百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

年末警戒がんばる消防団

2009年12月31日 07時48分34秒 | インポート

 28,29,30日の3日間、年末恒例の消防団による年末警戒が実施された。29日にこのブログでその報告をしたが、やはり一番大きな問題は団員の高齢化、定員確保が困難になっている現実だった。

 3日間で加東市内約80の分団詰所を回った。各分団員の年齢構成や団員確保について尋ねて回ったが、殆どの分団で高齢化が進み、最高齢の団員は40代半ばから50代はじめになっている。また、一番若い団員も20代半ばか、後半という分団が多く、中には30代という分団もあった。大きな悩みは新入団員がいないために退団できずにそのまま分団の平均年齢が高くなっていくことだ。もう5年後、10年後も同じメンバー構成かもしれないという分団も少なくなかった。次の新入団予定者は現在小学生という地区もあった。その子が成長して入団してくれれば親が退団できる、ということだ。来年は50代が4人になる、という分団もあった。地区に若者が残らない限りこの状態を変えていくことはできない。もう地区の役を兼ねる人も多い。操法大会への出場を要請されても体がついていかないし、仕事の都合でみんなが揃ってやる練習も難しい状況になっている。また、休日や夜間でない限り、出動ができない状態の分団が多い。ある分団で、「消防団員募集」のポスターが虚しいという声があった。いったい誰に向けたポスターなのか。

 この問題は消防団だけの問題ではない。まさに少子高齢化の進むわが国の地方における全体的な問題である。警戒中の詰所では、新入団の勧誘のことをはじめ、子供会のこと、農会のこと、市の運動会のこと、公共交通のこと等々地域のさまざまな課題についての話題があがっていた。

 30年以上消防団員として活動してきた方の「ここに来たら楽しい、ということもある」という言葉に少しほっとした気になった。消防団を通じて、地域の人の繋がり、地域コニュニティーの活性化をやる、という話も実際多かった。3日間、夜道を走り、消防団員の皆さんと短い時間ではあったが顔を合わせることであらためて考えさせられた地域の直面するさまざまな課題について少しでも前進していけるようがんばっていきたい。皆さん、ご苦労様でした。

 


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県民交流広場事業-「ふるさとマップ」で地域の魅力再発見

2009年12月30日 08時34分29秒 | インポート

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28日、加東市上福田地区の「三草ふれあい広場」(県民交流広場事業)が作成した「わたしの村の自慢マップ」(写真)をいただいた。

 表紙には「わたしたちの村自慢として、上福田地域内の史跡や自然景観を多くの方々にご協力いただき、まとめたものです。このマップを通して、豊かな自然と幾多の戦陣の努力により育まれた郷土の歴史に思いを馳せ、郷土の誇りを再発見することができました」と書いてある。

 上福田地区の12の集落から挙げられた自慢の歴史を伝えるものや伝統行事、自然の景色などがこの一枚の自慢マップに集約されている。全部で24の自慢の宝物が写真と解説文で紹介されており、あらためて古い歴史と豊かな自然にあふれた上福田地区の魅力にとりつかれそうになる。また、郷土の人物伝の欄もあり、そこには、緒方洪庵の適塾で学び幕府講武所で教えた学者村上代三郎をはじめ、日本画家の三木翠山、初代国会議員の高瀬藤治郎など上福田村が輩出したそうそうたる人物も紹介されている。イラストマップには自慢のものがポイントされ、地図として活用できるようになっている。

 「上福田村の数え歌」がおもしろい。「一つとや 人の鑑と歌われる孝女おふさは上三草」から始まり、「十つとや 遠き昔は城の跡三草やお城の跡は三草校」まで各村とその特徴が歌い込められている。

 このマップづくりを通して、県民交流広場事業の趣旨である地域の活性化、絆づくりに大きく実を結んでいる。スタッフの方によれば、次のステップとしてマップを活用した活動を模索しているということだった。自分たちの住んでいる身近な地域のことを自らがまずよく知ろう、そこから地域の良さを再認識し、さらに磨きをかけていこう、という意欲が伝わってくる。次の展開が楽しみである。


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消防年末警戒始まる

2009年12月29日 07時12分54秒 | インポート

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 暮れも押し詰まった28日といえば、役所の御用納めがまず頭に浮かぶ。しかし、経験的には消防団の年末警戒初日という方が印象に深い。28,29,30日の3日間は深夜に至るまで消防団が年末警戒にあたる。

 小生もかつて消防団員だった。大学を卒業し帰郷してからの入団だったので少し遅めの入団だった。10年余り勤めて30代半ばで退団した。その間、消防団員として、サイレンが鳴ればヘルメット、長靴で何はさておき詰所に全速力で駆けつけた。そして、消防車に飛び乗り火事現場に。一度だけ消防車を運転した。一度だけ筒先をやった。それ以外はホースを担いで走ったり、可搬式ポンプを運んだり・・・。どちらかといえば第二線での活動が主だった。しかし、所属する分団が町の中核分団だったために町内どこへでも出動した。教師だったので休日か夜間の出動が主だった。山火事、家屋火災、車両火災・・・さまざまな火事現場、災害現場を経験した。

