goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■一粒の麦

2009年07月07日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。 

 ある時イエス・キリストはエルサレムに滞在中、ギリシャ人たちがイエス・キリストのうわさを聞き付けて、ぜひ会わせて欲しいとやってきました。 このギリシャ人たちは、ま、ユダヤ教に改心したギリシャ人であったのかもしれません。 ギリシャ人と言えば、ま、ヘレニズム文化の担い手で、探究心がとても旺盛でした。 イエス様の弟子のピリポのもとにこのギリシャ人たちが、ぜひイエス様に会わせて欲しい、と求めてきました。 弟子のピリポはイエス様に、「先生、ギリシャの偉そうな人が来て、たいそう先生を誉めていましたよ。 ぜひお目にかかりたい、って言ってきています。」 まあそんなふうなことだったんでしょうねえ。 私でしたら、「そうか、俺のことがギリシャにまで広まっているのか。 早くその人を連れてきなさい。」(って。) 何だか悪い気はしませんよねえ。 しかしイエス様はこのギリシャ人たちの来訪を知らされると突然、「人の子が栄光を受けるその時が来ました。」(ヨハネの福音書 12章23節)と語り出し、こう続けて語り始めました。 「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネの福音書 12章24節) そしてイエス様は続けて「自分のいのちを愛する者はそれを失」うのだ、と言われたのです(ヨハネの福音書 12章25節)。 

 ま、ギリシャ人たちの特徴は何かと言えばそれは、自分の生きる道を追求する、ということだと思うんですねえ。 ギリシャ人は、どうすれば自分が生きるか、どうすれば自分を表現できるか、どうすれば自分が立派になれるか、自己実現、自己表現、自己を生かすこと、それが彼らのテーマです。 ですからギリシャの彫刻は男性は筋骨たくましく、女性はヴィーナスのように美しい、そういう美を追求していく訳ですねえ。 でも考えようによっては、ただ自分が、自分を、自分は、というような自分ばかりの世界であるかのようですよねえ。

 そんなギリシャ人たちがイエス様に会おうとやってきた時、イエス様は弟子たちに、「自分のいのちを愛する者はそれを失」う。 ようするに自分をただ生かそうとする者は、結局大切なものを失うのだ、と言われたのです。 

 それではイエス様はどういう方なのでしょう。 イエス様は、一粒の麦が死ねば豊かな実を結ぶ、と言われましたね。 どういうことかと言えば、イエス様の来られた目的は、私たちの罪を御自分で背負い、十字架でいのちをお捨てになるということでした。 しかしその死は決して無駄死にではなく、その死によって一人ひとりが神様の前に罪赦された者として生きてゆく豊かな豊かな実をもたらすことになったのです。 イエス様は徹底的に人に仕え、いのちさえも差し出すことによって一人ひとりの人生に豊かな実が実る人生を与えることができる方なんですね。 

 (PBA制作「世の光」2009.7.7放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■王がその席に着かれると

2009年07月06日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 えー、街を歩いていますと、いろんな匂いって言いましょうか、香りって言いましょうか、そんなものが漂ってますねえ。 食べ物のいろんな匂いが漂ってきましたり、またはふっとすれ違った方が花を持っててその花の香りが楽しませてくれることもあったりとかですねえ。 この人はもしかしたら病院関係の人かなという匂いを感じたり、ああこの方はだいぶタバコを吸われる方だなあとかですね、そんな匂いを感じたりすることもありますねえ。 時にはふっとすれ違って、きつーい香水の匂いでウッ!って思ったりすることもあったりなんかしますが、私たちも年輩になってきてですねえ、老臭というふうな言い方をされることがあります。
年寄り臭い。 自分もそんな臭いがするのかなあ、と思ったりですね。 最近はですから男性のための香水とかそういうのも結構売れているらしいですし、使っている人も多くなってきているようなんですねえ。 

 まあそういうふうな体臭的なものというだけではなくって、何かその人の存在って言いましょうかねえ、その人の人柄と言いましょうか、その人から発散してくるその人の一つの香り、匂いというものがあるような気がするんですねえ。 

 で、聖書の中に、「神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」(2コリント 2章15節)っていうふうなことが書かれてあったんですねえ。 そして、あなたがたを通して「キリストを知る知識のかおりを放つ」(2コリント 2章14節)ようにというふうな、そういうことばがあったりしますと、いったい私たちはどういう香りを放っているのかなあ、と思ったりする訳なんですねえ。 で、それは決してそのパーフューム(香水)をつけて匂いを良くして、というようなものではなくって、やっぱり内側から出てくるもの、その人の生き方や生き様やそういうものから自然に出てくる一つの匂い・香りというものがあるんだろうなあと思うんですねえ。

 旧約聖書の雅歌という中にですね、「王がその席に着かれたとき、わたしのナルドはそのかおりを放った。」( 雅歌 1章12節 )ということばがあるんですね。 いい香りが部屋いっぱいに満ちてきた。 それは王がその席に着座したとき。 何か私たちの心の中にその王である方が神様がイエス様がほんとに王座を占めてくださったらきっといい香りが私たちを通して香っていくのかなあ、そんなふうに思わされたりしています。

 ( PBA制作「世の光」2009.7.6放送でのお話しより)

******

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


******

東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-
2196 へ


 





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■あかりが来たのは

2009年07月04日 | Weblog

世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 山中直義(なおよし)です。

 同じことばが語られても、それを受けとめる人の態度によってその効果は大きく異なってきます。 マルコの福音書4章21節でイエス様はこんな喩を話されました。
 
 「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。

 ここでは神様のことばをどのように受けとめるべきか、そのことを教えるためにこの喩が語られています。 せっかく持ってこられた明りを枡の下や寝台の下に置いてしまうならその明りは部屋を明るく照らすことはありません。 しかしその明りを燭台の上・ローソク立ての上にしっかりと置くならばその明りこそが部屋全体を明るく照らすものになります。 ここでは、この「あかり」ということばが神様のことばを指しています。 あなたに対して語りかけられている神様のことば、それを丁寧に受けとめるようにとイエス様は教えておられるのです。

 せっかく語りかけられている神様のことばを聞き流してしまう、あるいは思い巡らさない、ということであれば、それは本来の力を発揮することはありません。 しかし、もしあなたが語りかけられている神様のことばをしっかりと心にとめ、それを丁寧に味わおうとするなら、その神のことばこそがあなたの心で明りとなり大切なことを示す、そのことが教えられているのです。

 神様のことばは私たち人間の思いや常識を越えて、本当に大切なことを私たちに教えます。 まことの神様について人間の奥底に潜む罪やその解決について、明りである神のことばだけがはっきりと指し示すことができるのです。 イエス様は言われました。 「あかりが来たのは燭台の上に置かれるためです。」

 世の光として来られたイエス様のことば、聖書のことばをどうぞ丁寧に受けとめてみてください。 そのときこそ、そのことばがあなたの心で明りとなり、あなたが進むべき道もはっきりと指し示すはずです。 どうぞ聖書のみことばを開き、それを丁寧に読んでみてください。 

 それではまた聴いてください。

  ( PBA制作「世の光」2009.7.4放送でのお話しより )

***

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


***

東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送に協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■弱さを認める謙遜さと勇気

2009年07月03日 | Weblog

世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。 

 今は強さや大きさ・成功と言われるものがことさらにもてはやされる時代です。 そんな中にあってこの経済的な不況や行き詰まりの現実は、本当の人間の価値というのは何であるかということを考える良い機会なのかもしれませんねえ。

 かつてハーバード大学の教授であり、後に知的障碍を抱える人々の施設で人々と一緒に歩んだヘンリー・ナーウェンは次のように語っています。 
 「今日は強さを求める時代である。 また、強くなかったら生きていけないかのように言われてしまう時代である。 だから弱さは極力忌み嫌われるものとなり、人々の間からその存在が抹殺されかかっている。」

 本当の人間性が大切にされる愛や慰めを私たちは決して疎(おろそ)かにしてはならないのですねえ。

 新約聖書のコリント人への第二の手紙12章9節から10節には、

  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・・私が弱いときにこそ、私は強いからです。 

 とあります。

 伝道者パウロは自分の身体の弱さや、人につまずきになるようなものを取り除いて欲しいと祈りました。 その時に与えられた神様からの答えが、神様の恵みは十分だよ、あなたの弱さのうちに神様の力は完全に現れるのだよ、ということだったというのです。 だからこそパウロは自分の弱さを誇る、と言うのですね。 それは神様の前にへりくだり、自分の力を誇ることができない、ということを認めるときにこそ本当の力を神様が与えてくださるということです。

 神様は他の人に知られたくないようなあなたの弱さをすべて御存知です。 神様の前には何も隠すことができません。 しかしその弱さや愚かさ・自分の罪を神様の前に認める時、私たちは心からへりくだり、神様の愛を受け取り、そして神様からの力、愛の力、生きる力を受け取ることができるのです。 あなたも神様の力を心から誇るものとされませんか?

 ではまた聴いてください。 

   (PBA制作「世の光」2009.7.3放送でのお話しより)

******
 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■心を手入れする

2009年07月02日 | Weblog
世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。

 今日のバイブル・ルッセージは「心を手入れする」です。 それでは聖書の中のヤコブの手紙1章21節から読んでみましょう。
 「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。

 私の隣の家には小さな庭があります。 庭の真ん中から少し外れた所に錆びた鉄の器があって、つつじなど様々な種類の木が秩序正しく並び、よく手入れされていました。 何となく古風で小奇麗な雰囲気がありました。 いつも人気がなく、しーんと静まり返っていましたから、いつ手入れをしているのだろう、と不思議でした。 あるいは手入れをしなくてもよい庭もあるのかもしれない、とも思いましたが、そうではありませんでした。 隣の家の人がひょっこり現れて、こんど引越しをするということで挨拶に見えられたのです。 そして数日経つと、たちまちその庭は大変な雑草で覆われて、まるでジャングルのようになってしまったのです。 私たちが見ていない間にいつも丁寧に手入れをしていたのだと改めて思わされた出来事でした。 

 私たちの心も同じで、綺麗な心の人というのは毎日心の雑草を丁寧に手入れしているものなのではないでしょうか。 

 ヤコブは二つのことを勧めています。 一つは、「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り」なさい、ということ。 「捨て去る」というのは、もともと服を脱ぎ捨てる意味で使われたことばです。 けがれた服を脱いで素っ裸になるように、ねたみや憎しみ、嘘、偽りの思いを捨て去ることですね。 

 それからもう一つ勧められているのは、心の真ん中に植えつけられた神のことばを受け入れなさい、ということです。 いくら雑草を抜き去っても、何もない所には何も生えないものです。 何かが植えられていればこそ、その植えられたものを引き立てるように手入れをしていくことに意味があります。 神を信じて聖書を読む人の心には神のことばが生きています。 聖書のことばが私たちの人生で引き立つように(と)、悪いものを脱ぎ捨てて生きていくなら、誰でも美しい心を保って生きることができるのではないでしょうか。 

  (PBA制作「世の光」2009.7.2放送でのお話しより)

******
 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■夢見る人

2009年07月01日 | Weblog

世の光の時間です。  板倉邦雄です。 今日は「夢見る人」という題でお話ししましょう。 旧約聖書のダニエル書の続きです。 

 バビロン帝国の王様ネブカデネザルという人は夢見る人でした。 しかも全部詳しく覚えている人でした。 これで二回目です。 今回もダニエルにその夢の意味を尋ねます。

 王様は夢を語り出しました。 「わたしは野原に立っている大木を見た。 その木は天へ向かってどんどん伸び、遂に世界中の人々がどこからでも見えるほどになった。 葉は青々と繁り、枝にはすべての人が食べても足りるほど実がなった。 野の動物もその木陰に憩い、鳥はその枝を住家とし、全世界がその木によって養われた。 以上のことを夢で見ていると、神様の使いの一人が天から降りてくるのが見えた。 その御使いはこう叫んだのだ。 『この木を切り倒し、枝を切り払え。 葉を振り落とし、実を撒き散らせ。 動物を木陰から、鳥を枝から追い払え。 だが切り株と根は残し、鎖をかけて野の若草の中に置け。 天の露に濡れさせ、野の動物と一緒に草を食べさせるのだ。 七年間、人の心ではなく動物の心を持たせるがよい。 このように宣言するのは、いと高き神が世界の国々を支配し、御心のままに人間の中で最もへりくだった者にさえその国々をお与えになるということを全世界が知るためである。』」

 その時ダニエルはしばらくの間、その夢の意味にどぎもを抜かれ、怯えて一言も口をきくことができませんでした。

 さてこの夢の意味は次回お話ししますが、このことを通して私たちが知るべきことは第一に、神様は今日でも夢を通して私たちの将来を示すことがある、ということでしょう。 第二に、夢を通してこの私たちの人生の将来と国の歴史を支配しているのは唯一のまことの神様である、ということを教えたいのです。 そして第三は、私たちが高慢にならずへりくだって生きることを教えるため、ではないでしょうか。 しかし現代の私たちには神様は夢・幻の中にではなく神の心を表し、私たちの信仰と生活の唯一の基準として聖書が与えられているのですね。 

この聖書のことばをお読みします。
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」 詩篇の119篇105節 (口語訳聖書)

  ( PBA制作「世の光」2009.7.1放送でのお話より )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

***  

このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする