけれども、まずは自己紹介によって知ることができますね。例えば「私は関根弘興と言います。牧師をやっています。」 ま、このように自分で自分を紹介することによってその人のことがわかって来る訳です。

 それと共にもう一つは、他の人がその人を紹介するということによっても知る事ができますね。新約聖書の福音書を読みますとイエス・キリストが公の働きを始められるとき、イエス・キリストを紹介した人物が登場します。この人は多くの人に洗礼を授けていたヨハネという人でした。彼はイエス様のことを見ると、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊

」(ヨハネ 1章29節)と紹介したんですねえ。

 それはどういう意味かというと、このイエスこそ私たちの罪を代りに背負って苦しみを受け私たちに罪の赦しと救いを与えてくださる救い主だ、キリストだ、と紹介した訳です。するとこのことを聞いたヨハネの二人の弟子たちが何とイエス・キリストについていってしまったんですねえ。

 するとイエス様はついてきたこの二人に声を懸けられました。何と声を懸けたかと言いますと、「あなたがたは何を求めているのですか。」(ヨハネ 1章38節) ま、このようにイエス様はお尋ねになったんです。

 もしあなたが「あなたは何を求めているんですか?」と問われたら何と答えますか? この二人の弟子たちはイエス様の質問に対して意外な答えかたをしたんです。それは、「イエス様、今どこにお泊まりですか?」 ま、こういうふうにですねえ言ったんですね。

 もっと気の利いたものを求めてもよさそうですよね。でも実はこれほど大切な求めはないように思うんです。

 なぜなら、彼らが求めたのはイエス様とただ一回だけ出会ってハイさようならという関わりではなく、イエス様あなたのおられる場所を知ることができればいつもあなたのもとにとどまることができるし、あなたと深く関わりを持ち続けることができます、居場所が分かればいつも会うことができますからね。まあそんな思いだったのかもしれません。

 さて聖書は「イエス様、あなたはどこにおられるのですか?」という質問に対して何と答えているでしょう。

 マタイの福音書の18章20節には「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」とイエス様は約束してくださいました。

 キリストが私の内に生きておられる。要するにイエス・キリストを信じ受け入れた一人ひとりの中にイエス様は居てくださるんですね。

(PBA制作「世の光」2012.12.3放送でのお話しより)

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■いのちの冠を与えよう / 羽鳥頼和

2012年12月01日 | Weblog
2012/12/1放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。 新約聖書のヨハネの黙示録には神のさばきのことが恐ろしい幻によって預言されています。

 例えば黙示録の9章では御使いがラッパを吹く度に大きな災いが幾つも起こります。例えば御使いが第五のラッパを吹き鳴らすと底知れぬ穴が明けられます。そして「破壊する者」という名を持つ邪悪な王の命令によってその穴からイナゴのようなものが現れ、神を信じていない者を5ヶ月の間非常に苦しめる、という幻が記されています。

 なぜこんな恐ろしい事を聖書は語るのでしょう。

 黙示録の2章10節にはこのようにあります。「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。あなたがたは十日の間苦しみを受ける。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

 苦しみの中でも神様を信じ続けるならば、命の冠が神様から与えられる、と約束しているのです。

 どうしたら苦しみを怖れず命の冠が与えられるという栄誉を受けることができるのでしょう。黙示録の12章11節にそのことが教えられています。

 そのような人たちは小羊の血と自分たちの証しのことばのゆえに悪魔に打ち勝ったのだ、と。

 苦しみを怖れずに苦しみの中でも神様に忠実であり続けることができたのは小羊の血と自分たちの証しのことばによる、というのです。

 「小羊の血」とはイエス・キリストの十字架のことです。キリストの十字架によって罪を赦され永遠のいのちを与えられたので悪魔からの苦しみをもう怖れる必要はないのです。
 
 そして「自分の証しのことば」つまり「神様を信じます」との信仰告白をすることによって、神様がその告白を聞き、その告白を成し遂げさしてくださるのです。

 聖書はなぜ神のさばきを教えているんでしょうか。

 それは私たちが罪あるままでは神に裁かれることを知るためです。そして私たちがイエス・キリストを信じ救われることによって、神のさばきを免れて永遠のいのちを与えられ神様と共に生きて命の冠を受けるためなのです。

 あなたもイエス・キリストを信じて神様と共に生きる人生を歩みませんか?

(PBA制作「世の光」2012.12.1放送でのお話より )

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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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