2018/2/23放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。イエス・キリストは弟子たちにどのように祈ったらよいのかを教えてくださいました。主の祈りと呼ばれるもので、毎週教会の礼拝で祈っている祈りです。この祈りの後半に、「 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6章11節 新改訳三版)という祈りが書かれています。私たちは「負いめをお赦しください」と祈りつつ、神様の愛と赦しの中で生きてことができるんですねえ。
しかしこの祈りには「私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」とあるんです。この箇所に差し替えと急に自信がなくなって声が小さくなってしまう方がいるかもしれません。私は神様に赦されているとはいえ、私に負いめのある人を赦すことはできないなあ、こう感じてしまうからです。主の祈りの文語訳では、「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ。」となっているんです。ですから私たちが赦す程度によって神様が私たちの罪をどれだけ赦してくださるかが決まるのか、と勘違いしてしまったり、私が人を赦せなかったら私の罪も赦してもらえないのではないか、と心配になってしまう方もいます。しかしこの祈りはそういう意味ではないんですね。
出発点はまず最初に、神様が私たちのすべての負いめ、全ての罪を赦してくださったということから始まるんです。この神様の圧倒的な赦しの中に生かされているからこそ、私たちも人を赦すことができるような方向に向かっていくんですよ、というんですねえ。第一ヨハネの4章19節には、「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(新改訳2017) こう書かれています。神様がまず愛してくださったから私たちは愛する事ができる者に変えられていくんです。それと同じように神様がまず赦してくださったから私たちは赦すことができる者へと変えられていくんだ、と教えるんですね。ですからこの祈りは、「私は赦します。まず神様が赦してくださったからです。」と祈っていく祈りなんです。「赦し赦される関係をいつも築いてください。」という祈りなんですねえ。私たちはまだまだ不完全で、人を赦せなくて葛藤することもあります。でも、だからこそ神様がまず赦してくださったことを深く覚え、他者をまた自分自身をも赦す者になれるように祈り続けるんです。
(PBA制作「世の光」2018.2.23放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。イエス・キリストは弟子たちにどのように祈ったらよいのかを教えてくださいました。主の祈りと呼ばれるもので、毎週教会の礼拝で祈っている祈りです。この祈りの後半に、「 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」(マタイ6章11節 新改訳三版)という祈りが書かれています。私たちは「負いめをお赦しください」と祈りつつ、神様の愛と赦しの中で生きてことができるんですねえ。
しかしこの祈りには「私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」とあるんです。この箇所に差し替えと急に自信がなくなって声が小さくなってしまう方がいるかもしれません。私は神様に赦されているとはいえ、私に負いめのある人を赦すことはできないなあ、こう感じてしまうからです。主の祈りの文語訳では、「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ。」となっているんです。ですから私たちが赦す程度によって神様が私たちの罪をどれだけ赦してくださるかが決まるのか、と勘違いしてしまったり、私が人を赦せなかったら私の罪も赦してもらえないのではないか、と心配になってしまう方もいます。しかしこの祈りはそういう意味ではないんですね。
出発点はまず最初に、神様が私たちのすべての負いめ、全ての罪を赦してくださったということから始まるんです。この神様の圧倒的な赦しの中に生かされているからこそ、私たちも人を赦すことができるような方向に向かっていくんですよ、というんですねえ。第一ヨハネの4章19節には、「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(新改訳2017) こう書かれています。神様がまず愛してくださったから私たちは愛する事ができる者に変えられていくんです。それと同じように神様がまず赦してくださったから私たちは赦すことができる者へと変えられていくんだ、と教えるんですね。ですからこの祈りは、「私は赦します。まず神様が赦してくださったからです。」と祈っていく祈りなんです。「赦し赦される関係をいつも築いてください。」という祈りなんですねえ。私たちはまだまだ不完全で、人を赦せなくて葛藤することもあります。でも、だからこそ神様がまず赦してくださったことを深く覚え、他者をまた自分自身をも赦す者になれるように祈り続けるんです。
(PBA制作「世の光」2018.2.23放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。