世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
今週から二週間に渡ってクリスマススペシャルとしてお届けします。
聖書の中にですねえ、不思議というか、ちょっと変った表現があると思うんですけれども読んでみますねえ。ヨハネの福音書の1章の所に、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネの福音書1章1~3節)という、こういう表現なんですけれども、この「ことぱ」というふうに表現されていますこれは言うならばイエス・キリストのことを指しているんですねえ。イエス・キリストはもともと神でおられて、そしてこの方は天地創造に関与されたお方なのだと言う。その方が、実はこのクリスマスというのは、--その「ことば」というふうにキリストのことを表現しておりますけれども--、その「ことば」としてのキリストが人となって私たちの間に住まわれた(のだ)というふうにこう書いてある訳なんですねえ。
ことばというのは私たちの心の中にある意志または思い・考えていること、それを表現する一つの媒体ですよね。広い意味で言ったら絵画つまり絵とかですねえ、それから音楽とか彫刻とか、そういうふうなものも「ことば」というふうに言えると思いますね。話しことばや書きことばや様々な手段はもちろんその「ことば」ですよね。結局、内にあるものを表現するものですね。
で、私たちは神様ってお方はどういう方かっていうのは見ることができない訳ですけれども、神様という方がどういうお考えを持っていらっしゃるのかというそのことを表現することば(がイエス・キリスト)、つまりイエス・キリストってお方は人の形をとってこの地上においでになった神御自身でおられる。そしてイエス・キリストの生涯を通して、そして最終的には十字架において血を流されて死んでくださったというその事は、神が私たちを罪からお救いになるという御計画を持っていらっしゃったということ。神は私たちを愛していらっしゃるということを、そのイエス・キリストの生涯、イエス・キリストの十字架ということを通して神は表現された。ですから私たちはイエス・キリストというお方を通して神様の本当のお心というものを理解することができる。そういう意味でイエス・キリストは人の形をとってこの地上に来られた「神のことば」なのだというふうに聖書は教えている訳ですね。
クリスマスは、その神のことばを私たちが聞く時であるというふうに理解して欲しいですね。
( PBA制作「世の光」2006.12.11放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。クリスマスも近いから日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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