世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか、関根弘興(せきね・ひろおき)です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
私たちが生きているこの時代は不確かな不安定な時代だと言われています。 ま、誰も不安定な不確かな状況を望んでいる人はいませんよね。 私たちは誰も安心感をもって生きていきたいと願っています。 そしてあなたが信頼でき、あなたのことを分かってくれる存在が傍(かたわ)らにいることによって自信を持つことができるようになります。
たとえば子どもが宿題をやっていたとしましょう。 子どもは答えを書いたけれど自信がありません。 でも親が子どもと一緒に勉強して、その答えが合ってあるよ、とひとこと言ってやったら子どもは自分の答案に自信を持つこどかできます。 ま、算数の問題であるなら、公式に当てはめれば答えを得ることができますよね。
でも、人生となるとなかなかそうはいきません。 自分と一緒に歩み、これが人生なんだよ、これが人としてあるべき姿なんだよ、と示してくれる存在との関わりなしに、人生はこれでいいのだという、そういううなずきをもって生きることはなかなか出来ないんです。
今から二千年前に、イエス・キリストは来られました。 当時、嫌われ者の税金取りのマタイという人に(向かって)「わたしについて来なさい」(マタイの福音書 9章9節)と招かれたことが聖書に書かれています。 マタイという人はその招きに、何の躊躇(ちゅうちょ)もせず、「はい」と言ってついて行きました。
「わたしについて来なさい」 どういうことでしょうか。 「わたしの生活そのものをあなたに見せてあげましょう。 わたしの生活をよく御覧なさい。 そしてわたしと行動を共にしなさい」とイエス・キリストは招かれたという訳です。 これほど実際的な指導方針はありませんよね。
また、エリコという町に住む、やはり当時の嫌われ者の、ザアカイという人の住む町にイエス・キリストが行かれた時のことです。 大勢の人がイエス・キリストのもとに殺到しました。 ザアカイは紛れるように木に登り、高見の見物をしていました。
しかしイエス・キリストはそのザアカイに、こう言われたんです。 「ザアカイ。 木から降りてきなさい。 今日わたしはあなたの家に泊まることにしているのだ」(ルカの福音書 19章5節参照)
さあ、ザアカイはこのことばに驚きを隠すことが出来ませんでした。 なぜなら、彼に親しく声を掛けてくれる人など誰もいなかったからです。
ザアカイは、イエス・キリストが無条件で私を受け入れ家に来てくださった、ということによって、人生の大きな変化が生まれていきました。 自分さえ良ければいいというような自分勝手な生涯から、人を思いやり分かち合っていく、そんな人生の変革が生まれたんです。
マタイもザアカイも不確かな確信のない不安定な生き方の中にいました。 しかしイエス様はそんな彼らを、そしてあなたを、「わたしについて来なさい」と招いているのです。
(PBA制作「世の光」2008.9.2放送でのお話しより)
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