goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■命である血を流す / 板倉邦雄

2012年02月22日 | Weblog
2012/2/22放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「命である血を流す」というでお話ししましょう

 血液は私たちにとって命と直結しています。赤ちゃんは母の体内で血を食べて成長し、生まれてからは母の乳房で血液が変化した白いミルクという血液を飲んで大きくなりますね。今日は命である血を流す殺人や自殺そして死刑に光を投げかける創世記の9章です。

 まず、「あなたがたの命の血を流すものには、わたし(神)は必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。 」5節(口語訳聖書)。 いかなる理由がありましても人の命の血を流す殺人者、自分のいのちの血を流す自殺者に主なる神様は復習すると厳しいことばで語っていますね。それほど私たちのいのちは全世界よりも重く尊いのです。命の血を流す者は神様の復讐を怖れて一生涯漂流することになります。

 次に「人の血を流すものは、人に血を流される、」と6節にあります。このことばは個人的な仇討ちではなく公的な裁判による死刑を認めていると理解されている箇所です。現代、国家や人間が人をしてにする権利を持っているか、もし冤罪だったら取り返しがつかなくなる、加害者にも生きる権利がある、等等で死刑廃止論が高まっていますねえ。では他方、被害者と家族の方はどうでしょうか。考えたり話し合う余裕もなく殺されてゆく、これから生きる権利を一瞬にして奪われる、残された家族の悲しみと苦しみは何を持って償えるのか。聖書は言っています。「―為政者―は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。」 ローマ人への手紙の13章4節。

 最後に命である血を流してはならない理由です。「神が自分のかたちに人を造られたゆえに。」と6節の後半にあります。私たちのいのちは自分のものではありません。神様のものです。しかも神様のかたちにしたがって作られました。その神様のかたちを持った人のいのちを勝手に奪ったり自分で壊したりしてはならないのではないでしょうか。

 ( PBA制作「世の光」2012.2.22放送でのお話より )

 

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする