世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。
えー、一般的に言うとですねえ、キリスト教に不思議だと思われることの一つは、キリストのお墓がないということですね。普通は、これは誰々の骨が埋められてある所、とか、誰々がここで永遠に眠っている所、とか言ってですね、記念の祠があったり神社になっていたり、お墓が麗々しく飾られていたり、というふうなことがある訳ですけれども、キリストの墓っていうのはないんですよね。で、キリストがここに埋められた・葬られたというその場所はあるんですが、その中は空っぽです。つまりキリストは、墓に埋められている状態そのままの状態ではなくって、そこから復活したお方。そういう意味で、キリストのこれは墓だというふうなものは実際にはないということですね。
聖書の中にも、マタイの福音書の28章の所で、女性たちが墓にキリストが葬られたその墓にやってきた訳ですけれども、御使いが現れて言いました。「ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。」(マタイ 28章6節)というふうに女性たちに伝えました。そのことを仲間たちにも伝えなさいというふうに言いましたので、聖書の中では「彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。」(マタイ 28章8節)というふうに書いてあります。墓を後ろにして彼らは喜びをもってそのキリストの復活の事実を伝えに行きました。
墓というのは、あくまで過去の一つの象徴ですよね。誰々がいついつまで生きていたというふうなこと。しかしその墓をその跡にしてというのは、そういう過去をもう振り切ってという(こと)。墓というのは死を象徴しますよね。死のしるしですよね。けれどもその墓を後ろにして女性たちは出掛けていった。もう死はないのだ。キリストの復活によって死は克服されたのだということが明らかになった。死んだらおしまい、人生の墓場というふうな言い方をする時に、それは絶望を意味します。絶望の象徴です。けどもキリストはそういう過去にとらわれる又は死を象徴するそして絶望を意味する「墓」にはいません。その墓を蹴破ってよみがえってくださったということは私たちに素晴らしい希望を与えてくださったということなのですね。
( PBA制作「世の光」2007.04.16放送でのお話しより)
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