百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

土地改良区総代会

2010年03月31日 05時40分25秒 | インポート

 24日(水)加古川西部土地改良区、26日(金)東播土地改良区の通常総代会が開催された。

 土地改良区は農業用水や農地の整備、維持管理を行っている団体である。東播土地改良区の総代会では、来賓として祝辞を述べさせていただいたが、その内容のあらましは次の通り。

 農業を取り巻く情勢は多くの課題に直面してるが、中でも22年度予算において、農業農村整備予算の大幅な削減という事態は、農業生産の持続的な発展に絶対に欠かせない「水」と「土」、すなわち農業用水と農地の整備に重大な問題を引き起こしている。

 農業をめぐって今、世界各地で何が起こっているのかというと、それは人口増加と食糧不足に備えて海外、アフリカなどにに農地を確保するという争奪戦が起きている。また、水不足に備えて水資源の確保についても同様の動きがある。一方、翻ってわが国の農業は食糧自給率が4割、耕作放棄地は増え続け、担い手の高齢化、不足など深刻な状況にある。

 これに対して新政権は農家への戸別所得補償を農業政策の中心に据えて食糧自給率を向上させようとしている。しかし、これを実行するには、すなわち、コメをつくれ、大豆や麦をつくれ、その他作物をつくれといっても、そのためには、水と土、すなわち農業用水と農地が崩壊してしまってはすべて、画に描いた餅にすぎなくなってしまう。

 安定的な食糧供給を担い、環境や伝統文化を守っている農村を存続させ、活力あるものにしていく為には、そのもっとも基盤にある「水」と「土」の整備は絶対に欠かせない条件である。しかも、これらは、長年にわたって計画的に実行していかなければできないことである。先人が刻苦辛苦して、営々とつくりあげてきた農地、水路、その事業の先端に立って次の世代につないでいくためにも絶対に欠かせない事業が土地改良事業である。

 最早これは、自民党や民主党といった政党の選挙対策などという小事ではなく、まさにこれは国家国民のいのち、存続に関わる一大事であるという認識に立って進められなければならない。これは現場のまさに悲痛な声である。

 かつて、大正末年の大干ばつを教訓に造られたのが昭和池、そして、敗戦直後の食糧難に対して食糧増産のために造られた東条ダム、これらの池と水路が日本を代表する豊かな農業地帯の基盤になってきた。まさに農の血管であります。水を送り続ける長大なこれら施設をしっかりと保全しこれからも使い続けることができるようにすることこそ、喫緊の課題である。

 農は国の大本にして 水利は農の命脈なり

これは二位所長(加古川流域土地改良事務所長)に教えていただいた言葉であるが、この言葉を胆に銘じて土地改良事業の意義をこれからも県政に反映、推進していく決意である。


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保育園の卒園式

2010年03月29日 06時11分27秒 | インポート

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 25日(木)、冷たい雨の降る中、市内の椿山保育園の卒園式に出席した。晴れの門出の日の雨がうらめしい。15人の卒園児。式場に入って卒園式が始まった。その最初は国歌「君が代」の斉唱だった。保育園の卒園式での国歌斉唱。園児らの元気な歌声にこちらも思わず元気が出て声も大きくなる。珍しいのではないかと思う。少なくとも保育園では初めての体験だった。式の終わりに担任の先生から一人一人に花が贈られた。その際、先生が園児の頭を手で撫でておられた。卒園してもいつでもこうして子らの頭を撫でてほしいし、抱きしめてやってほしいと思った。

 27日(土)、空気は冷たいが日差しが明るい春のような天気の下、市内の正覚坊保育園の卒園式に出席した。25人の卒園児が保護者に花束を贈る。着物姿のお母さんたちは涙と笑顔で感極まっていたようだ。地蔵様のお護りをいただき・・・といった宗教的雰囲気に満ちた卒園式だった。涙のお母さんにつられて泣いていたのは男の子ばかりだった。「いちねんせいになったなら・・・」と元気よく歌いながら卒園していった園児たち。ただ、地元加東市立福田小学校の新入生は17名と聞いた。隣の席の教頭先生は高校時代の同級生。「小学校で待っています!」と園児に声を掛けていた。


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老人会総会、卒業式、加東市合唱祭

2010年03月23日 06時19分08秒 | インポート

 3連休の初日20日(土)は、市内の老人会総会に出席し、午後は市内の通信制私立高校の卒業式に出席した。11人の卒業生を保護者や先生らが祝福した。私は門出を祝って坂村真民さんの「鈍刀を磨く」という詩を贈った。鈍刀はいくら磨いても光らないが、磨いている自分が光ってくる、という詩だ。この詩が大好きで中学校で教えていた頃もよく生徒に紹介してきた。

