♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストにある慰めときよさに生かされた中田重治 (2) / 岩井基雄

2018年03月05日 | Weblog
2018/1/29放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。
最後の月曜日は、歴史の中を歩んだクリスチャンの生涯から学んでいますが、今日も中田重治について学んでみましょう。

 父や兄の死を通して救い主イエス・キリストの愛と復活の希望に生かされた重治は東京英和学校、今の青山学院の神学部で神のことばである聖書の学びを深めていきます。しかし弘前の教会で学んだ福音的な信仰を基盤としていた重治は当時流行の高等批評学的な聖書の学びには熱心になれず、卒業できませんでした。しかし学長・本多庸一の温情により伝道師の仮免許をもらった重治は神の愛と聖書をまっすぐに語る牧師として用いられていきます。

 弘前教会の伝道師かつ子と結婚した重治には長男が与えられますが、生後1ヶ月で風土病で亡くします。妻かつ子も重症の風土病になり北海道を引き揚げることになり、中田は深刻な信仰の危機を経験していくのです。弘前で静養した後に秋田県の大館教会の牧師となり、後に多くの讃美歌を生み出すことになる次男・羽後が与えられます。しかし、様々な限界を感じていた重治は、神の愛の力を受けたいと伝道者ムーデイーを慕って渡米し、シカゴのムーディー聖書学校で学びます。そこでイギリスの神学者F・B・マイヤーの神愛によるきよさを求めるメッセージや、ジョン・ウェスレーの書物また彼らのために祈り支えてくださったカウマン夫妻との交流を通し、重治は慰めと力を得、回復が与えられていったのです。更に日本に帰る前に世界を回り、多くのクリスチャンたちや牧師たちと交流を深め、なお恵みを受けた重治は帰国後も松江のバックストン宣教師を訪ねるなど全人格的な成長ときよさの感化を受け、聖書を学び、主の愛を語り続けて行きました。そして日本の教会の中でも神様との交わりの中に築きあげられていく全人格的な成長ときよさを強調し、キリスト教会を建てあげ続けていったのです。

 聖書のことば
 「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にいる人たちを慰めることができます。
  新約聖書 コリント第二の手紙1章4節

        PBA制作「世の光」2018.1.29放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする