百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

環境行動都市横浜で見たもの

2009年07月15日 11時35分07秒 | インポート

 8日、兵庫県自由民主党政調理事会の一員として横浜市を訪問し、環境行動都市横浜の地球温暖化対策への取り組みと、特定NPO法人ソフトエネルギープロジェクトの活動を調査した。

 横浜市は今年開港150周年を迎える。今や人口364万人の日本第2の巨大都市に成長した。この横浜市は脱温暖化都市ヨコハマをめざして、2025年(平成37)までに温室効果ガス排出量を30%削減(ただし、一人あたりの排出量)を目標に掲げ、Co-Do30(コードさんじゅうと読む。Coは、カーボンオフ:二酸化炭素の削減、Doは脱温暖化行動、30は30%)に取り組んでいる。

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 そのシンボルがハマウィング(風力発電)である。建設費は約5億円で、財源は国の補助金と市債(住民参加型公募債「ハマ債風車」)の発行で調達された。市債の償還は発電した電気を売った収入と協賛企業(Y(ヨコハマ)・グリーンパートナー)からの協賛金が充てられるというものである。高さ118メートル、羽の直径80メートルの風車は真下から見上げると高い。年間予想発電量は一般家庭約860世帯分の年間消費量にあたるということだった。発電効果より、環境モデル都市ヨコハマのシンボル的役割が期待されている。市債公募では3日間出売したということだった。視覚的にも参加型という点でも市民の環境意識を変えていくには効果的だと思った。後日、わが兵庫県庁に設置されていた風力発電装置が撤去されていたという新聞記事を見ることになったが、まことに残念。

 次に特定NPO法人ソフトエネルギープロジェクトを訪問し、代表から説明を受け、さまざまな環境グッズの体験もさせてもらった。このNPO設立の動機は、ドイツの環境教育に刺激を受けたことが大きく、市民として受身的批判的な姿勢ではなく、積極的に行動していこうという思いからだった、と聞いた。主な事業としては、神奈川県内の公立小中高の敷地を借りて、太陽光発電を設置して、これを地域の温暖化対策の拠点として活動を展開するというもの。そのため環境教育体験車「NEO」を製作して、学校の授業、市民イベントなどに参加して啓発活動をしている。

 かつて勤務していた国立大附属中の校舎屋上には太陽光発電装置が設置され、廊下には発電量などが見えるパネルもあった。しかし、発電装置は見えないし、パネルも設置しただけではなかなか意識されることも少なかったように思う。必要なのは、このNPOが取り組んでいるような環境教育体験を併せて行うことである。「NEO」でソーラーカー、省エネ、ソーラークッキングなどの体験が効果を生む。

 こうしたNPOの運営にもっと若い世代が入ってきてくれることを期待している、という理事長さんの言葉は、まさに環境行動の現実的な問題だと思った。

 


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横浜サイエンスフロンティア高校-ノーベル賞受賞者出せるか

2009年07月14日 11時59分42秒 | インポート

 8日、以前テレビでも話題になった横浜サイエンスフロンティア高校を訪問し、その設立経緯、理念、教育内容、施設・設備などを調査させてもらった。

 横浜SFH(Science Frontier High School)は、今年4月開校の横浜市立高校である。特色はその名の通り、公立の理数科高校であること、科学者の卵を育てることをめざし、大学や企業等のすぐれた指導者を指導者に招いた教育を行う進学校であることだ。設立の経緯はすぐ近くにある工業高校の再編整備計画があったが、中田宏市長の就任で一気に理数系進学高の新設へと進んだということだった。

 設立準備担当部長だった内田氏から、初めから県内トップの進学校にするため校名はもちろん、カリキュラム、指導者、施設・設備もそれに似合った一流のものとするためさまざまな課題を乗り越え、開校にこぎつけた経緯を聞かせてもらった。そのすべてが従来の高校のレベルを超えるものであり、横浜という地の利をベースにありとあらゆる条件を贅沢に整えた、という感じのものだった。中でも、大学、企業などで活躍する高名な研究者による指導を年間を通じて受けられるなどはまさに贅沢そのものだと思った。