 21日(日)には、やしろ国際学習塾で加東市合唱祭が開催された。市内の10の合唱団、グループが出演し、ゲストには関西学院大学グリークラブという豪勢さ。ホールは満員だった。三草庵でお茶をいただき、美しい歌声を満喫するという幸福な午後の時間だった。それにしても人口4万のまちで、こんなに多くの市民が合唱、コーラスを楽しんでいるのは珍しいのではないかと思う。しかも、日本で一番古い歴史をもつという関学グリークラブの男性合唱の素晴らしい歌声を聴けるとは。


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見守り隊へ手作り感謝状

2010年03月19日 06時32分25秒 | インポート

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 17日(水)、いつものように午前7時30分には家の近くの「学校道」の交差点に見守り活動に出る。緑のセーフティキャップをかぶり交通安全旗をもって見守り活動に立つようになって、もう3年半になる。

 7時30分から20分ほどの間に10の通学班が通過していく。時折り集合に遅れた子どもも通る。この場所には民生児童委員の方と一緒に立っているが、通学のようすを見ながら気になる子どもの状態の把握につとめておられる。

 子どもたちから可愛い手作りの感謝状をもらった。写真は6年生もものと3年生のものだ。朝しか見守りに立てないが、子ども達が元気に「おはよう!」と挨拶しながら登校する姿から1日が始まる。6年生は4月から中学生になり、そしてまたピカピカの1年生が入ってくる。楽しみだ。

感謝状

見守り隊のみなさん

いつも社小学校のみんなが安全に登下校できるように見守ってくださって、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。

         平成22年3月15日   社小学校6年生一同

みんなを見守ってくれてありがとうございました。これからもよろしくおねがいします。                    社小学校3年生一同


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清掃奉仕、酒米生産者大会

2010年03月15日 05時48分10秒 | インポート

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 14日(日)、久し振りの明るい春の日差しにまぶしさを感じながら、加東ライオンズクラブと地元のボーイスカウト合同で道路清掃奉仕を行った。ライオンズクラブの例会には公務欠席がちだったので、今日の奉仕作業は楽しみだった。(写真は集合、田圃の畦のつくし)

 ジャスコ社店の駐車場から周辺道路、そして国道175号側道を歩いてゴミを拾っていく。ボーイたちもゴミを見つけては楽しそうに拾っていた。タバコの吸い口、ペットボトル、空き缶、雑誌、レジ袋などが溝に落ちている。中には袋に入ったままのゴミが捨てられており、子どもたちもそのマナーの悪さに怒っていた。

 ボーイスカウトが当地に発足して45年ということだった。私が社小学校5年の時だった。当時、子ども会の他にこうした社会教育の場はなかったと思う。みんなで入団して奉仕や野外活動などを行った。その後輩たちとおじさんになった自分達が一緒に奉仕作業をやっていることに何だか嬉しい気分だった。

 午後、やしろ国際学習塾で加東市酒米生産者大会が開かれた。加東市は日本一の酒米「山田錦」の特産地である。とりわけ、東条をはじめ特A地区があり良質の山田錦が生産されている。山田錦は酒米の王とよばれ、とりわけ加東市など北播磨地域は兵庫県産山田錦の主産地である。山田錦の生産、需要ともにきびしい時代に入りつつある。昨年、とうじょう道の駅、国道372号藤田交差点に「山田錦のふるさと加東」のモニュメントも建てられ、特産地を売り出していこうとしている。

 


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海上自衛隊-舞鶴基地で補給艦「ましゅう」を見学

2010年03月14日 08時28分04秒 | インポート

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 12日(金)、兵庫県議会防衛議員連盟の県外調査で京都府舞鶴市にある海上自衛隊舞鶴地方総幹部を訪問れた。

 総監部を訪問する前に、まず、舞鶴湾を一望に見渡せる五老ヶ岳公園に登り、展望タワーから眼下に広がる舞鶴湾の景色を眺めた。湾内にはコンテナ岸壁や自衛隊基地も遠望できた。

 舞鶴は帝国海軍の時代から海軍の町として、戦後は海上自衛隊とともに100年以上の歴史をもっている。町の通りの名に艦船の名前がついているのもそうした歴史をよく物語っている。舞鶴に海軍の鎮守府が置かれたのは明治34年(1901)のことであり、初代長官には東郷平八郎元帥(当時は中将)が就任したことでも知られている。東郷ファンである私としては今日の見学を楽しみにしていた。

 最初に鎮守府長官官邸(現在は舞鶴地方総幹部会議所)を見学。明治時代の建築で、和風と洋風の建物が一つにつながっている。瓦やガラスは当時のものが残されている。和室の一つに庭を見渡せる書斎があり、東郷さんはここで日本海海戦の作戦を練ったと伝えられている。

 次に地方総幹部の中にある海軍記念館を見学した。記念館の玄関正面には大旭日旗と東郷元帥の胸像がある。この胸像は敗戦後GHQに見つからないように密かに湾に沈められたものだが、戦後偶然に発見され、この場所に置かれたものという。中には貴重な資料が数多く展示されていた。特に佐久間艇長に関する資料には感動した。中学で社会科を教えていた当時、「近代日本の人物研究」というテーマで生徒が調べ学習をしたときに、東郷元帥とともに佐久間艇長も取り上げて学習したこともあり、時間の経つのも忘れて読み込んでしまった。

 記念館見学ののち、舞鶴地方隊の岸壁に停泊中の補給艦「ましゅう」に乗艦、艦長から説明をいただいたあと、艦内を見学した。「ましゅう」は排水量13500トン、長さ221メートル、乗員145名の自衛艦最大の大型補給艦である。インド洋では給油活動、ソマリア沖では、海賊対処の警戒活動にあたる自衛隊の艦艇に弾薬、燃料、その他物資を補給するなどの活動を行ってきた。自衛隊の装備、技術はきわめて高く評価も高かったということである。艦内には倉庫、冷蔵庫、病院設備等も完備しており、災害の緊急援助活動などの任務にも就くことができるようになっている。艦内はさながら巨大倉庫のようでもあった。

 政権が交代し、インド洋に於ける給油活動は終了したが、その間の任務遂行にあたっては想像を超える苦労があったと思う。そして、各国から信頼と高い評価を得て十分に世界に向かって共に汗して活動するわが国の存在を示すことができたと思う。これに代わる活動が動き出しておらず、そのことが国民の間で真剣に問われていない現状は問題であり残念である。

 「ましゅう」の艦尾に翻る旭日旗をバックに記念撮影をして見学を終えた。基地内にはイージス艦、護衛艦、掃海艇など日本の海の守りの精鋭達が居並んでいた。 

 

 


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芸能発表会とコンサート

2010年03月12日 05時28分26秒 | インポート

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 7日(日)、加東市では第2回芸能発表会(加東市文化連盟芸能部)と加東フィルハートフルコンサートが開かれた。朝から冷たい雨が降る生憎の天気だったが、やしろ国際学習塾(芸能)、コスミックホール(コンサート)には多くのファンが足を運び楽しんだ。

 芸能発表会は水龍太鼓からスタート。大正琴の演奏、播州音頭と演目が続く。日頃の稽古で磨かれた腕前の披露とあって、皆さんいきいきと、若々しく、そして美しく輝いておられる。芸能から感じる良さは、やはり洗練された所作や音色、リズムなど体と心が一体となった美しさ、絶妙の調和、リズムといった心地よさがあるような気がする。それは長い歴史の間に磨かれ伝承されてきた型、スタイルを基盤とするものであるからだろう。そして、何よりも演じておられる皆さんがおそらく一番快感を感じておられるからだろう。播州音頭のリズムが如何に自分の内奥にあるリズムに合っているか、本当に癒される。

 コンサートでは加東フィルの演奏に先立って、コーラスとピアノ演奏が行われた。そのピアノ演奏でさっそうとして舞台に立ったのは加門隆太朗氏。中学の教師時代の教え子だ。今年京都の芸大を卒業するらしい。中学j時代から男前だったが、短く刈った頭でさらに精悍さが加わっていた。演奏は実に素晴らしいものだった。あとで少し話ができたが、懐かしい思いで一杯だった。


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鴨川小学校-6年生お別れ会

2010年03月02日 06時43分54秒 | インポート

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  28日(日)、加東市立鴨川小学校(加東市平木)で「6年生を送る会」が開かれた。オープンスクールで保護者や地域の人たちが参観のために訪れ、会場の体育館は満席だった。

