世の光の時間です。お元気でお過ごしでょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今週はイエス・キリストが十字架につけられ復活されたことを記念する週を迎えています。
ま、イエス・キリストが十字架につけられる週のことです。ベタニヤという村に住むマルタとマリヤの家に行った時のことでした。この家に住むマリヤが非常に高価な純粋なナルドの香油300グラムをとってイエス様の足に注いだのです。家は香油の香りでいっぱいになりました。
「ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが」(ヨハネ12章4節 )こう言いました。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」(ヨハネ 12章5節 ) しかし彼がこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼が財布を預かっており、その中のものを、いつも盗んでいたからなんですねえ(ヨハネ 12章6節参照 )。
そこでイエス様はこう言われました。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」(ヨハネ 12章7、8節 )こう言われたんですね。
ま、今の時代は、何事も合理的に生きるということが勧められていく時代です。「無駄をなくせ。すべての無駄と思えることを取り除け!」まあこう言われる時代ですね。
しかし、無駄をなくすということはとても大切なことであると思いますが、しかし一見無駄と思えることの中に実は大切な大切なことを教えてくれることもよくあるんです。私たちはあまりにも合理的に物事を見、判断していく時、何かとても冷たい存在になってしまうことを感じるでしょう。
ナルドの香油をマリヤが主イエス様に注いだことはユダにしてみれば何という無駄なことかって考えたことでしょう。しかし主イエス様に対する感謝と愛の現れは決して無駄にはならないんです。奇しくもこの行為はイエス様の葬りの準備となったとありますね。
マリヤはイエス様が十字架につけられるなどとは決して考えなかったでしょう。しかしこの出来事を通してイエス様が私たちのために十字架の道を歩まれることが、より確かなものなのだということを示す出来事になっていったんです。そして十字架こそ私たちの罪のために尊いキリストの血が注がれるキリストの壮絶な愛を示す場となりました。
私たちは主に感謝を捧げすぎることはありません。なぜなら主はあなたのために御自身を捧げたのですから。マリヤは感謝を込めて香油を注ぎました。主はあなたのために尊い罪のない血を注いでくださいました。あなたはこのキリストの愛に何をもって応えて生きていきますか?
( PBA制作「世の光」2007.04.03放送でのお話しより )
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