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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■罪について / 羽鳥頼和

2014年02月15日 | Weblog
2014/2/15放送

 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。今日は旧約聖書詩篇51篇から、罪についてお話しします。詩篇51篇1節、2節をお読みします。ここには罪を意味することばが三つ記されています。

 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

 ここに出て来る背きの罪はヘブル語でペシャー、咎はアヴォーン、そして私の罪の罪はハタアーということばです。この三つのことばについてお話しします。

 まず背きの罪と訳されているペシャです。ペシャにはもともと「背く」という意味があり、罪が神に逆らうことであることを示しています。最初の人アダムは神様の命令に背いて木の実を食べてしまいました。最初の罪は神様に背くことでした。このように神様に従わないことは罪なのです。

 次に咎と訳されているアヴォーンです。アヴォーンということばのもともとは「曲がる」という意味です。聖書の中では悪い行いや道徳や倫理から外れた行いを指してよく用いられます。

 最後の罪と訳されるハタアーは聖書の中で罪のことを語るときによく用いられることばです。このことばはもともと「目標である的を外す」とか「道を外す」という意味で用いられます。聖書ではこのことばは神様との関係が良くない状態であることを表します。正しい神様に対して人は悪いものであり、きよい神様に対して人は汚れているのです。またハターは道を外れて道に迷ってしまうことを表します。

 私たちにこのような罪はないでしょうか。詩篇の作者は自分の罪に気付いて言ったのです。「神様、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去ってください。私の罪から、私をきよめてください。

 新約聖書ヨハネの手紙第一1章9節にはこのように約束されています。
 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

 ぜひあなたの心を見つめてください。そしてもし罪があるならば神様に自分の罪を言い表しましょう。

 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

(PBA制作「世の光」2014.2.15放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ

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