♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■信じるものになりなさい 1 / 大嶋重徳

2014年02月04日 | Weblog
2014/2/4放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。ヨハネの福音書20章にトマスというイエス・キリストの弟子の話が出てきます。彼はイエス・キリストが復活したことを「私は決して信じません」と言いました。イエス・キリストは復活された朝、弟子たちのもとへ現れました。そして十字架に釘で打ち付けられて穴が開いた手と槍で突き刺されて穴が開いた脇腹を弟子たちに示され、ご自分が復活されたことをお示しになりました。弟子たちは喜びで包まれました。しかしこの日トマスという弟子は一緒にいなかったんです。そして「私たちは主を見た。」と喜ぶ弟子たちにトマスはこう言います。
 「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」 (ヨハネ 20章25節)
 トマスは、穴の開いた手を見るだけでは信じない、その穴に指を入れなければ、槍で突かれた脇の穴にも手を入れなければ信じない、と言いました。

 トマスは信じてもいないのに信じているとは決して言わなかった人です。ある意味妥協しないという誠実さがあった人だと言えると思います。トマスは疑問がありながらも無いようなふりをすることはできなかったのです。

 テニソンという人は、なまっかじりの信仰よりも誠実なお互いの方にこそ信仰は生きている、と言いました。つまり、信じていないことをわかったようなふりをするよりも、納得のいくまで食い下がろうとする人の中に信仰の姿はある、と言ったのです。むしろ疑いの心の中に神に問い掛ける祈りが生まれ、最後には必ず確信に到達する信仰があるのだというのです。

 時々、ごちゃごちゃ悩まずに信じなさい、という人がいますが、それは少し乱暴な発言かもしれません。ごちゃごちゃ言わずに信じる(※盲目的に信じる)という姿勢は、キリスト教信仰の中にはありません。

 今日、ラジオをお聴きの皆さんもいかがでしょうか。イエス・キリストの弟子にはトマスのように、納得のいくまで食い下がろうとした人がいました。私たちも分ったふりをして信じるよりも、しっかりと問い続けたいと思います。ぜひお近くの教会をお尋ねくださって、ご自分の疑問をぶつけてみてはいかがでしょうか。

 ( PBA制作「世の光」2014.2.4放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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