 今年卒業する6年生は2人(男女各1)。2人のため在校生、先生、PTA、地域の人が「送る会」を盛り上げた。低学年は音読劇「かさこじぞう」を披露した。教師になって初めて研究授業をしたのがこの「かさこじぞう」だったことを懐かしく思い出しながら、子ども達の大きな声と豊かな演技力に感心した。中学年は劇「豆太の願い」。実に楽しそうに伸び伸びと演じる子ども達にまた感心。シナリオも話し合って挿入したところも多いそうだ。そして、高学年が人形劇「魚と見た鴨川の川」。総合学習で学習した地元鴨川を流れる鴨川の魚を通して環境を考えてきたその成果を劇にしたものだ。6年担任の岸本清明先生と一緒に考えてきたことを「問い」の形式にしながら訴える内容の深い発表だった。

 その後は全校生と先生らによる合奏、PTAの演し物などもあり、約2時間半の楽しい時間があっという間に過ぎていった。学校が地域とともに一つの家族のように感じられた。6年担任の岸本清明先生が感謝のことばのなかで、「鴨川村立学校だと思っています」という言葉に実感がこもっていた。


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母校県立社高校の卒業式

2010年03月01日 05時30分59秒 | インポート

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 2月27日(土)、県立社高等学校の卒業式が行われた。今日卒業したのは第62回生の生活科、体育科、普通科合計265名。これまで2月議会中のために出席できなかったが、今年は土曜日だったのでようやく念願が叶ったというわけだ。

 社高校は我が母校である。38年前の昭和47年、たしか2月24日だったと思うが24回生の卒業式だった。私は東京の大学の受験日で欠席した。大学の卒業式もすでに帰省してしまっていたので欠席。ということで私の卒業式は社中学校が最期になっていた。今日、母校社高校の卒業式に出席し、後輩である62回生と一緒にようやく念願の卒業ができたのである。脳裏によぎるのは懐かしき高校時代の思い出の一こま一こまだった。今では同級生が母校の教師として勤務している。また、地元中学校の校長として同じ来賓席に着座している。ああ、あの青春時代から38年の歳月が過ぎたのだ・・・と胸に熱いものがこみ上げてきた。

 しかし、今日の主役はあくまでも62回生である。実に素晴らしい態度だった。式典の間、咳払い一つ聞こえず、体がぐらぐら動く者もない。質実剛健、簡素にして厳粛、素晴らしい式典だった。こんなに素晴らしい後輩が育っていたのかと感動した。池田校長はじめ先生方のご指導のお蔭だ。式は国歌「君が代」斉唱に始まり、校長式辞、来賓祝辞、在校生送辞、卒業生答辞、仰げば尊し、蛍の光、そして校歌斉唱で終わる。まさに時代風潮を超越した典型的伝統的な「日本の卒業式」だった。私が21年間勤務した兵庫教育大学附属中学校もまったく同じオーソドックスな卒業式を行ってきた。壇上の正面には真ん中に国旗日の丸、そして左右に県旗と校旗が掲げられている。あるべきものがあるべき位置にあり、伝統の型式に従って厳かに修められる、それが教育というものだと思った。

 卒業生退場はどうするのかと思っていたら、3年担任の先生が前に並び、1組から順に一声先生方にお礼を言って出て行く。入場は担任に導かれ、退場は担任のまなざしを背中に去っていく。まさに巣立ちだ。「○○先生、ありがとうございました!」の声を残して。シンプルでいい。  

 今日、国歌と校歌は思い切り大きな声でしっかり歌おうと決めていた。「君が代」はどこでもきっちり歌うが、母校社高校の校歌は、春の選抜高校野球で甲子園球場に出場した時と恩師の叙勲パーティーで歌った以来だ。大好きな校歌。一年の担任だった井上先生に教えてもらったことをよく覚えている。「播磨国原穂波も豊か・・・」「祖国の最中目路もはるばる・・・」という1番と3番の歌詞とメロディーが気にいっていた。何とも大きな歌詞だ。今日は24回生藤本百男、38年後輩の62回生と一緒に卒業させてもらいました。感謝。そして祝!62回生!永遠なれ母校社高校!

 式場から出る時、教師時代の教え子が見送ってくれた。彼はもう立派な中堅教師として活躍している。廊下を歩いていると、娘が在校中に描いた油絵が掲げられていた。そして、駐車場から帰ろうとすると、自転車に乗った男子生徒の視線を感じた。最期に勤務した地元の小学校の6年生。もう立派な高校生になっていた。時が過ぎ、世代がかわっても仰ぐは社嬉野に高く聳ゆるわれが学舎、社高校だった。


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