♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■あなたの道を備えるお方

2009年07月18日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義(なおよし)です。

 あなたはこれまでに、道に行きづまるという経験をなさったことがおありでしょうか。 自分の能力や経験やがんばりではもうどうにもならない。 このラジオを聴いてくださっている方の中には、今そんな経験をしておられる方があるかもしれません。

 聖書の中にイエス・キリストに関するこんな教えがあります。 「この方こそ、あなたの前にあなたの道を備えてくださる」 ここで「備える」と訳されていることばは「造り出す」というニュアンスを持つことばです。 生きることに行き詰まり、もうどこにも道を見い出すことができない、そんなあなたの前に道をつくり出してくださるお方、それこそがイエス・キリストだと聖書は言います。

 二十歳になる少し前、私はまさに道に行き詰まっていました。 どうやって生きていったら良いのか全く分からなくなってしまったのです。 自分のやりたいことがどうしても見つからない。 生きていることの意味が全く見出せない。 何かをしようと思ってもあまりに無力で惨めな自分という現実に打ちのめされるばかりでした。 そして夢や希望をすべて見失ってしまったその時、私はとうとう神様にすがりつきました。 「神様、こんな私をあわれんでください。 どうやって生きてゆけばよいのか、もう分からないのです。 私はこのまま腐って朽ち果てていきそうです。 神様、どうか助けてください。 あなたが喜んでくださる道を歩ませてください。」

 それまで頭だけで理解していた聖書の神様に真剣に祈り求めました。 その後、イエス様が私の前に確かに道を造り出してくださったということを私はここに証言します。  人の能力や経験やがんばりではどうにもならないところにイエス・キリストは確かに道を造り出してくださいます。 

 あなたは今、道に行き詰まってはおられないでしょうか。 もしそうであるなら、あなたの前に道を備えてくださるお方、イエス・キリストにぜひ出会っていただきたいと思います。

 どうぞお近くのキリスト教会へお出かけください。 神様が必ずあなたの前に道を備えてくださいます。 



 ※ 編集者注記
   「この方こそ、あなたの前にあなたの道を備えてくださる」は聖書のどの箇所を指しておられるのか明記したかったのですが、判断に迷ってしまいました。この言い方からはマラキ書 3:1、マタイ 3:3、マタイ 11:10、マルコ 1:2-3、ルカ 1:76、ルカ 3:4、ルカ 7:27、ヨハネ 1:23がまずは思い起こされます。 ただ、それらの箇所での「あなた」はマルコ 1:2-3、ルカ 1:76、マラキ書 3:1からすると第一義的には読者のことではなくて救い主イエス・キリストあるいは神である主を指しているようです。 しかし一方では聖書全体からすれば、ヘブル10:20やヨハネ14:6が示すように救い主イエス・キリスト様自身が罪人が神様に向きあうために歩く道・私たちのための備えの道となられたと言えますので 山中先生が聖書が教えることとして話しておられるのはそのことであるのかもしれません。


  ( PBA制作「世の光」2009.7.18放送でのお話しより )

***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


***

東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)




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■失敗から学ぶ宝の経験

2009年07月17日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 突然ですが、もし人生の消しゴムがあれば消してしまいたいような過ちや失敗をあなたはなさったことがあるでしょうか。

 失敗について、映画俳優のトム・ハンクスは次のように語っています。 「懸命に努力したのに振るわなかった作品の方が得るものは多い。 見た目には失敗でもね。」 またプロゴルファーのボビー・ジョーンズも「勝利から学んだことは一つもないが、敗北からは多くを学んだ。」と語っています。 考えさせられますねえ。 私たちも成功の経験よりも失敗の中から多くのことを学んでいるのではないでしょうか。 

 さてイエス・キリストの十二弟子の中でリーダー的な存在はペテロでした。 イエス・キリストが苦難に遭うことを語られた時、彼は「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(ルカの福音書 22章33節)と語ったのです。 しかしイエスはこう語りました。 「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(ルカの福音書 22章34節) その後、イエスが語られた通りのことが起きてしまったのです。

 ペテロはイエスを三度「知らない」と言ってしまいました。 人間は本当に弱い存在です。 そして自分に自信がある時にこそ、そこで大きな失敗をして自分の弱さを痛感するのではないでしょうか。

 しかし後日イエスは、そのペテロに尋ねられました。 「あなたは・・・わたしを愛しますか。」(ヨハネの福音書 21章15節)、「あなたはわたしを愛しますか。」(16節)、「愛しますか。」(17節)と三度です。 ペテロは自分の失敗を思い起こしたでしょう。 しかし彼はそんな自分を受け入れ、失敗したにもかからず心から愛してくださるイエスの愛を知りました。 自分の失敗を本当に認め、悔い改めた時にこそイエス・キリストの本当の愛を知ることができるのですねえ。 

 あなたも神様の前に自分の過ちや失敗を正直に認め、そこに溢れている神様の愛を受け取りませんか? 自分の罪を正直に認める時にこそ神様の本当の愛を心豊かに受けとることができるのです。 

 ではまた聴いてください。 

   (PBA制作「世の光」2009.7.17放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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■知恵を与える聖書

2009年07月16日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・メッセージは「知恵を与える聖書」です。 それでは、聖書の中の第二テモテ3章15節から読んでみましょう。 

 「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

 聖書は一冊の書物のようですが実際には66巻の小さな書物がまとまったものです。 最初に書かれた創世記から最後に書かれた黙示録まで執筆された期間は約1500年に渡り、著者も様々です。 そこには私たちに語りかける人生訓のようなものもありますが、何よりも大切なのは、この世界と人間を創造した神が語られていること、でしょう。 私たち人間にとって最も大切な真理は、この世には目には見えない神がおられることを知ること、だと思います。 神は愛と正義ときよさを喜ばれるお方でありその神を恐れて生きること、だと思います。 怖がってというのではなくて敬う心をもってということですねえ。

 実際、私たちの社会がこれほど嘘や偽り・争いに満ち、渾沌としているのは、実に正しいことをなさる神の存在を覚えないためではないでしょうか。 現実、新聞や雑誌は社会の様々なスキャンダルをとりあげていますが、それは陰でのごまかし、隠れた罪です。 誰も見ていない、誰にも分からない、と思う所でなされている問題です。 ですから、誰にも分からないかもしれないけれども、すべてのことは目に見えない神の眼差しにさらされていることを人が意識できさえすれば、私たちの社会はもっと違ったものになるのではないでしょうか。

 ですから、あなたの人生にも神様を迎えてみていただきたいと思います。 そうすればあなたは自分がいかに不誠実であるかまた罪深いか、ということを深く知るようになるはずです。 そして何一つごまかせない状況があることを覚えて逃げ出したくなることもあるかもしれませんねえ。 

 しかし聖書は人間の現実を示すだけではありません。 そこにイエス・キリストの罪の赦しと心の癒しがあることを語っているのです。 ぜひ聖書を読んでイエスの救いを知り受けとめていただきたい、と思います。

  (PBA制作「世の光」2009.7.16放送でのお話しより)

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■神は高ぶる者を退ける

2009年07月15日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日は「神は高ぶる者を退ける」という題でお話ししましょう。 

「高慢は出世の行き止まり」ということわざがあります。 高ぶって人を侮(あなど)り見下すようになりますと現在の地位より上に登る見込みはない、という意味です。 上に登るどころか下に落下してしまうのですね。 絶頂期にあったバビロンのネブカデネザル王様は高ぶって野に下ることになります。 旧約聖書のダニエル書の続きです。 

 さて、王様が夢を見てから12ヶ月あとのことです。 王様はバビロンの王宮の屋上を歩いていました。 そしてこう言ったのです。 「余は自分の力でこの美しい都を建てた。 この王宮のある町も、帝国も、都もだ。」 このことばを語り終えないうちに天から声があった。 「ネブカデネザル王よ、お前に宣告する。 お前はもうこの国の王ではない。 宮殿から追い出され、7年間、野の動物たちと共に住み、牛のように草を食べて生活するのだ。 それでやっと神様が人間に国々を分け与え、選ばれた者に国をお与えになることを悟るだろう。 

 このことはすぐに実現しました。 王様は宮殿を追放され、牛のように草を食べ、身体は露で濡れ、髪の毛は鷲の羽根のように長くなり、爪は鳥の爪のようになったのです。 バビロン帝国の王様が何と獣と同じような生活をするようになってしまいました。 現代で言うなら、まさに気が触れたような状態になり、人の世話をも受け付けない頑固者になってしまったということでしょうか。 

 そして7年目の終わりが近付きました。 それまで野の草を食べ、地を動物のように徘徊していたネブカデネザル王様は天を見上げたのです。 すると正気に戻りました。 理性も感性も意志も戻ったのです。 人の心が戻ったのでしょう。 彼はいと高き神を讃美し、礼拝しました。 正気に戻った時、彼の名誉も栄光も王国も戻りました。 側近も戻ってくれたので王位を確立することができたのです。 ネブカデネザル王はこう告白しました。 「いと高き神は思い上がって歩む者を手玉に取り、塵の中に押し込めてしまわれるのだ。」

