♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主が良いと思われることを / 福井 誠

2014年02月13日 | Weblog
2014/2/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは、「主が良いと思われることを」です。では第二サムエル記15章26節から読んでみましょう。

 どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。

 兄弟を殺し、ダビデ王に追放されていたアブシャロムはエルサレムに呼び戻され、ダビデ王と表面的に和解ムードを取っていました。しかしやがてアブシャロムはダビデ王に牙をむくようになります。アブシャロムは謀反を起こしていくのです。再びダビデ王はいのちからがらあてどもない逃亡の生活へ追い込まれていきました。そんなダビデに付き従ったのはすべてのケレテ人、すべてのてペレテ人それからガテからついてきた600人のガテ人、とイスラエル人が忌み嫌う外国人ばかりでした。しかし彼らは王様がおられるところに生きるためでも死ぬためでも、しもべは必ずそこにいますとダビデと運命を共にしようとする人々だったのです。奴隷としてではなく、全く自由な自らの意思で明らかに形成の不利なダビデの側についたのです。しばしば危機は信頼すべき誠実な友が誰であるかを明らかにするものです。日和見的な仲間と本当に苦難を分かち合う仲間を明らかにするものですね。そして同時に苦難はその人自身の心の姿勢を明らかにします。ダビデは言いました。「どうか、この私に主が良いと思われることをしてくださるように。」 何か幾分諦めの心にも聞こえます。しかし、この時ダビデは詩篇62篇も歌ったとされます。そこにはこうあります。

 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。 (詩篇62篇5~7節)

 つまりダビデは目に見えない神に委ねきって、どうかこの私に主が良いと思われることをしてくださるようにと言っているのです。窮地に立たされてもダビデは静かに神のなさることを見届けようとしています。この先、神は何をなさるのか、神のなさることに関心を向けていくことが信仰を持つと言うことです。神に委ねきった心を持つことを学びたいものですね。

(PBA制作「世の光」2014.2.13放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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