♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■悲しみのあまり死にたい

2007年04月04日 | Weblog
 
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 今月は羽鳥 明牧師に代わりまして私、板倉邦雄が担当いたします。宜しくお願いします。

 イースター特集番組、さて今日は、「悲しみのあまり死にたい」という題でお話ししましょう。

 あなたは悲しみと悩みの中で涙の海を泳いだ時がありますか? 泳ぎ疲れて諦めの舟に乗り込もうとした事はないでしょうか。実はイエス・キリスト様も私たちと同じような悲しみと苦悩の中で、「悲しみのあまり死ぬほどである」(口語訳新約聖書 マタイ 26章38節)と言われた時があったのです。

 それは木曜日の夜でした。イエス様が三人のお弟子さんたちとゲッセマネの園という場所で祈りへ行く途中でした。次の日の金曜日、イエス様は十字架に磔(はりつけ)になるのです。十字架の受難と死を前にして、イエス様は祈りの時を神様と持ちたかったのですね。この後、三時間ぐらいかけてイエス様は神様にお祈りします。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(口語訳新約聖書 マタイ 26章39節)。できればこの苦難と死で溢れる杯を飲まないで済むように神様に取り除いて欲しかったのです。しかし、「神様のお心に従ってまいります」と祈ったのですね。ですから十字架刑という残酷で惨めな苦難と死を前にしてイエス様は、悲しみと悩みの中で、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどだ」と弟子たちに言われたのです。死にたくなるほどの悲しみがイエス様の中に溢れたのです。

 イエス様は、「悲しみの人で、病を知っていた。」(旧約聖書イザヤ書53章3節)と聖書の中で描かれています。悲しみに溢れる人は優しさに溢れる人ではないでしょうか。悲しみが悲しみに触れる時、そこに慰めと勇気が与えられて行くのでしょう。もしあなたが悲しみと悩みの中で涙の海を泳ぎ疲れているなら絶望の舟ではなく、悲しみの人である救い主イエスという舟に乗り込んでください。

 イエス様のことばです。
あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている
 (口語訳新約聖書) ヨハネ福音書16章33節

 ( PBA制作「世の光」2007.04.04放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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