 聖書のことばです。 
 「みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。」 第一ペテロの手紙 5章5節

  ( PBA制作「世の光」2009.7.15放送でのお話より )

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■愛を終わりまで

2009年07月14日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。 

 イエス・キリストが十字架につけられたことは大変有名です。 その十字架につけられる前夜、イエス・キリストは何と食事の席を立ち上がり、腰に手ぬぐいを取ってたらいに水を入れ、弟子たちの足を洗い始めたというんですねえ。 ヨハネの福音書には「その愛を残るところなく示された。」(13章1節)と記されているんです。 愛・・・・。人が最も必要としているものは何でしょう。 それは愛です。 その愛の中には少なくても六つの内容が含まれていると思うんですね。

 第一に、愛は理解する、という姿です。 愛は相手の思いや心・痛み・願い・訴え・・・相手のすべてを理解しようとします。 イエス・キリストはあなたのすべてを理解することができる方なんですねえ。 

 そして第二は、愛は思い遣る、ということです。 愛は相手と同じ立場に立って、喜びや悲しみを共に感じようとします。 イエス様は私たちと同じ人として来てくださり、私たちの弱さを知り、思い遣ることができるお方です。 

 そして三番目。 愛は受け取る。 愛は相手のありのままを受け取ろうとします。 存在そのものを受け取るのです。 愛すると言いながら、この人は何もできないから駄目、あの人はできるから立派、だから受け取りましょうというのは愛ではなく打算です。 イエス・キリストの愛は、私たちをありのまま無条件で受け取ってくださる、という愛です。

 そして愛は諭すという姿があります。 愛するがゆえに、ある時は相手を戒めるということもありますよね。 愛しているからこそ鞭を加えることもあるのです。 時に神様はあなたを諭すために愛をもって懲らしめることもあるでしょう。 

 そして愛は最善を期待する。 愛はいつも相手の最善を期待します。 相手が失敗したとしても、なおかつその人の最善を願い期待する、それが愛です。 

 そして六番目。 愛は愛する者のために犠牲を払うということです。 愛はいつも愛する者のために犠牲を惜しみません。 ヨハネの福音書15章13節には、「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と書かれています。 イエス・キリストの余す所のない愛は、実はあの弟子たちだけに示されたのではなく、ラジオを聴いているあなたにも示されていることを御存知ですか? 十字架であなたのためにいのちを捨ててくださるいのちがけの愛、その愛はあなたにも注がれているのです。 

 (PBA制作「世の光」2009.7.14放送でのお話しより)

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■聞く耳のある者は

2009年07月13日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 最近話題の脳科学者・茂木健一郎さんがこんなことを言っておられますねえ。 「耳を澄ますこと、耳へんの聴くということと、新しいことを思いつくことは同じだ」っていうんですね。 「いかにどれだけ耳を澄ませられるか、人生はそこにかかっていると言ってもいい。」というふうなですね。 なかなか重いことばですねえ。 「人生はそこにかかっている」って、それは「どれだけ耳を澄ませられるか」っていうことですよねえ。

 今はまあ情報がもう本当に多くていろんな音が耳から入ってくる訳ですけれども、そういう中でいったい何に耳を傾けるか、何に耳を澄ますか、そして耳を澄まして本当に聴くべきものに聴くかということ。それはまさに人生を左右するような大変なことだろうなあというふうに思わされますねえ。 

 聖書の中にも、「耳のある者は聞きなさい。」(マタイ 11章15節、13章9節、13章43節、黙示録 2章7節、11節、17節、29節、3章6節、22節、13章9節)ということばがあるんですけど、耳はみんな持ってるかもしれないんですけど「耳のある者は聞きなさい」というのは「聞く耳のある者」(マルコ 4章9節、マルコ 4章23節、ルカ 8章8節)という意味でしょうねえ。 「馬の耳に念仏」というのもありますけど、耳はあっても念仏は全然意味をなさない訳でしょうから、本当に聞く耳を持ってその聞くべきことを本当に聞き分けられるということは素晴しいことだろうと思いますね。

 聖書の中に、「信仰は聞くによる。聞くはキリストについてのことばによる」(ローマ人への手紙 10章17節参照) ということばがあるんですけれども、信仰というのは何をしなきゃいけないかとか、良い行いをしなきゃいけないとかいうようなことの前に、まず聴くことから始まるんだという。その聴くのはキリストのことばによる、というふふうにあるんですねえ。

