百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

社警察署で術科はじめ

2010年01月31日 11時27分19秒 | インポート

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 社警察署で22年の術科はじめ式が行われた。署内の武道場で、地元県会議員、市関係者、防犯協会、交通安全協会など関係者が来賓として出席する中、小林署長の訓辞に引き続き、逮捕術、柔道、剣道の訓練、紅白試合が行われた。

 間近かに練習、試合等を参観させてもらったが、日頃からの訓練の成果が発揮され激しい息や気合いとともに気迫が伝わってきた。県民の安心安全を守るためには、時に犯人逮捕といった場面もある。また、きびしい状況のもと、粘り強い捜査にあたることもある。心身ともに普段から鍛えておくことが求められる。こうした訓練を重ねて私たち県民の前に立っていることをこの術科始めであらためて認識させられるとともに、感謝と応援の思いを新たにした。

 戦前の社区文書(現加東市社地域の区事務所文書)の中に、社警察署で開催された武道大会の資料がある。警察署の署員はもちろん、小野中の生徒、青年学校生徒などが出場し、盛大に開催されていたようだ。おそらく見物の人もあったのではないかと思う。そうした面での警察と地域のつながりは今の時代にもっとあってよいのではないかとも思う。


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「見捨てない」精神で地域おこし

2010年01月30日 14時34分52秒 | インポート

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 28日午後、県議会総務常任委員会が管内調査(東播淡路地区)のため北播磨を訪れ、多可町八千代区の「マイスター工房八千代」を訪問した。北播磨の地元議員として出席し、施設長の藤原たか子さんの説明を聴かせてもらった。

 そのパワーとユーモア溢れる語り口に圧倒されたり、思わず笑ったり、感心したりしながらマイスター工房の設立から今日の成長までの過程や取り組み、その奥にある藤原さんの哲学を聴くことができた。もっとも響いてきた言葉は、「見捨てない精神」だった。施設(建物)、材料(食材)、生ごみ、人(女性、働きたい人)、そして地域を見捨てない。その精神というか哲学、生き方がマイスター工房の繁栄、成長を貫いている。

 藤原さんは八千代は「何にもない田舎だった。だから生活研究グループ乙女会を立ち上げた」、とマイスター工房創設の思いを語られた。そこが分かれ道だったんだなと思った。「何もない」から、できない、あかん、ではなくて、「何もない」からやろう!やってみよう!と一歩を踏み出したことが今に繋がっている。「本当に何もないところだった」と力を込めて話す藤原さんだった。しかし、「こんな田舎でも見捨てたもんじゃない」と、ここに「見捨てない精神」が働いていた。この精神を源泉にして、アイデアと愛情と才覚とチームワークで今日のマイスター工房を育てあげ、地域の元気活性化の拠点につくりあげてこられた。

 マイスター工房の実績はすでに広く知られているが、こうして直かに藤原さんからその物語りを伺ってさらにファンになってしまった。「見捨てない精神」の神髄は、藤原さんの溢れんばかりの人、もの、地域への愛情、感謝の心だと思った。「もったいない」は今や世界に広がっているが、お話を聴きながら「見捨てない精神」こそ世界語へ育てていかなければならないという思いが湧いてきた。


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米田小24の瞳の議場見学、附属中の立志式

2010年01月27日 08時13分14秒 | インポート

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 25日、加東市立米田小の4年生12人が県議会の議場見学にやってきた。まさに「二十四の瞳」で、議場見学に目を輝かせていた。質問では、議場の細かいところに注目して次々と質問し時間が足りなくなってしまうほどだった。そのあと、みどり展望台で景色を楽しみながらお弁当を食べた。私もロビーで500円弁当を買って一緒に食べた。引率の先生は元の同僚だったので話も弾んだが、「こんな可愛い子ども達を教えることができることが今は楽しい」という嬉しそうな言葉と顔がよかった。

 すぐに加東市へ戻り、兵庫教育大学附属中学校の立志式に出席した。元の勤務校でもあり、創立当時から続く伝統の儀式である立志式に出席するのも楽しみだった。厳粛に行われた式では、27期生116人が立志の決意を力強く表明した。立志式は昔の元服式などの成年式に因んで、満14歳を迎える中学2年生が大人への成長を期して志を立て、自覚をもって人生を歩んでいこうとする契機とする、そうした趣旨の儀式である。創立当初は季節の立春に因んで立春式とよんでいたが、やがて立志式と変更された。毎年式では記念講演が行われるが、今年は東大阪の人工衛星まいど1号製作グループの棚橋氏を招いて行われた。

