♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■救い / 山中直義

2012年02月07日 | Weblog
 2012/2/7放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、山中直義です。

 「救い」とは何でしょうか。イエス・キリストはある時、次のたとえを話されました。

ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
 ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
」 (ルカの福音書10章30節から35節)

 この傷つき動くこともできず、ただ死を待つ男性の姿に私たち一人一人の魂の状態が重ね合わされているように思います。祭司たちは彼のそばを通り過ぎて行きましたが無理もない話だとも言えます。関わっていると自分まで襲われるかもしれない。また助けるためにはとてつもない自己犠牲が強いられる、そんな状況でした。

 しかしあるサマリヤ人人はそのとてつもない自己犠牲を払ったと言います。彼は倒れて死を待つ男性を見た時にかわいそうに思いました。この「かわいそうに思う」ということばは、腹の底から湧き上がって来るどうしようもない感情を指す、そんなことばです。傷つき滅びてゆく人に対する無条件の深く熱い思い、それがこの人を救うことになりました。

 そしてこの深く熱いどうしようもない思いこそイエス・キリストが私たちに向けて持っていてくださる思いだ、と聖書は教えています。イエス様は私たちの魂を見つめ愛し何とかして救おうとご自分のいのちを身代わりとして十字架にお与えくださったお方です。あなたの前にもイエス様は手を差し述べていてくださいます。「私をお救いください。」そう言いながらあなたもイエス様の手を握り締めてくださいますように。

    (PBA制作「世の光」2012.2.7放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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