百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

兵庫教育大学附属幼稚園が30周年

2010年09月28日 04時56分45秒 | インポート

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  26日(日)、加東市山国にある兵庫教育大学附属幼稚園が開園30周年を迎え、記念式典が行われた。

 式典には来賓として加東市長をはじめ、私も地元県会議員として出席した。歴代職員やPTA役員さんも出席され、園児、保護者のみんなで30年を祝った。

 この地は附属小学校、幼稚園が同じ敷地の中になり、もっと遡れば、旧社中学校の校門、築山、体育館などがあった場所にあたる。昭和40年代前半に通ったところだ。当時は前の道路は雨が降ると川になり、体育館の周囲は赤土がむき出しで整備もされておらず、思い出すとそれが懐かしい。

 今では可愛い園児たちが通う附属幼稚園として地元にも定着している。常に先進的な幼児教育の研究に取り組まれ、貢献、発展されてきた。今日を節目としてさらに充実していかれることを祈るばかりだ。


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歴史民俗研究会でレポート発表

2010年09月27日 08時11分48秒 | インポート

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  25日(土)、午前中は市内の4つの保育園で開かれた運動会をのぞく。空は青く、風は少し強く感じたが爽やかな天候の下、可愛い園児の演技に家族の声援や拍手が響いた。会場には孫のようすを見に来た同級生の姿もちらほら。この前まで小学校や中学校の運動会に親として参加していたのに、と時の流れを感じた。

  午後は、やしろ歴史民俗研究会。今回は、レポート発表をさせていただいた。テーマは「第一回総選挙と高瀬藤次郎」。郷土の県会議員から国会議員となった高瀬藤次郎の活躍、第一回総選挙の実態などを紹介した。板垣退助が社の持寶院で聴衆を前に演説をしたことに皆さん驚いておられた。Photo_4


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保育園の運動会が始まる

2010年09月24日 05時47分34秒 | インポート

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 猛暑から一転、雨で気温も急降下の彼岸になったが、加東市社でも午前7時半頃から8時過ぎにかけて雷とともに激しい雨になった。

 そんな中、河高保育園の運動会が滝野運動公園体育館で予定通り行われた。保育園の運動会シーズンの幕開けだ。鼓笛隊の演奏に始まり、かけっこや親子リレー、ゲームなど楽しい演技が披露されたが、楽しみにしていたのは、組み立て体操、跳び箱などの体操演技だ。小学生も顔負けのピラミッド、側転、跳び箱の開脚飛び越しなどの難しい技を次々と披露してくれた。中には失敗する子もいたが、何度もチャレンジしていく姿に会場からの拍手が起こる。その時のうれしそうな顔がよかった。

 


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総務常任委員会で長野へ

2010年09月23日 05時31分18秒 | インポート

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  9月7,8,9日の3日間、総務常任委員会の管外調査で長野県方面を訪れ調査した。

 台風9号の進路が心配な中だったが、2日目の8日には、台風が福井県から長野県への進路をとってきたのでどうなることかと思っていたが、雨は降ったものの風は大したことはなかった。

 今回の調査では、過疎地の活性化の現場を見ようということだった。木曽町の町づくり条例、木曽広域連合、飯山市の六斎市、小川庄の縄文おやき村、下条村の農村歌舞伎、山岡のおばあちゃん市、そして、これらの過疎地の元気アップを支援する長野県の施策を調査するために県議会を訪れた。

 3日間、バスによる移動だったが、小川庄のおやき村へは幹線道路から小型バスに乗り換えてさらに曲がりくねった山道を登っていくという経験もした。急斜面で小麦、蕎麦、野菜類を育てるしかなかったこの地で、年商7億円のおやき村がどうしてできたのか。なぜ山深いこの地に外国から若者のグループが訪れているのか、調査の興味は尽きないところだったが、そこには「おやき」がつくられ、焼かれる現場に身をおき、味わい、楽しむこころ、すなわち文化を味わうという彼等のスタイルがあった。彼等が求める日本文化のひとつの場があったということではないだろうか。


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名月、名酒、名曲の夕

2010年09月22日 05時22分50秒 | インポート

 17日(金)、やしろ国際学習塾で、加東市名月、名曲、名酒の会が開かれた。わが国の観月の伝統は古く、千年以上も続いているという。西洋ではどちらかといえば、月夜はオオカミ男やドラキュラといった、不吉なイメージがあるが、日本では人間だけではなく、タヌキまで宴をして楽しむ。月を愛でながら歌を詠み、酒を酌み交わして、自然や人生を感じる。何という風雅なことか。