 立志式で思い出すのは、その事前指導でいつも紹介した幕末の英傑橋本左内の言葉、「去稚心」である。「稚心を去る」とは、左内が元服にあたり決意をしたことの一つで、責任ある大人への自覚をもつという決意を示したもの。自分への甘さを断って生活を律していこうとすることである。校長先生も式辞の中で「公共心」の大切さを強調されていた。子ども達がこの立志式を機に自分の生き方をじっくり見つめ、責任ある生き方を考えることになればと思った。


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加東市マラソン大会、軟式野球協会

2010年01月25日 05時37分41秒 | インポート

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  24日(日)、好天の下、第4回加東市マラソン大会が開催された。今回は約2600人のエントリーという盛況ぶりで、会場のやしろ工業団地サイエンスパーク周辺は出場者らの車で一時混雑も見られるほどだった。

 ゲストランナーは女子1500メートル日本記録保持者で北京オリンピック5000mに出場した小林祐梨子さん(豊田自動織機)。小林さんは隣の小野市の旭丘中学校の出身だけに親近感もあり、出場者からのサインや記念写真の要望にも気軽に応えていて好印象だった。また、出場者の中には知人や教え子の姿もあり、元気な様子に思わずがんばって!の声が出てしまった。

 この日曜日は市内各地で初集会の地区もあり、年頭のご挨拶に回る。そして、午後は総合運動公園スカイピア(加東市河高)で開催された加東軟式野球協会の22年度代表者会議に出席した。協会が誕生して2年が過ぎようとしている。3年目の22年度の計画、役員等が協議され決定した。

 好天に誘われるようにスカイピアのある河高の旧道を走りながら、そのはずれにある、小高い丘に車を上げてみた。桜の木が植わった広場がある。神社の跡のような場所もある。隣の丘には忠魂碑もあった。近くの畑で作業をしていた地元の方に話を聞くことができた。地域の歴史を知ることができる私にとって一番の楽しいのひとときだった。


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神戸で山田錦フェア-北播磨の魅力も発信

2010年01月24日 16時46分56秒 | インポート

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 23日(土)、JR神戸駅前地下のデュオこうべで「兵庫県山田錦フェア」のオープニングが開催された。兵庫県が誇る酒米の王様「山田錦」の生産振興と日本酒の消費拡大をめざして開かれたもので、イベントスペースには北播磨をはじめ県内酒造メーカーが自慢の山田錦の酒をそろえて訪れた人々にふるまった。山田錦のふる里北播磨からは、酒造家とともに小野播州そろばんや三木金物、山田錦を使った加工食品コーナーも設けられ、北播磨の魅力も発信した。

 加東市の酒造家神結酒造のコーナーで記念写真。また古代米栽培と加工品に取り組んでいる藤井さんのコーナーも。加東市産の山田錦からつくられた日本酒の数々、最高級酒もあり、その豊かさにあらためて日本酒の世界の奥深さに感動した。年末年始は酒を酌み交わす機会も多かった。うまい酒が人の輪・和をつくりあげる役割を果たしてくれた。酒がその土地の料理をさらにおいしく仕上げてくれた。地元加東市の山田錦生産農家の声に、「こんなに苦労・努力していい山田錦をつくり続けていても後を継いでくれる者がない。私は日本酒の文化、日本の伝統文化を酒米づくりを通してやっていると誇りに思っている。次を継いでくれる者がなければ技術は消える。同時にうまい日本酒もなくなり、日本文化がまた消える。そんな危機感をもっている」と。世はグルメ流行りだ。ミシュランの星の数、B級グルメ・・・人々はおいしい味を求めてどこへでも行く。まさに食の時代に酒、日本酒を!そんな思いをさらに強くした。

 


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常任委員会の丹波但馬地区調査

2010年01月23日 15時47分02秒 | インポート

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 20、21、22日の3日間、農政環境常任委員会の管内調査で丹波但馬地区を訪問した。大寒の頃の丹波但馬ということで、”寒さと雪”のイメージが強かったが、ちょうど寒さが弛み、21日は雨が降ったものの割合暖かい3日間だった。

