世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今週はイエス・キリストが十字架につけられ復活されたことを記念する週を迎えています。
よみがえられたイエス様は、堅く戸を閉ざし恐れおののく弟子たちの家に行かれ、御自分を現わしてくださいました。弟子たちは復活されたイエス様を見て大喜びです。しかしこの時に弟子の一人であったトマスという人は、どこかに行っていたらしく、復活されたイエス様にお目にかかることができませんでした。
トマスが仲間たちのいる場所に戻ってみると、みんな興奮しているではありませんか。「おいトマス、どこに行ってたんだ。俺達の先生が復活されたんだ! すごいよな、あれは決して幻じゃないぞ、手と脇腹の傷がちゃんとあったもんなあ。トマス、残念だったなあ、どこに行ってたんだよう。俺達の主はよみがえられたぞー。」こんな会話が続いたでしょう。しかしどうでしょう。トマスは仲間が興奮すればするほど冷めてくるんです。人とはそういうものですよね。そして冷たくこう言いました。「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れなければ、決して信じない。」こう言い放ったのです。(ヨハネの福音書 20章25節参照)
でもその八日目に、もう一度イエス様は弟子たちのもとに来られました。イエス様は、「トマス、あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。わたしのわきに差し入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネの福音書 20章27節参照)と言われたのです。そして、(トマスが「私の主。私の神。」と言うとイエス様は)「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネの福音書 20章29節)と言われたんですねえ。
さて、イエス様の復活の事実が伝えられていく時、どうしても必要なことは、弟子たちがあの疑い深いトマスも含めて、復活のイエス様の確かな確かな目撃証言者だったということなんです。そして彼らは大胆に自分たちの見たことを喜びを持って全世界に伝えて行きました。だからこうした人たちの目撃証言に支えられているので二代目三代目のクリスチャンたちはイエス・キリストの話を聞いただけで見ないでも信じることができていった訳です。そしてそれは本当に幸せな事だとイエス様は言われたんですね。
今私たちにとっての幸いは、イエス様を実際にこの目で見なくても、弟子たちが味わった同じ感動を、同じ喜びを持つことができるということなんです。信じるということは、肉眼で見なくても、確かな証言の上に立った聖書の約束のことばを受け入れることから始まるんですね。
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」(ペテロの手紙第一 1章8節) 聖書のことばです。
( PBA制作「世の光」2007.04.10放送でのお話しより )
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