百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

テレビの表現

2013年05月10日 04時24分46秒 | インポート

9日(木)、朝歩く。今朝は昨日にまして空気が冷たい。好天が続いているので空気も澄んで遠く中国連山や姫路方面の山々まできれいに望める。登校見守りに立つ。

 最近、気になったことで、テレビのアナウンサーの言葉が不適切だったと思ったことがある。つい先日のことで、オランダ国王の即位式の報道で、「あ、今、国王夫妻が現れました」との実況放送があった。「現れた」という表現はないだろう。「お姿が見えました」「お出ましになりました」等々普通に耳慣れた表現があるだろうにと思った。もう一つは、首都高老朽化による改修で「空中権」が話題になっているとして、その中で、「改修費用が通行料金に上乗せされるのは、我々にとっては迷惑ですからねえ」と力を込めて言い放った。「えっ、迷惑?」それはないだろう、と思った。せめて、「利用者には値上げはきびしいですからねえ」ぐらいの表現があるだろう。咄嗟に出た言葉だったのだろうが、視聴者としては「不快」な表現だった。テレビ世代の私にとって、ニュースを読むアナウンサーの言葉は正しい日本語という観念を持っている。しかし、その意識が今は逆に言葉の使い方の適不適の判断をきびしくさせてしまう。

 隣にある消防団社分団の詰所に早朝から分団員が集まってくる。また操法の練習の季節が巡ってきた。

 


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