 年末警戒。市内各分団の詰所を回って話を聞く。多くは団員の高齢化、団員確保の困難等の課題だ。31戸の地区で13名の分団員。一旦退団したOBが再入団して定員確保。もう40代後半だ。操法大会の出場を要請されても体がもたない、仕事との両立に悩む。消火や災害出動といった活動よりも団員同士のコミュニケーションの場としての意味合いの方が大きいとの感想だ。若い新入団員が地区にはいない。このままだと永久団員に。村の役員との兼任は当たり前。10年後、20年後はどうなっているのか。これが少子高齢、人口減少社会での消防団の直面している切実な課題だ。

 


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シリウスカップに県下各地から70チームが

2009年12月26日 15時42分35秒 | インポート

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 26日(土)、県立社高等学校体育館は県下各地から参加したジュニアバレー70チームの選手、保護者、指導者でいっぱいになっていた。社ジュニアバレーボールクラブ育成会の招待試合、第2回シリウスカップの開会式が行われた。

 去年第1回シリウスカップが開かれた。それから1年。大きく育った2回目のシリウスカップの盛況を目の当たりにして、この大会を準備してきた育成会のパワー、情熱、労苦に対して敬意を表したい。

 シリウスカップの趣旨は、バレーボール人口の拡大、バレーボールを通しての子どもの健全育成ということと、何よりもスポーツを通じて子ども達が友情を育み友達の輪を広げていってほしいという育成会の切実な願いであると聞いている。その願いがこの大会を生み育てていることを実感した。

 開会式のあと、会場提供している社高校男子バレー部員による練習のデモンストレーションがあった。その高さ、速さ、強さにジュニアの選手たちから歓声が起きていた。きっと、夜空にまたたくシリウスのように明るく輝いて見えたことだろう。シリウスは古代エジプト人の農耕の大切な目印、目標だった。その輝く目標に向かって頑張ってほしいと思った。


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やしろ鴨川の郷で「地球にやさしいクリスマスイブ」

2009年12月24日 08時09分52秒 | インポート

 23日(水)、朝は第33回加東市ロードレース大会が開催された。小学生から一般まで200人余りのランナーが参加した。朝の見守りで見かける小学生も顔を真っ赤にしながら元気に走っていた。少年野球チーム、少女バスケットボールチームをはじめ、市立3中学校の参加が多く目立った。

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 夜は加東市鴨川にある「やしろ鴨川の郷」で「地球にやさしいクリスマスイブ」が開催された。この催しは加東市環境学習プロジェクトチームが主催して初めて開催されたもので、ペットボトルのローソク2千本を準備する小野工業高校や地元食材を使った伝統食のお弁当などを提供する社高校の生徒の参加もあるほか、音楽演奏、舞踊、和太鼓など広い地域から趣旨に賛同する多くのグループが参加した。主催者からは、「きびしい寒さや経済状況にあって地球にやさしい、あったかい心の繋がりを見出して元気を出していこう」と呼びかけがあった。心配した天候も夕方には雨も上がり、空も晴れて月も見えた。社高校生のつくった米粉とそば粉のピザ、出店のおでんなどで身も心も温まった。この催しが絆を深め、地域の元気回復と鴨川の郷への新たな誘客のきっかけになればと願うばかりだ。


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天皇誕生日に国旗を掲げてお祝いを

2009年12月23日 07時04分22秒 | インポート

 今日23日は天皇誕生日。陛下は76歳の誕生日を迎えられる。今年は御成婚50年、御即位20年という大きな節目の年だった。御即位20年をお祝いする国民の集いに皇居二重橋にお出ましになられた天皇皇后両陛下のお姿をテレビで拝した時に心の底から湧いてきた何ともいえない喜び、感激は今もあざやかによみがえってくる。学生時代は東京だったので皇居の一般参賀に行くことができた。昭和天皇は皇居一般参賀で「みんなが私の誕生日を祝ってくれてありがとう」とおっしゃっていたことが強く印象に残っている。シンプルなお言葉だったが、天皇陛下と国民の結びつきを実感しながら、日の丸の小旗を振り、天皇陛下万歳を何度も何度も行ったことを覚えている。

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 先日、西脇市の来住邸で行われていた天皇陛下御即位20年をお祝いするパネル写真展に行ってきた。こうした催しが北播磨で行われたことが嬉しい。全国民がそれぞれの地域で、家庭でお祝いの気持ちを表すことができればよいと思うが、国旗を掲揚することが一番よいのではないだろうか。わが家では玄関に国旗を掲げる。私の住んでいる加東市社の市街地では通りの街灯のポールに国旗が掲げられる。最近は国旗を掲げる家が少なくなったが、あらためて国旗を掲揚する気運を高めていくことが大切だ。写真は4月29日の社の商店街に掲げられた日の丸。


