♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■目に見えないものこそ

2007年04月28日 | Weblog

 
 世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。

 聖書を最初にお読みしたいと思います。第二コリントの4章の16節から18節までですね。

  ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
  今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
  私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。


 えー、「見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く」、パウロという人は見えないものに目をとめて生きている。だから今はどんなに患難に出会っても、いろんな難しい問題に直面しても、これがすべてではない。やがて神様は私たちに永遠の栄光を与えてくださるのだ。だから今どんなに苦しくって辛くって、もう打ちひしがれそうな状況の中にあっても、しかし勇気を失いません(と彼は言う)。外なる人は衰えていく。パウロであってもやっぱり人間的な、そして年齢から来る肉体的な衰えということは感じていたことでしょう。でも内なる人は日々新たにされて活き活きと生きることができる(と彼は言う)。それは永遠なるものに目をとめて生きているから、見えるものがすべてではない、見えないものこそが素晴らしい永遠に価値あるものなのだということの価値観の中で生きることができたからだというふうに言えると思いますね。

 あのー、よく赤ちゃんなんかに「いない、いない、ぱあー!」って、よくやったりしますね。で、「いない、いない」ってやった時に、本当に赤ちゃんは(こちらが)いなくなったと思うらしいんですね、顔が見えなくなって。それが「ばあーっ!」って出てくると、ああいたんだあっていうんで「キャッキャッ」って言って喜ぶという(こと)。あのう、目に見えない時にはいないと思ってしまうという存在しないと思ってしまうのは幼児性だって言われるんですね。そこには目に見えなくっても実は存在しているものがあるのだということを知ることができる。それは当然、大人はそう言う訳ですよね。私たちがある意味において成人した人間として生きるっていうことは、目に見えないものに確かなものがあるのだということをはっきり知って、そこを目指して生きるということ、これが大事なことだということですね。

 ( PBA制作「世の光」07.04.28放送のお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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