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施設設備見学でも驚きの連続だった。理科室というか実験室が20もあり、大学の研究室より整備された先端器具が入っていたりする。カフェテリア、講堂、天文台など豪華なものだった。ほっとしたのは、教室での授業を覗かせてもらったとき、黒板とチョーク、生徒の明るい表情といった授業風景があったことだった。そして、もう一つは日本史が必修になっていることが嬉しかった。英語でプレゼンテーションをしている場面も参観させてもらったが、世界に通じるためにはやはり自国の歴史をしっかり学んでおいてもらわないと。

 「理系離れ」を逆転させ、さらに将来の科学者の卵を育て、ノーベル賞の受賞者も出したい!という意気込みがこの新しい学校づくりに表れている。今年の入試では5倍超の高い倍率になったそうだ。調査中、見学の保護者らしき一団と遭遇したが、親だったらぜひ我が子をこの学校で勉強させたいと思うだろうなと思った。


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にしみたか学園-小中一貫校の取り組みを視察して

2009年07月11日 10時52分53秒 | インポート

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 9日午後、東京都三鷹市の市役所で、三鷹市が取り組んでいる小中一貫校-にしみたか学園-の教育について調査した。

 三鷹市は東京都のほぼ中央に位置し、人口は約17万人、面積は約15平方キロメートルの町である。この三鷹市が取り組んでいるのが市内15小学校、7中学校を7つの小中一貫校に再編して、義務教育9年間を通した小中一貫教育を行っていることである。

 市教委統括指導主事から三鷹方式とよばれる独自の取り組みについて詳しい説明を聞くことができた。聞きながら、自分自身の教師経験から納得できることが多くあった。いわゆる「中1ギャップ」とは、小学校から中学校に入学したばかりの中1が、教科学習や生活指導、部活動などでその違いの大きさにうまく順応できずに、不登校をはじめいろいろな問題が起きてくることをさしてよんでいる。この対策として小中間の授業や行事の交流などが行われているが、小学校と中学校、その違いは実際大きく、とりわけ、生活指導面、総合的な学習、道徳などでは連続性系統性などが余りないまま、また、教師同士も互いに情報交換がないまま指導しているのが現状だった。

 しかし、三鷹市の場合は、こうした問題の解決に向けて、思い切って1中学校校区の2小学校を一つの学校、にしみたか学園という名の義務教育9年の一貫教育の学校という枠組をつくって地域ととも教育改革に取り組んだというわけである。校舎は現状のまま、教育内容、教師の授業交流、行事や部活動などあらゆる面で一貫性すなわち9年間を見通した指導を行うことに取り組んでいる。と説明は簡単だが、これを実現し、実際に効果的に運営していくにはずいぶんと大きな苦労があったろうと思う。

 だが、その成果は3年たって少しずつ出てきているということだった。まず中学校での不登校生徒が減少している。学習成果も上がってきている。初代校長からは部活動の指導者や場所の面でもよい結果が出たという話もあった。ただ、一貫統一カリキュラムの作成や教員の異動といった問題もあるとのことだった。

 単純にじゃあ兵庫県でもという訳にはいかないと思うが、中学校だけを守備範囲として教育をしている教員、小学校だけの教員という閉塞的な現状では「ギャップ」に苦しむのは子どもであり救われない。これは幼保・小、中・高間でも同じような「ギャップ」の問題がある。もっといえば、6・3・3制がよいのか、4・4・4制ではいけないのかといったことも検討しながら考えていかなければならないのではないかと思った。 


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加速する「ご飯離れ」-おいしいご飯を食べよう

2009年07月10日 11時40分29秒 | インポート

 7月2日付神戸新聞に-「ご飯離れ」が加速-の見出しで、ひょうご食生活実態調査の結果が報告されていた。この見出しのあとに-が日本を壊す-と書いてほしかった。調査では、この5年間にコメの摂取量がさらに1割減ったということだ。男性よりも女性の減少割合が高く、また、都市部では週に一度も朝食でご飯を食べない人が4割を超えているという。過日開催された「おいしいごはんを食べよう県民運動推進協議会」での保田茂先生の講演でも日本人が食べるご飯の量は約50年前に比べて半分に減ってしまったということだったのに減少傾向はさらに続いているのかと思うと危機感がつのってくる。