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自民党加東市支部が講演会開催

2009年12月06日 06時04分55秒 | インポート

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 5日(日)、自由民主党加東市支部主催の講演会が加東市新定公民館で開かれた。また、当日は講演会に先立って加東市支部の女性部結成式も行われ、自民党が政権を去って3ヶ月、党再生の動きが地域支部から始まった。

 会場に設置された約100席はほぼ満席。講師の山口由美さん(神戸市会議員)の講演に聴き入っていた。山口さんは、「車椅子に生きた半生-元アスリートとして、母として、政治家として」と題し、映像と話で、車椅子の陸上競技のようすや選挙、そして、家族のことなどを平易に、率直に語った。また、政界への転出のきっかけをつくり、選挙、議員生活のサポートを続けているご主人の話もあった。

 講演後の質疑応答では、初めて経験した政界の戸惑い、自民党の公募候補となった経緯、政治家としてのこれからの展望など活発な質問が続いた。予定の90分があっという間に過ぎ講演会は幕を閉じた。「今が厳しい時、どん底だとすれば、これから必ず上昇していく」という元アスリートの経験を自民党再生にかけた山口さんの言葉が印象的だった。

 自民党加東市支部は社町、東条町、滝野町の3支部が合併して平成19年1月に発足した。その発会に向けた会が平成18年12月10日にこの新定公民館で開催されたわけで、縁の深い会場だった。それから3年が経ち、情勢は大きく変わったが、日本を守る国民政党として、これからも元気に活動を展開していきたい。


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かとう福祉まつり

2009年12月04日 07時29分48秒 | インポート

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 29日(日)、福祉センター(加東市社)で「かとう福祉まつり」が開催された。福祉センターのホールには朝から多くの関係者が出席してオープニング行事や活動発表が行われた。また、センター周辺では福祉関係団体のテントが並び訪れた多くの人が楽しんだ。

 発表の一つとして、地元の小さなボランティア団体が登壇したが、その中に懐かしい高校時代の同級生の姿を見つけた。数人で施設の清掃や整備に取り組んでいるという。小さな輪であるが、地道にこつこつと無理のない活動に取り組んでおり、同級生も楽しそうに語っていた。そんなグループが数多くあれば町は輝くに違いないと思った。

 介護関係者の寸劇も寸劇の域を超える内容、出来映えだった。介護制度をよく理解し、必要に応じて活用する、できるような状況づくりが大切だということをあらためて教えられた。実際、私たちの年代は介護を必要とする年齢層の親があり、誰しもそうしたことに直面しているのが実情だ。話題にもよくのぼる。そこで感じるのはやはり介護制度の利用を遠慮したり躊躇する雰囲気である。今回の寸劇がそうしたことをテーマにしており、啓蒙劇としてよいテーマだった。

 


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堺の歴史を探訪

2009年12月03日 07時30分46秒 | インポート

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 11月27日、やしろ歴史民俗の会の研修に堺市のコースから参加させてもらった。午後、大阪での調査を終えて、堺市へ向かう。まず仁徳天皇陵を参拝した。ピラミッドや始皇帝の墓とともに世界三大陵墓の一つとされる巨大な陵墓といわれるだけあってあまりの大きさにその全体の姿がつかめない。木々で覆われているが、つくられた当時は表面の石がまぶしく輝いていたのだろう。周辺には大小多くの古墳があり、公園として整備され身近な存在になっているようだ。

 与謝野晶子の生家、千利休の庵跡も訪れた。百メートルほどの間に2つの家の跡がある。晶子の生家跡は道路、歩道になっているのでモニュメントがあるのみ。利休の庵跡もビルに囲まれた狭い一角に井戸がある程度。しかし、時代を超えて狭い範囲にこうした歴史を伝える場所があるのはさすがに堺か、といった感じをもった。

 それにもまして歴史を身近に感じさせてくれたのは黄色いユニホームを着た歴史ガイドの存在だった。詳しい説明を聞くことができ、さらにガイドさん達のの堺の町への熱い思いが伝わってきたことだ。「今日はちょっとしか見てないから、もういっぺん堺に来てちゃんと楽しんでよ」の一言がぐっと堺を近くさせた。「そこに住んでいる人が自分の町が好きという地域は元気がある」とは至言である。

 県が推進している県民交流広場事業では、地域の歴史探訪やマップづくりなどが取り組まれていることが多い。地域の歴史資源を見直し、その価値を再発見することにつながる。地域住民が歴史を通して共通の過去をもつこと、一体感や繋がりを感じ合えることが「元気」の源泉なんだろうと思う。

 今の日本に必要なのはこの「共に懐かしむことができる共通の過去-ふるさとや国の歴史を再発見」することから元気を回復することだと思う。そんな思いを強くした堺探訪だった。


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