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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■自分と子どものために泣け / 板倉邦雄

2018年03月20日 | Weblog
2018/2/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「自分と子どものために泣け」という題でお話ししましょう。人生は泣き笑いに満ちている、とよく言われます。人生は泣くことが半分、そして笑うことが半分なのでしょうか。

 さて、巡礼に来ていた大勢の群衆と悲しみ嘆いてやまない女性たちの群とがイエス様に従っていきました。すると突然、イエス様は女性たちの方を振り向いて言われました。「エルサレムの娘たちよ。わたしのために泣くな。むしろあなたがた自身と子どもたちのために泣くが良い。」

 イエスは自分が死んだあと、エルサレムの都が陥落する日を見ていたのです。紀元70年、ローマに反抗したユダヤの国はローマ軍によって都エルサレムは包囲されます。戦争によって一番被害を受けるのはいつの時代でも乳飲み子や子どもを抱えた女性たちと老人ですね。ですからイエス様は、ご自分のためよりもエルサレムの女性たちを憐れんで言われたのです。「わたしのために泣かなくても良い。あなたがた自身のため、また自分の子どもたちのために泣くが良い。」(ルカ 23章28節参照) その日がどんなに残酷な日であるか、イエス様は続けて言われました。「その日、その時、人々は山に向かって『我々の上に倒れかかってくれ。』 また丘に向かって『我々の上に覆いかぶさってくれ』と叫び出すであろう。」(ルカ 23章30節参照)

 ローマへの氾濫は紀元66年に始まります。そして紀元70年、過ぎ越しの祭りの日、攻撃が開始され、ローマ軍3万、ユダヤ軍2万4千人、エルサレムには60万の群衆がひしめいていました。10万人が殺害され、多くの負傷者と9万5000人が捕虜となって曳かれていったのです。

 そしてイエス様は最後に次のような意味のことばをポツリと言われました。「もし生木でさえもこのような残酷な目に遭うなら、枯れ木である人々は一体どのようにされることでしょうか。」(ルカ 23章31節参照) イエス様はご自分を生木に喩えました。罪のない自分が犯罪人の一人のように扱われ、苦難と十字架刑を受けるとしたら、神に逆らう枯れ木のような人々は一体どんな審判を受けるであろうか、と嘆かれたのです

   (PBA制作「世の光」2018.2.13放送でのお話より )

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