♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神に選ばれた者・救い主

2006年12月18日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 えー、クリスマス言うまでもなくイエス・キリストの誕生を祝う日ですよね。で、このイエス・キリストっていうことなんですけれども、ある方たちは、もしかしてイエスっていうのは名前でキリストっていうのが苗字なのかなあとかですねえ、そんなふうに思っていらっしゃる方があるかもわかりませんねえ。で、実はどちらも、そういうふうな意味ではなくって、務め・使命の称号なんですねえ。

 イエスというのはマタイの福音書を見ますならば、その民の罪を救うというそういう意味でイエスという名前がつけられたのだというふうに書いてある訳なんですね。私たちの罪を救うというそういう目的でおいでになったお方だからイエスというふうに名づけられたということですね。

 で、キリストっていうのは、ま、もともとの意味からすると「油注がれた者」という意味があるんですけれども、「油注がれた者」というのは旧約聖書の中で、王様になるとか預言者になるとかという特別な使命を託されてそして任ぜられる者・選ばれた者に油を注いでというふうな一つのまあ儀式があった訳ですね。で、イエス・キリストってお方は、人間の罪を救うというそういう使命を神様から託されて選ばれてこの地上に送られてきたお方だという意味でキリスト、つまりこれは救い主という意味である訳ですね。

 で、このイエス・キリストの誕生をお祝いするというのは、―――私たちの一番の問題は、この今まで犯してきた罪とかそういうふうな問題をどこで解決できるんだろうか、人間を一番困らせているもの、人間を一番苦しめているもの、人間の生活の中で一番悩みを起こさせているものというのは結局罪なんですね。その罪ということについてはどんな教育をもってしても、どういう努力をしても解決することができない。この罪を解決することができるお方は神様しかいらっしゃらない。その神様がイエス・キリストっていう方をこの地上に送ってくださって、そして究極的にイエス・キリストは十字架において私たちの罪の償い・贖(あがな)いというのを完成してくださった。もともとですからイエス・キリストが誕生したということは私たちの罪を救うために十字架で死ぬためだったというふうに言える。―――、このイエス・キリストがおいでくださったおかげで私たちは罪から解放されるのだ。罪から救われるのだということが初めて可能になったという意味でこれは本当におめでたい、お祝いすべき日なのだということなんですね。
 
 ( PBA制作「世の光」2006.12.18放送でのお話しより)


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。クリスマスも近いから日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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