世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。
最近話題の脳科学者・茂木健一郎さんがこんなことを言っておられますねえ。 「耳を澄ますこと、耳へんの聴くということと、新しいことを思いつくことは同じだ」っていうんですね。 「いかにどれだけ耳を澄ませられるか、人生はそこにかかっていると言ってもいい。」というふうなですね。 なかなか重いことばですねえ。 「人生はそこにかかっている」って、それは「どれだけ耳を澄ませられるか」っていうことですよねえ。
今はまあ情報がもう本当に多くていろんな音が耳から入ってくる訳ですけれども、そういう中でいったい何に耳を傾けるか、何に耳を澄ますか、そして耳を澄まして本当に聴くべきものに聴くかということ。それはまさに人生を左右するような大変なことだろうなあというふうに思わされますねえ。
聖書の中にも、「耳のある者は聞きなさい。」(マタイ 11章15節、13章9節、13章43節、黙示録 2章7節、11節、17節、29節、3章6節、22節、13章9節)ということばがあるんですけど、耳はみんな持ってるかもしれないんですけど「耳のある者は聞きなさい」というのは「聞く耳のある者」(マルコ 4章9節、マルコ 4章23節、ルカ 8章8節)という意味でしょうねえ。 「馬の耳に念仏」というのもありますけど、耳はあっても念仏は全然意味をなさない訳でしょうから、本当に聞く耳を持ってその聞くべきことを本当に聞き分けられるということは素晴しいことだろうと思いますね。
聖書の中に、「信仰は聞くによる。聞くはキリストについてのことばによる」(ローマ人への手紙 10章17節参照) ということばがあるんですけれども、信仰というのは何をしなきゃいけないかとか、良い行いをしなきゃいけないとかいうようなことの前に、まず聴くことから始まるんだという。その聴くのはキリストのことばによる、というふふうにあるんですねえ。
聖書は神のことばである、というふうに言われている訳でして、私たちは聖書を通して、いったい神は私に何を願っておられるのか、神は私たちにどういうメッセージを送っておられるのかというこについて耳を傾けるという。そして耳を澄まして天来の声、---天声人語ということばもありますけど---、本当に天来の声を聞き分けて、そしてそれに基づいた行動をしていくということがとても大事ではないかなあというふうに思うんです。 話すことよりも聴くことに集中していく。しかも大切なことに耳を傾けていくことが大事だなと思います。
( PBA制作「世の光」2009.7.13放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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