♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■私にしあわせを報いてくださる / 福井 誠

2014年02月20日 | Weblog
2014/2/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「私に幸せを報いてくださる」です。では第二サムエル記の16章12節から読んでみましょう。

 「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。


 ダビデ王は謀反を起こした息子のブシャロムに追われ、宮殿をいのちからがら脱出しました。すると逃げ道の途上、かつての宿敵サウルの家の者シムイに出会うのです。シムイはよほどダビデを憎く思っていたのでしょう。ダビデに罵詈雑言(ばり・ぞうごん)を浴びせ、災いあれと呪いをかけます。それを聞いたダビデの家来がシムイをその場で打ち殺そうか?とダビデに問いかけました。ダビデはそれを制します。なぜダビデは制したのか。私はこの箇所を読み、長いことダビデは過去の過ちに引きずられて自分の不幸に甘んじることを良しとしたのだと考えていました。自分は姦淫や人殺しの罪を犯したのだからそんなふうに言われても仕方が無い、という心境にあったのだと。しかしそうではありませんね。

 ダビデは言います。「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。

 ダビデは確かに悪を行いましたが、その事に捉われていた訳ではありません。実際、神様もいつまでも過去の失敗を取り上げてだらだらとねちっこく人を責め続けるようなお方ではありません。アブシャロムの謀反は確かにダビデにとっては辛い試練でしたが、それはダビデの過去の責任を蒸し返すものではなかったのです。神は悔い改めた者の罪を忘れてくださるお方です。神の赦しとはそういうものです。

 ですからダビデは人から呪いを受けても、やがてこれは幸せに変えられる、人は自分を呪っても神が自分を呪うことはないと希望を持つことができた訳です。

 何か不幸が起こったらいちいち過去の過ちと結びつける発想は捨て去りたいものですね。罪を悔い改め神に従う者には、いつでも主の幸せの希望があることを信じていきたいものです。

(PBA制作「世の光」2014.2.20放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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