 聖書は神のことばである、というふうに言われている訳でして、私たちは聖書を通して、いったい神は私に何を願っておられるのか、神は私たちにどういうメッセージを送っておられるのかというこについて耳を傾けるという。そして耳を澄まして天来の声、---天声人語ということばもありますけど---、本当に天来の声を聞き分けて、そしてそれに基づいた行動をしていくということがとても大事ではないかなあというふうに思うんです。 話すことよりも聴くことに集中していく。しかも大切なことに耳を傾けていくことが大事だなと思います。

 ( PBA制作「世の光」2009.7.13放送でのお話しより)

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■嵐を収める神

2009年07月11日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義(なおよし)です。

 私たちは時に、人生の嵐に遭遇することがあります。 自分の経験や能力や努力ではどうすることもできない、そんな苦しい状況に立たされることがあると思うのです。

 今から約二千年前、イエス・キリストとその弟子たちはガリラヤ湖という湖で嵐に遭遇しました。 激しい暴風が起こり、彼らの舟は波をかぶって今にも沈みそうになりました。 ところが何とイエス様は舟の後ろの方で眠っておられた、と聖書は言います。 

 弟子たちはイエス様を起こして言いました。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」(マルコの福音書 4章38節) 

 自分たちの苦しみ、自分たちの必死の努力にイエス様は思うように応答してくださらない。 弟子たちの内に、そんなあせりと憤りがあったことが窺えます。

 そんな中、イエス様は起き上がり、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われました。 すると風は止み嵐は完全に収まった(マルコの福音書 4章39節参照)、と聖書は言います。

 あの嵐の中で弟子たちはかけがいのない大切なことに気づかされたと言えます。 イエス様の愛や力をどこかで疑ってしまっている。 イエス様に対するそんな無理解があったということ。 彼らはそのことに気づかされたと言えます。

 しかし実際にはイエス様は彼らを深く愛し、彼らを救い出してくださいました。 それも彼らがイエス様の愛と力を深く知ることができるように、そしてこれから起こるどんな嵐の中でもイエス様を信頼して歩むことができるように、彼らにとって一番ふさわしい時にイエス様は彼らを救い出してくださったのです。 

 人生の嵐に遭遇する時、イエス様の力を信頼し、イエス様の愛に頼る人は幸いです。 どうすることもできない状況の中であっても、イエス・キリストに信頼する人は必ず救い出されるからです。 嵐を収めることのできる神、イエス・キリストのことばにどうぞ耳を傾けてください。 

  ( PBA制作「世の光」2009.7.11放送でのお話しより )

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■永遠の道に・・・

2009年07月10日 | Weblog

世の光の時間です。 お変わりありませんか? 岩井基雄です。 

 リュートというギターに似た楽器がありますねえ。 14世紀から17世紀に発達した楽器なのですが、少し前にその魅力ある音色はどのようにしてできたかを聞き、教えられました。 

 それはずっと昔、風化作用というか、古びたリュートのボディにひび割れができたのだそうです。 するとその音色がとても新鮮で、更に美しい質のものに変わったというのです。 そのうわさはすぐに広まりました。 そしてリュート作りの職人たちは楽器に敢えてひびを入れる工夫をし、場合によっては石で叩いたりもしたのだそうです。 なくなって欲しいようなひび割れが、もっと素晴しい音色を生み出すことにつながったのですねえ。

 新約聖書のコリント人への第二の手紙4章7節には、「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」とあります。 

 神様を信じる人々は、その神様の愛と祝福という宝がその人の内にあり、たとい土の器のように壊れやすい存在であっても、かえってその弱さや欠けを通して神様の力が豊かに現わされていく、というのです。 まるで、ひび割れによってもっと豊かな音色が奏でられるようになり、力も与えられていく、というようなことなのですねえ。

 しかも、先の聖書のことばはこう続いています。 「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」(コリント人への手紙第二4章8-9節) 

 苦しむことがあっても、それに窮したり、行き詰まったり、見捨てられたり、滅ぼされたりしない、というのですね。 神様を信じる者には、その内側にあるいのちが様々な苦しみの中で更に豊かに現わされ、すばらしい音色を奏でる人生へと変えられていく、というのです。

 あなたも、あなたの内側から力が与えられ、いちの溢れる人生へと変えられていきませんか? あなたを愛してやまない神様のもとにその人生の鍵があるのです。 どうぞあなたも神様のもとにいらしてください。

 それではまた聴いてください。 

   (PBA制作「世の光」2009.7.10放送でのお話しより)