 さて、調査先は丹波、但馬県民局(農林振興事務所・県民局)と農林水産、環境関連の現場で、次の通り。

20日:丹波篠山大内農場(稲作を中心とした大規模個別経営)【篠山市今田町】、丹波県民局【丹波氏柏原町】、いちじま丹波太郎(有機野菜栽培、直売活動)【丹波市市島町】

21日:久斗山農産加工組合(地元農産物による加工品製造)【美方郡新温泉町久斗山】、但馬水産技術センター(漁業調査船「たじま」活動状況)【美方郡香美町香住区】、但馬県民局【豊岡市幸町】

22日:カネカソーラーテック(太陽電池製造等)【豊岡市神美台】、養父市森林組合(低コスト・効率的素材生産)【養父市広谷】、JAたじま岩津ねぎ部会(岩津ねぎ生産状況)【朝来市朝来町物部】

 丹波、但馬地区の農林水産、環境の現状と課題について調査を行ったが、雪深い山村での農産物の加工品製造から、波の荒い冬の日本海での調査船に乗船しての活動状況調査、そして先端技術を駆使しての太陽光発電パネル製造現場など丹波但馬地域の自然を生かした取り組みを直接見ることができた。中でも大内農場、いちじま丹波太郎、岩津ねぎの調査では、いずれも若い人の意欲的な取り組みの姿勢に”農”に生きるたくましさ、力強さを強く感じた。


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震災の日

2010年01月19日 06時57分23秒 | インポート

 17日、阪神淡路大震災から15年。あの日あの時間、私は自宅トイレの中で地震を体験した。地の奥底から地響きが聞こえ、がたがたと揺れはじめ、さらに大きな大きな揺れに必死にこらえていた。揺れがおさまり、家族の安全を確認して表の道に出た。ちょうど神戸の方向から衝撃波がものすごい速さで遠くから地面、電信柱、家をバシーンとゆらしながら私の体を走り抜けていくのを何度も感じた。情報があまりないまま学校に出勤し、あの日はスキー合宿の下見にハチ高原に2人の先生に出張してもらうことになっており、予定通り出発してもらったが、10時頃にだったろうか、次第に神戸等の被害の大きさがはっきりしてきて、出張先の先生の一人が加古川の高層マンションに住んでいたことから、家族との連絡を含めて慌てたことを思い出した。当時幼かった一番下の子が今年は大学受験を迎える。

 さて、今日も朝から市内各地区では新年の地区初総会が開催されている。ご挨拶にまわる。昼には自衛官募集東播連合会新年会が地元加東市のホテルで開催され出席した。政権交代、事業仕分け等で自衛官募集や広報予算が無駄とされるなど厳しい風が吹いている中、若い自衛官の募集や隊員の支援活動を行っている連合会の皆さんが加東市で会されるにあたり、地元佐保神社で祈願祭を行われたと聞いて感激した。学校で社会科を教えていた頃、青野原駐屯地から自衛隊の広報ビデオを借りてきて社会科の授業などで生徒に視聴させたことや公民の授業では自衛隊の役割、活動について詳しく教えてきた。自衛隊についての理解を深めるためだった。教え子の中にも自衛官になった生徒がいる。時折訪ねてきてくれるが、そのりりしさ、礼儀正しさに今の若者には見られない頼もしさを感じている。ミサイル部隊で頑張っているようだが、現在のわが国の防衛、安全保障に対する危機感を訴えていた。同感することばかりだ。


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PTCA実践活動発表会

2010年01月17日 06時13分04秒 | インポート

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 16日午後、コスミックホール(加東市天神)で平成21年度加東市連合PTA主催のPTCA実践活動発表会が開催された。P:保護者、T:教師、C:地域の連携によってさまざまな教育課題を解決していこうという取り組みである。

 平成15年度、社小学校のPTA会長をさせていただいたその年度、社小がちょうどPTCAの活動発表に当たっていた。そのことも念頭に置きながら年間の活動を計画的に行っていったことを今でもよく覚えている。

 さて、今年は東条東小学校と社幼稚園の発表だった。東条東小はすぐそばを流れる東条川の環境学習で知られているが、地域の人と一緒になったクリーン活動や地域土曜ふれあい活動の成果を発表した。また、保護者と教師による素晴らしいコーラスも披露された。次に社幼稚園の発表では、地元社一区老人会ゆらの会の会員とのさまざまな交流のようすが発表され、園児らが豊かな体験を通して成長している姿を見ることができた。保護者のみなさんによる寸劇はとても素人とは思えないほどの演技力だった。

