27日午後、加東市下滝野の滝野文化会館で「かとう民踊フェスティバル」が開催された。午前中の「山田錦ウォーキング」でつり気味の足をひきずりながら会場に。すでに開演され、8番目の銭太鼓(藤柳会)の「おてもやん」「青い山脈」から観せてもらった。ちょうど隣席に加東市文化連盟の会長さんが居られたので、民踊、舞踊についていろいろ教えていただきながら観ることができた。
会場は徐々に入場者が増え、とうとう満席に近い状態になった。次々と出演される踊りや銭太鼓の会の皆さんの素晴らしい踊り、演奏に圧倒され、だんだんその雰囲気に酔うような感じになってくる。盆踊りは3曲しか踊れない私である。民踊や舞踊にはとんと縁もなく素養もないのだが、こうしてじっくり観させてもらっていると「いいなあ」と感じてくる。こんな感じは「播州音頭」の研究会の時にも感じたことを思い出す。きっと日本人のDNAに響いているのだろう。
自分にはこうした伝統文化にふれる機会が無かったということが原因で、これまで余り関心が無かったのだと思う。踊りをじっくり見ていると、足の運び、手の先、腰の回し方、目の流し方などいろいろ気になってきた。頭の中に少し経験した武道の型の練習が浮かんできた。特に居合道の型の練習を思い出す。
そんな時、6人の子ども達が「兜」を踊った。こうして子どもの頃から踊りに親しんで体で覚えていくのはいいなあと思いながら観ていた。武道も、民踊や舞踊も共通するのはやはり「型」だ。「型」をまねるのは簡単そうでなかなか思ったように体が動かない。長い時間をかけて洗練され継承されてきた「型」こそ伝統であり価値ある文化といえる。学校教育で教え学ばせなければならない第一のものがこうした伝統文化だと思う。礼儀作法、しぐさを体で自然に覚え、そのことが内面の礼節、道徳を育むことにつながる。
学校の正課にこうした伝統芸能、文化を学び身につける課目があればよいのに。教育基本法の改正、学習指導要領の改訂によって「伝統と文化に関する教育」を教科の中でも取り扱うようになった。しかし、もう一歩進んで「伝統文化」という教科を設けてもいいのではないか。そんなことを考えながら時間の経つのも忘れて民踊を楽しんだ。