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■感謝にあふれる

2009年07月09日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・ルッセージは「感謝にあふれる」です。 それでは聖書の中のコロサイ人への手紙3章16節から読んでみましょう。

 「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。

 先日、息子が学校から帰ってきて言いました。 「先生がね、ある物事を三ヶ月続けたらそれは習慣になる」って言ってたよ。 何か新しい習慣を身につけたい、そう思ったのでしょう。 どんな習慣を身につけたいのか、ちょっと興味がありましたが、私も毎朝聖書を読む習慣を身につけるのに三ヶ月と思った時がありました。 三ヶ月が一年となり、一年が二年と積み重なり、今でも私は毎朝5時に聖書を開いて読むことを習慣にしています。

 しかしそのように規則的に聖書を読むだけではなく、私は聖書を読んで心に力を受けた箇所を書き留めて小さなカードにしてメモ帳に挟んで持ち歩くようにしています。 かつて人間関係で悩んで辛かった時に、聖書の励ましのことばをとにかく肌身離さず持って、繰り返し読んで耐え忍んだ。 そんな時からであったように思います。 今もそうしていて、通勤電車の中で、あるいは思い出した時に取り出しては心に刻みこんで力を与えていただいています。 「聖書のこどはに一瞬いっしゅん支えられる。」、そんなことを言ってくれた友だちがおりましたが、私もそうやって人生の課題を乗り越えてきました。 

 今日の箇所でパウロは「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」と言います。 実に朝ごとに聖書に触れ、またメモ帳に聖書のことばを持ち歩いてたびたび触れ、そして口ずさみ、心に刻み込む。 そのようにしてこそ「キリストのことばを・・・豊かに住まわせ」ということが起こるのだと思います。 また、それによって絶えず主の励ましを受けることで感謝を持って神に向かって喜び歌うこともできるのでしょう。 

 あなたにもぜひ聖書を肌身離さず自分のものとして味わうことをお勧めしたいと思います。

  (PBA制作「世の光」2009.7.9放送でのお話しより)

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■正義と公平を

2009年07月08日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしですか。 板倉邦雄です。 今日は「正義と公平を」という題でお話ししましょう。 

 指導者に求められることは何でしょうか。 それは正義と公平ではないでしょうか。 悪人を懲らしめ、善人を奨励することです。 そして格差のない公平さではないでしょうか。 バビロンの王様ネブカデネザルの見た夢の意味は指導者としての心構えでした。 旧約聖書のダニエル書の続きです。

 さて、不思議な夢を見た王様は、ダニエルに夢の意味を話してくれるようにせがみました。 しかし、その夢の意味にどぎもを抜かれたダニエルは怯えて一言も口をきけなかったのです。 しかし遂にダニエルは答えます。 「実は陛下が夢で御覧になりました木、青々とした葉、皆が食べても足りるほどの実、木陰に動物が住み、枝には鳥が宿り、世界中の人々に見えるように天にまで達した高い木は陛下御自身でございます。 陛下は強く大きくなり、その偉大さは天にまで、その支配は地の果てにまで及びます。 陛下は神様の使いが天から降りてきて、こう言うのをお聞きになりましたね。 『この木を切り倒して滅ぼせ。 ただし切り株と根は若草に取り囲まれて残し、鉄と青銅の鎖をかけておけ。 天の露に濡れさせ、7年間、野の動物たちと一緒に草を食べさせよ。』 陛下、これはいと高き神様がお定めになったことですから必ず起こります。 陛下の国民が陛下を宮殿から追い出すでしょう。 陛下は動物のように野に住んで牛のように草を食べ、その背中は天の露で濡れるでしょう。 いと高き神様が人間の国々を支配し、お選びになった者に支配権をお与えになることを陛下が悟るまで、7年間このような生活が続くのです。 切り株と根が残されますので陛下が悟ったとき、国は返していただける、ということでございます。 王様、どうぞ罪を犯しませんように。 正しいことを行い、貧しい人を憐れんでください。 そうすれば神様のお赦しがあるかもしれません。 」(ダニエル書4章20節〜27節参照)

 さて皆さんは家族の間で、職場や学校で、あるいは地区で指導者の立場かもしれませんね。 くれぐれも私たちは、いと高き神様に立てられた者であることを忘れないようにしましょう。 私たちは神様のしもべであって、人を支配する者ではないのです。 

 聖書のことばです。 

 「 (すべての指導者は)、あなたに益を与えるための神のしもべなのである。」 ローマ人への手紙 13章4節 口語訳聖書

  ( PBA制作「世の光」2009.7.8放送でのお話より )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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