 東条東小や東条中の運動会や学習発表会、文化祭ではPTAの役員さんやOBの皆さんが出店を出したり音楽バンドの発表があったりしていつも地域ぐるみで子ども達の教育を支援していこうとする姿がある。また、社幼稚園と交流を続ける地元ゆらの会の会員さんの熱心な姿がいつも身近にある。世代を超えて大切な知恵や技が伝えられている。学校や家庭だけでは解決が困難な問題も少なくないなか、こうしたPTCA活動を契機にして地域住民が教育に関わっていくことが大切だと思った。

 


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社小4年生が県議会議場見学

2010年01月16日 06時06分11秒 | インポート

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 15日、加東市立社小学校4年生100余名が県庁、県警本部見学にやってきた。昨秋の予定だったが新型インフルエンザのために学級閉鎖となり今日に延期されたものだ。

 本会議場に入って議員席に座り、議会事務局や広報課の職員の説明を聞く。その前に地元議員である私から挨拶をさせてもらった。社小学校は母校であり、家もすぐ近くなので朝の登校時には緑の帽子と交通安全旗を持って見守りに立っている。今朝も「おはよう!」と声を掛けてきたばかりだ。そのおじさんが「こんにちは。ようこそ県議会へ!」と挨拶するものだから少々驚いた子もあったかも知れない。挨拶の中でいくつか質問をしてみた。兵庫県の人口については1人の女の子(近所の子)が挙手をして自信をもって「約560万人です」と答えた。大したものだ。兵庫県の知事さんの名前も数人が挙手し、そのうち1人の男の子が「井戸敏三知事です」と答えた。これも素晴らしい。去年選挙があったせいもあるかなと思ったが、隣の府知事のテレビ露出度の高さに比べると大健闘だ。

 説明を聞き、質疑応答が終わったあと、クラス毎に議長席を囲んで記念撮影をした。昼食はオアシス庭園。空は晴れていたが、風は冷たい。しかし、子どもは元気だ。お弁当を広げて楽しそうに食べている。私も弁当を買ってきて一緒に食べた。午後、子どもたちは県庁屋上からの展望を楽しんだり、隣の県警本部を見学した。

 地元の小学生が社会科の学習の一環として県庁や県警本部を見学することは非常に意義があると考える。まず、民主主義の原点である議会というものの存在を議場見学、本物の議員との出会いという体験を通して学ぶことができる。次に県境所在地である神戸市にある県の機関、施設を見学しその役割を直接目にしたり触れたりして学ぶことで、地方自治、地方の政治への関心を高めることにつながる、と思うのである。教科書や資料などの写真や解説だけでは得られない”本物”の価値がある。引率の先生も大変だろうが、できるだけ子どもたちに本物の体験の場を設けていただきたい。26日には市内の米田小学校4年生が来る。これも楽しみだ。


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忠魂碑について

2010年01月14日 05時55分59秒 | インポート

 歴史ブログ「ふるさと加東の歴史再発見」で加東市内の忠魂碑を折りにふれて紹介してきた。加東市内にはだいたい旧町村毎に忠魂碑が建立されている。古いものは日清戦争のあと明治30年代に建てられたものがあるほか、ほとんどが大正年間に建立されている。戦前には忠魂碑の前で在郷軍人会などの主催で戦勝祈願祭や靖国神社大祭にあわせて祈願祭が行われていたようだ。

 敗戦後、占領下にあっては、例えば旧上福田村の忠魂碑の石は台石から降ろされ脇の砂場(三草小学校の校庭)に埋められていたと聞いている。独立を回復したのちに掘り起こして再び台石の上に建てられたようだ。社の忠魂碑の英霊の尊名を刻んだ両脇の石は独立回復後の昭和28年に建立されている。

 現在、忠魂碑は遺族会などが維持管理しているようだが、高齢化に伴い、そうしたことも困難になりつつある。私が訪れたいくつかの忠魂碑の中には、きれいに清掃されているものもあれば、人が長い間訪れたようすもないようなものもあった。ある遺族会の役員さんもそのことを心配して、若い人が関心をもって継いでくれたらなあ、と話しておられことが耳に残っている。

 国家の危難に際して遠く戦地に出征し斃れた多くの郷土出身兵士のことを私たちは決して忘れない。その御尊名を刻み永遠に記憶し感謝の誠を献げるための施設、それが忠魂碑だ。これを若い世代が今こそ継いでいかなければならない。そんな思いが強くなってきている。