 今年も1反2畝の田圃に稲を植えた。といっても私は田植機を持たないので近所の専業農家の先輩に田植えと稲刈りをやってもらっている。私が持っているのは草刈り機と鎌、手動の肥料ふり機だけだ。水の管理、畦の草刈り、肥ふり、薬ふり等の作業は私の仕事である。しかし、ここ2年は隣近所の農家の方にずいぶんお世話になってしまっている。それでも秋にはわが家の一年間の消費量と少し余分を収穫することができている。何はなくとも秋にはこれで「一年間飢えることはない」と思っている。

 確かに40年前の高校時代には、大きなご飯茶碗で5,6杯食べていた。食後30分は満腹で動けなかった。冬には火鉢で餅を焼いて食べていた。高校の弁当もアルミの弁当缶にご飯をぎっしりと詰め込んで押さえ込んで持って行っていた。貧しかった大学時代には、金が無くなっても家から送ってもらった米を炊いたご飯とマヨネーズと醤油を少し皿に出してつけて食べていた。うまかった。実にうまかった。そんなご飯党だから「ご飯離れ」の流れをなんとしても逆流させたい。

 「ご飯を食べると頭が悪くなる」とはよく聞いた一節だ。「ご飯ばっかり食べていると太るよ」ともよく耳にした。私の少年、青年期には何かご飯を食べると悪い結果を招くといった先入観がつくられていったように思う。しかし、保田先生も機会あるごとに言われるようにご飯は頭の回転をよくし、栄養的にもすぐれ、美容にもよいという。世界的に日本食ブームが広がっているのもこうしたご飯の良さが理解されていることも理由の一つと聞いている。

 加東市の学校給食では週5回のうち、4回ご飯を実施している。兵庫県の平均が3.1回を上回っており、また加東市産キヌヒカリを使っているということで地産地消も行われている。ご飯をおいしく食べる習慣とご飯を主食とした栄養バランスのよい食事を身につけさせることはよいことである。

 保田先生はいつも講演の中で聴衆に問いかける。「だから、明日の朝は何を食べるんですか?」。そしてその答えは「ご飯」。まずはご飯を炊いておいしく食べましょう。


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山里の小学校で考えたこと-「なぜ教室で魚を飼うのか」

2009年07月08日 04時44分50秒 | インポート

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 2日(木)の午後、加東市立鴨 川小学校(加東市平木)のオープンスクールが行われた。全校生24名、低・中・高学年の複式学級のへき地校である。校庭の桜の古木は有名で桜の名所として知られている。

 まず授業参観。1・2年はグループ毎にゲームを考案し保護者をお客に見立てて店びらきをしていた。紙皿回しやコップ釣りなど工夫が凝らされていた。3・4年は道徳。5・6年は環境学習で校区の川でのビンづめ作戦について話し合っていた。教室に置かれた水槽で魚が飼われていた。学習の中で出てくるカワムツやムギツクが泳いでいる。といっても実は私にはどの魚がカワムツでどれがムギツクかも分からない。授業のあとで先生に違い、見分け方を教えてもらった。地元の高齢者の方も「はじめて知ったわ」と言っておられたのには驚いた。子どもらはすごい。

 先生は子どもたちに対して「なぜ教室で魚を飼うのか」と質問する。子どもらの意見はこうだ。「パソコンで調べるより本物から分かることが多い」「自然と同じように暮らしているので(生態が)よくわかる」「ムギツクを知らなかったけど、実物、本物を見ていると背びれが違っていた」「カワムツをムギツクと呼んでいたけど、近く(水槽で)本物を見ていると違いがわかる」といったものだった。自然との直接的なふれ合いが少ない現代の子どもは図鑑やインターネットの写真、知識を基準に本物をみて判断するという。しかし、この鴨川小学校の子どもたちは先生の指導で本物、実物から直接学ぶことの大切さを教えられている。先生は「魚はあくまで入口。それは川につながり、海にも山にもつながる。人間もこの魚と同じようにつながって生きている。それをこれから考えていこう」と言っておられた。

