世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、イエス・キリストを葬った墓が開かれてキリストはそこからよみがえられた、というこの事実は、もう墓ということに象徴される過去に決別し、墓に象徴される死に決別し、墓に象徴される絶望に決別して、もはや墓に留まっている必要はないのだということで弟子たちは喜んでこのイエス・キリストの復活の事実を人々に告げるようになったのですけれども、
聖書を見ますと、このキリストの墓が開かれてキリストがよみがえられたということを(弟子たちが)知った時に、彼らの目が開かれていったという出来事が書いてあるんですね。
で、どういうふうに開かれたかというと、イエス・キリストってお方について目が開かれていったということなんですね。
それまで三年間、イエス様と一緒に過ごしたんですけれども、本当の意味でイエス様のことはよく分からなかった部分があるんですね。けれども確かに死からよみがえられた、というその事実を通して、イエス・キリストは間違いなく神の子だということが明らかにされました。そしてイエス・キリストの十字架の死というのは単なる死で終わったのではなくって、確かに贖(あがな)いの死であったのだ。救いは完成されたのだ。おっしゃってた通りのことがあの十字架の上でなされたのだという事の一つの証明でもある。よみがえってくださったことによって、そのことが確かなことにされたという(こと)。イエス・キリストは間違いなく救い主だということがはっきりとしたということですね。よみがえってくださったイエス・キリストは、いつでも私たちの近くにいてくださって、私たちと歩みを共にしてくださるお方なんだという(こと)。
エマオの途上という所で弟子たちはこのイエスに出会いました。そして(イエスが)聖書の話をしてくれたそのことを思いおこしながら、イエス・キリストはこれからの生活の中にも共にいてくださる、一緒に歩んでくださるお方なのだということ。そういう意味でイエス・キリストって方について目が開かれていったということですね。
墓が開かれていっただけではなくって弟子たちの目が開かれた。私たちもイエス様がいつもそばにいてくださるということに目が開かれた者でありたいですね。
( PBA制作「世の光」2007.04.23放送でのお話しより)
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