世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。
今日は、「絶望にも希望を与える力」というお話しをします。何か矛盾しているようです。ま、希望があれば絶望ではないのではないか。確かにそうですね。今日申し上げますことは、絶望と思われるようなことの中にも実は希望を与える方がおられるということです。
新約聖書のルカによる福音書の7章という所には一人の未亡人の方が大切な唯一の望み、一人息子、若くして死んでしまった。そんなお葬式の所にイエス・キリストが来た出来事が書かれています。何とこの絶望のどん底にいる婦人に向かってキリストは言いました。「泣かなくてもよい」そしてこの棺に手を置いて「青年よ、起きよ」と生き返らせたっていう出来事です。
ま、聖書の中にはいろんな奇跡が書かれています。そして聖書ではそれを「しるし」と呼んでいます。何のしるしかって言いますと、イエス・キリストが神からの救い主であるというしるしという意味です。ですからこの青年を復活させたということも人間にとってどうすることもできない死という現実・絶望、それを希望に変えることのできる神からの救い主という意味です。そしてまたこういうもう一つの大切な意味があります。キリストはどんな絶望と思われる状況にあっても生きる力を与えることができるということです。
実は一人のお母さんからメールを戴きました。一人娘が生まれた時から原因不明の重い脳障害で身動き一つできないというそういう子どもを持った方です。「棒のように寝たきりの娘。12年間、すべてを犠牲にして看護してきました。」こんな内容のメールでした。「私は生まれて初めて聖霊なる神様が共にいてくださることを実感しました。今までなかなか理解が難しかったイエス様の十字架と復活の意味がはっきり分かったのです。涙が止まりませんでした。娘が癒されることよりも神様がいつも共にいてくださる。主が共に歩んでくださるということの方が大切なのだと感じ、感謝が溢れました。」って言うんですね。絶望のどん底、どうしても分らない、力尽きる、そんな中にも生きる力を与える、それがキリストの復活の力だというのです。
(PBA制作「世の光」2006.12.01放送でのお話しより )
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