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火事

2010年01月13日 06時07分29秒 | インポート

 10日夜、夕食をすまして家族でテレビをみていると、有線放送のサイレンが激しく鳴った。「どこや」と声に出して続く放送に集中する。「窪田の教福寺・・・」の放送に緊張が走る。反射的に「ヘルメット、長靴、服!」と叫んで仕度をし、隣の社分団の詰所へ走る。2台のうち1号車はすでに出動している。2号車に乗り込み、運転の2人だったが、もう待てないと出動。市街地を走り抜け窪田へ。その途中、赤い炎が上がっているのが見える。これは大変な状態だとさらに緊張感が高まる。

 現場へ着くと、すでに火は本堂の大屋根にまわっており、ホースを延ばしても筒先はそばに寄りつくことが出来ない状態だ。まだ、消防の数も少なく、家屋が密集している場所なので、隣家への延焼を防ぐことが精一杯だった。火の勢いはますます強く、炎は大屋根の上に高く上がった。次第にホースが増え、放水も本堂に向かって放たれる。境内に入り、正面から放水する。地元窪田の分団員が筒先を、そして私と北野分団の団員らが支える。そんな状態がずうっと続いた。大屋根が崩れ落ち、本堂は前の部分を残して全焼状態だ。柱の中まで火が入っているので残った屋根の瓦の下からまたくすぶってくる。すでに狭い境内は放水の水で池のようになっている。2時間も経ったころ、ようやく火が鎮まった。裏にまわり、社分団の放水を手伝う。前よりよく燃えている。

 OBになって家屋火災に出動したのは2度目だ。しかも現役のときも筒先に行ったこともほんの2度くらいしかないのに、この火事では前で放水の手伝いをすることになった。放水しながら、消防団の存在、役割の大きさを実感したし、消防署員がプロらしい消火活動を目の前でしている姿も確認することができた。さらに、こうした寺のような大きな木造建築、文化財が燃えたときの手のつけようもないほどの火の勢いなどについてもいろいろ頭に浮かんだ。教福寺は盆踊りやお葬式などでよく訪れ知っている寺だけに何とも残念だった。

 原因その他のことは分からない。ただ、消火活動をしただけだった。社分団がさらに残って消火活動をしているので歩いて家まで帰った。体が冷えた。

 


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国歌斉唱もしっかり、加東市成人の集い

2010年01月12日 04時44分06秒 | インポート

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 10日、「加東市成人の集い」が行われた。会場は昨日「加東市新春交歓会」が開かれた同じやしろ国際学習塾。オープニングは全員で「勇躍加東」の合唱。昨日と同じように加東伝の助クンが登場して指揮をした。そこからが違った。今日は国歌「君が代」斉唱が行われたのだ。昨日の式典では国歌の斉唱が無かったが、今日はあった。これでこそ成人の集いにふさわしい。私はいつもしっかり声を出して斉唱するが、今日は臨席の高橋昭一衆議院議員がびっくりするような大きな声で斉唱していた。国旗掲揚や国歌斉唱に対する態度が党内でいろいろ考え方があるようだが、今日の高橋議員の国歌斉唱は素晴らしかった。

 新成人「誓いの言葉」に立ったのは藤原蘭子さんだった。兵教大附属中勤務の最後の教え子(当時中1)で、顧問をしていた女子ソフトボール部のエースだった。立派に、そして美しくなったその姿に思わず「がんばれよ!」と声を掛けてしまった。「誓いの言葉」の終わりの方で、加東市に生まれて育ったことを誇りにして・・・と力強く述べていたが、一番嬉しく、そして成人に期待する言葉だった。


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歴史探訪の会でふるさと加東の歴史を紹介!