 実物、本物、体験を通して子どもたちは感性豊かに学習する。驚き、感動、疑問の宝庫である。自然豊かな環境に恵まれ、こうした学習によって子どもたちの感性が磨かれているのを実感させられた。子どもたちは魚を通して川の環境を考えている。そして環境と人間のよりよい関係についても思考を広めていこうとしているように思えた。

 


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無事保護!捜索の警察官に背負われて!

2009年07月07日 06時58分07秒 | インポート

 4日早朝のこと。いつものように新聞を取りに表に出ると、隣の消防団詰所に人の気配がする。火事?訓練?。「夜中からずっと子どもを捜してます」「えっ」。驚いた。5歳の子どもが3日の夕方から行方不明になっているという。夜遅くケーブルテレビで放送も流れたらしい。しかし、その時間にはもう寝てしまっていた。

 急いで着替え、その子の通っている幼稚園に駆けつけると、副園長が次々と入る電話情報をメモし、地図に記入していた。「この家、行ってもらえますか?」「もちろん」。車をとばしてその家を訪ねる。周辺では社警察署の署員や地元消防団員、幼稚園の保護者と思われる男性も捜索している。子どもの写真を見てもらい、目撃情報を確かめ、警察官にも聞いてもらう。子どもが向かった先と思われる道を車で探しながら幼稚園に戻る。途中、田圃や池、墓地、山などがあり、池の周辺を捜索している消防車(消防団員)も遠くに見える。幼稚園に戻ると、呼びかけに応じて次々と捜索に加わる人が来ていた。

 次の情報が入っていた。またその家に向かう。確かに見た、という目撃情報を得る。近所の人に写真を見てもらうと、さらに目撃情報が出てきた。それらを幼稚園に戻って報告する。範囲はだいぶ絞られてきているようだった。さらに電話が入り、その方のお宅を訪ねるべく、車を走らせる。池のそばでその子を見たという情報を得る。その方角に向かっていると、山というか藪の方から田圃の中の道を二人の警察官がこちらの方に歩いてきていた。目を凝らしてよく見ると、一人の警察官の腰のあたりから小さな足が見えた。発見だ。「いたんですか?」「いましたよ」だったかどうか忘れたが、そんなことを大声で言い合ったように思う。全身の毛穴がぱあーっと開いたような、とにかく「やった」「よかった」と思わず叫んでしまう。

 警察官が「公民館まで乗せてもらえませんか」という。「もちろんですよ」。「ぼく、ようがんばったな」とかなんとか興奮して話した。警察官によれば、捜索していると藪の中から子どもの声が聞こえてきた、それがなかったら通り過ぎていた、ということだった。警察官の声も弾んでいた。子どもの顔には蚊にさされたあとがたくさんあったが、元気に話している。それがまた嬉しかった。

 公民館前には警察車両が集まってきていた。空には県警のヘリも旋回していた。駆けつけた捜索の保護者、消防団員もみんなが安堵の笑顔だった。携帯電話で幼稚園に発見を伝えた。電話の先から喜びの声が聞こえた。幼稚園に戻り、状況を報告して帰宅した。

 しかし、無事発見保護されてよかった。この一言に尽きる。5歳の幼稚園児が行方不明。しかも一晩たっている。池や用水路があるし、人通りの少ないところもいっぱいある。頭によぎるそうした悪いことを否定しながらの捜索だった。社警察署をはじめ、消防団、そして保護者あるいは一般の地域住民、ケーブルテレビ等を通しての捜索、情報提供の呼びかけに多くの人が自主的に行動を起こしていた。こうした、いざというときの情報と素早い行動、そして結束力の重要性をあらためて実感させられた。

 今も子どもを背負った笑顔の警察官の顔が浮かんでくる。よかった。

 


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