 山田錦のふる里で、最高の日本酒を楽しみながら、人々が集い歓談するこの会も定着してきたように思う。かつて旧町時代にもこうした観月会があったわけだが、新市の新しい交流の場としてこれからも続けていってもらいたい。願わくば、三草山に満月が掛かる風景があれば満点なのだが。


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加東市長寿を祝う会で考えたこと

2010年09月21日 05時43分15秒 | インポート

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   9月10,11日の両日、やしろ国際学習塾で加東市長寿会が開催された。市内を4つの地区に分けて午前、午後の2回づつ、2日間の開催だった。

 百歳以上の高齢者の所在不明が社会問題になっている折から、そんな話題も挨拶の中に出てきた。会場には恩師の元気なお姿もあった。過日、井戸知事が加東市内の百歳を迎える高齢者を訪ねてお祝いをしたことが新聞に報じられた。その方は近くにお住まいの方で、私の父の同級生の方だった。明治43年生まれの百歳。父も生きていれば今年は百歳だった。父が亡くなってもう40年になる。生きていればどんな百歳になっていただろうか。

 9月5日に同じ会場で「兵庫みらいフォーラム」が開催された。30年後の2040年の兵庫の姿を話し合う会だったが、30年後といえば私は80代後半、会場の高齢者は百歳以上になっている。NHKで百歳バンザイという番組を放映しているが、ここに出てくる百歳のみなさんのお元気なこと。長寿の秘訣をいろいろ学ぶことができる。百年前といえば韓国併合の年だ。その後に大東亜戦争、占領を体験し、独立、経済復興を遂げていく。そんな展開を当時誰が予測し得ただろうか。

 百歳を迎えた父の同級生の方は、長寿の秘訣の一つを「自分の頭で考えることだ」と言われた。この方は郷土史に関心を持つ私にとっては本当に「生きた歴史」である。まさに「古老によれば」という尊敬の言葉がぴったりだ。しかし、現代の日本は「孤老」社会という言葉が浮かんできそうなさびしい社会になりつつあるのではないだろうか。そんなさびしい老後にしてはならない、とあらためて思う長寿会だった。


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猛暑に負けず力一杯の運動会

2010年09月20日 05時32分54秒 | インポート

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   盆踊りが終わったと思ったらもう9月。加東市では9月1日の天神地区の八朔祭りが踊り納め。夏が終わったなあ、とはとても思えない猛暑。9月になってもおさまらなかった。そんな中、5日(日)には市民体育祭。そして、11日(土)には市内4中学校の体育大会、15日には社高校、そして、18,19日の両日にわたり、市内9小学校で運動会が行われた。

 ようやく朝晩は秋の気配が漂うようになったものの、この両日も日中は暑かった。しかし、どの学校でも児童は頑張っていたのが強く印象に残った。保護者、家族や地域の皆さんも熱い声援を送っておられた。しかし、先生方は大変だったろうなと思う。児童の健康状態に配慮しながら練習の成果も気になるところだっただろう。開会式でうずくまる児童もいたが、熱はなかったとの報告にみんな安堵する場面もあった。

 運動会を地域ぐるみの運動会として開催している学校もある。米田小学校では伝統の地域ふれあい運動会で賑わった。消防団のリレーや老人会のグラウンドゴルフ競技など、お父さんやおじいさんおばあさんも活躍する運動会っていいもんですね。鴨川小学校では滝呼ソーランの皆さんが出演、運動会を盛り上げた。それでも児童数の減少は深刻で、1年生は一人という事態に。地域の方が、自分らの時には一学年38人もいたのに・・・といった話も出て、今後の対策を真剣に講じなければという話題に。三草小学校では、県民交流広場「三草ふれあい広場」の皆さんがテント2張を出して元気一杯だった。東条の2小学校でも地域づくり協議会の皆さんが参加して運動会を応援しておられた。東条東小ではPTAOBの皆さんがたこやき、からあげ、ポテトフライの店を出して応援。こうして、みんなで学校を支え、応援する姿があった。熱いのは地域の心意気だった。


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