2010年01月11日 06時44分11秒 | インポート

 9日、加東市の新春交歓会がやしろ国際学習塾(加東市上三草)で開かれた。第一部は加東市のゆるキャラ「加東伝の助」クンの指揮で「勇躍加東」の合唱から始まり、藤井悦治実行委員長(商工会会長)の挨拶、来賓を代表して山本廣一市長の挨拶などが続き、最後は山本英恵さんによるビオラ演奏が披露された。箏曲をビオラで聴くのは初めてだったが、素晴らしい演奏にうっとり聴きほれてしまった。第二部は会場を移し、賑やかに新春パーティーが行われた。

 12時、国際学習塾から5分ほどのやしろカントリークラブに向かう。うれしの歴史探訪倶楽部の役員会で講演を行うためだ。歴史ブログ「ふるさと加東の歴史再発見」で紹介してきた加東の身近な歴史を物語るもの、すなわち道標、道路元標、忠魂碑、寺社の玉垣や記念碑、大師像などとともにこれらに伝わるエピソードを映像資料と共に紹介した。あっという間に時間が過ぎた。ふるさとの過去の記憶を一緒に懐かしむことができたこと、それが一番の喜びだった。

 この歴史探訪の会で話題になったことは、現在各地でボランティアガイドが組織され活動しているが、加東市にそれがないのが残念だということだった。小野市も加西市にもある。先日訪ねた堺市でもボランティアガイドの皆さんに随分お世話になった。ぜひ加東市でも・・・という熱い思いを感じた。それにしても国宝や加東遺産10選まであるこの町にそうしたボランティアガイドの組織がないのは確かに残念というか、なぜ?という感じだ。


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新中SAM配備の青野原駐屯地で新年の会

2010年01月08日 07時02分46秒 | インポート

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 7日、陸上自衛隊青野原駐屯地で新年互礼会が開かれ、北播磨、丹波地域から市町長、県会議員、市町議会議員、商工会、地元区長、防衛協会はじめ自衛隊募集など多くの関係者が出席した。

 青野原駐屯地は34周年を迎え、新中SAM(新中距離地対空誘導弾)が全国で2番目に配備されてさらに整備が進んでいる。政権交代で民主党政権による自衛官募集業務に関して事業仕分けで減額などが行われたことに対して、小林会長からきびしい批判が行われた。また、挨拶に立った中川加西市長も防衛や安全保障などでの民主党政権の事業仕分けはおかしいと批判した。これに対して来賓挨拶に立った高橋昭一衆議院議員は自衛隊の果たしている役割の重要性について同感であり、自身は安全保障委員会の委員として少年工科学校生徒の身分等についての質問をしたことなどを挙げて応援していることを強調した。乾杯の発声に立った藤原昭一自民党県議団幹事長は「自民党の県会議員は全員防衛議員連盟に入っており理屈抜きで自衛隊を応援している」と強調した。

 高橋駐屯地司令は来年35周年の節目を迎えるにあたって、新中SAM配備など駐屯地整備とともに桜台の名の通り、開設時に植えられた2000本の桜の手当て、整備を行うことにふれた。

 沖縄の米軍基地問題が揺れ動く中、東アジアの軍事的な脅威は高まったままである。このような中で、国土防衛の重要な役割を担う青野原駐屯地の整備発展、そして地元地域、住民の理解と支援態勢づくりが大切だと思った。


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新春書き初め大会

2010年01月06日 06時17分37秒 | インポート

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 5日午後、加東市社の中央体育館で「第4回加東市子ども会新春書き初め大会」が開催され、小中学生230人余りが参加した。小林会長、増田教育長の挨拶のあと、審査にあたる藤原先生(社高校)が、力強く、のびのびと書きましょうと呼びかけた。

 会場正面には大きな鏡餅が飾られ書き初めの雰囲気が演出されていた。この鏡餅はタイヤチューブとボールで作られているのだが、私が教員だった頃、学校で新春かるた大会を行うときに借りたこともある。遠くから見ると本物に見える。

 課題は、小学校1年は「かとう」、2年は「げんき」、3年は「生きる力」、4年は「美しい心」、5年は「広がる輪」、6年は「大きな希望」、中学校1年は「強い意志」、2年は「力強い前進」、3年は「遠大な理想」である。書き初めにふさわしい希望や決意をあらわす言葉が選ばれていると思った。正月に書き初めをし、とんどで天高く燃え上がらせて字の上達を願う、小林会長が挨拶の中でこう話されたが、まさに日本のよき伝統行事である。社町時代は道徳かるた大会も開かれ、子ども会でペアをつくって参加していたことを思い出した。わが家の4人の子どもたちも正月に練習して参加したものだ。加東市版の新道徳かるたをつくって復活してもよいのではないかと思う。習字、生け花、お茶など伝統文化を子ども達が体験することによって、その良さを実感するだけではなく、集中力や心の安定などにも大きな効果があるといわれている。そんなことを墨の香りに懐かしさを感じながら思った。


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