30日(土)、今日は一日かけて新年の準備を行った。まず、墓掃除。正月2日に墓参りをするので、きれいに掃除をする。まだ早い時間だったが、墓地の水道は凍っていなかった。墓参りの知人と出会い、立ち話もした。若い息子さんを亡くされた方、別の方からは墓地の管理についての質問など、それぞれの人生がそこにある、という実感があった。
家では、餅つきをした。と言っても餅つき器での餅つき、娘と孫たちが手伝いに来てくれた。鏡餅、雑煮や焼き餅の餅は、正月になくてはならないものだ。
そして、注連縄づくり(めがね注連縄にうらじろ、ゆずりはをつける)、床の間、神棚、仏壇の掃除とお札の入れ替え、時々孫が手伝ってくれた。
次に家中のカレンダーの取り替え。皇室、靖国、県警、自衛隊、会社商店関係等々毎年楽しみにしている。家中カレンダーだらけになる。
小さい頃の正月準備は、まず畳を上げての大掃除だった。窓拭き、障子の貼り替えなど、家族総出での大掃除だった。餅つきは、母親の実家で30日の早朝に杵と臼でついて、それをもらって帰って来ていた。つきたての餅をちぎって大根おろしにつけて食べるおろし餅は辛かったがおいしかった。今でも懐かしい思い出だ。時代が変わり、家の構造も生活様式もずいぶん変化し、新年の準備も変わった。
さて、正月準備は続く。玄関に注連縄を飾り、作っためがねの注連縄を井戸、水道、台所、風呂、便所など火や水を使う場所に飾って回る。外の水回りだけで5ヶ所、家の中で5ケ所、他合わせて10数カ所に飾った。
続いて、床の間に鏡餅の三宝、米、干し柿、かち栗、昆布、煮干しなどを飾った三宝の2つを作り、飾り付けた。正月に歳神様に拝礼し、そのあと、歳の数の米粒と他の供え物を取り、歳をとる行事をする。
ここまでで一応、正月準備の私の分担はできた。忙しくてもこれだけは最低限続けてきたことだ。幼い孫達が餅をこねたり、神棚掃除を手伝ったりしてくれた。「神様がいっぱいいるね」という孫の言葉に、幼子が感じた感覚を大切にしたいと思った。