百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

加東事務所で片づけ

2018年12月31日 05時40分22秒 | 日記
 30日(日)、今朝も冷えた。社中央公園の芝生は真っ白になっていた。環状線を歩き、大池、忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩いた。佐保神社の瑞神門の屋根が朝日に照らされ白く輝いていた。(写真)
 事務所で片づけを始める。年末大掃除はすでに済んでいるが、雑誌や新聞などを年明けの小学校のリサイクルに出せるよう整理した。やり始めると途中で止められない。結局一日中事務所で片づけに没頭した。まだ新聞スクラップの整理や文書整理が手つかずだが、事務所内はだいぶすっきりした。
 事務所に立ち寄ってくれた友人と明日の除夜の鐘を撞く約束をした。
 

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年末に寒波、悲報。事務所で一日。

2018年12月30日 05時36分26秒 | 日記
 29日(土)、早朝、屋根や公園の芝生がうっすら白くなっていた。冷たい空気の中をいつものコースを歩く。日中はよく晴れて明るい冬の日が射したが風が冷たい。
 事務所と自宅を往復しながら片づけや通信物の作成を行った。午後、事務所に相談に来られた方があり、お話を伺った。
 3時頃、事務所に友人が訪れた。そこに悲しい報せが入った。関東にいる高校時代の親友が亡くなったという親族の方からの電話だった。突然の悲報に愕然とするばかりだった。秋に電話で話したがその時には病におかされていたのかと思うと声に元気がなかったように今さらながら思った。よく思い出そうとしたが、あれはまぼろしだったのか、記憶がはっきりしない。むしろ、高校時代の遠い記憶や彼が帰省してきた時に再会した場面の記憶がよみがえってきた。学問研究の道に進んだ彼との会話は興味が尽きなかった。
 夜、知人の通夜式に参列した。その帰り、参列していた同級の親友に悲報を告げると、昨日、別の同級生も亡くなったと知らされた。まさに言葉を失った。
 この秋には、各地区の敬老会などで、65歳になりました、と挨拶をする場面が多かったものの、まだまだこれからです、という言葉を続けた。しかし、つい先日、同級生を見送り、また今日の悲報が続いた。早すぎるという言葉しか出てこない。今はただ冥福を祈るばかり。

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雪のちらつく加東で-消防団の年末警戒始まる

2018年12月29日 04時31分53秒 | 日記
 28日(金)、夜の間に雪が降ったのか、屋根の一部が白くなっていた。小雨が残っているなか、社中央公園から忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩いた。そのあと、雪が降り始めた。天気予報通りだ。
 午前中は自宅で仕事。HPのトップページの写真、挨拶文などを作成したり、12月の活動報告をまとめた。昼は雪の舞うなか、お世話になった方の告別式に参列した。帰宅直後に来客もあった。
 午後は加東事務所年末恒例の大掃除。スタッフが掃除や片づけ作業を行うその間も来客が続き、私は専ら来客対応にまわった。教え子だったり、同級生だったり、年末の挨拶や年明けの同窓会の準備などで話も弾んだ。
 夜、雪が舞うなか、消防団の年末警戒発団式が行われ、日ごろの活動への感謝と年末警戒のお願いをさせていただいた。警戒は30日まで行われる。写真は団長の訓示。
 明日から年明け4日の仕事始めの前日まで事務所で片付けや事務整理をしながら過ごすのが恒例になっている。

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今年最後の県庁執務

2018年12月28日 05時13分19秒 | 日記
 

 27日(木)、朝、社中央公園から忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩いた。写真は、朝のウォーキングで見た大池の水面を泳ぐ水鳥の姿。
 10時登庁。さっそく当局から説明を受ける。続いて、来客があり、県政要望を受けた。昼前に自民党県連本部に。午後も政調会長室で執務。議員からの問い合わせや来客、当局からの説明もあり、慌ただしくもあった。明日は仕事納めの日だ。一日早く、今日が私の今年最後の県庁執務になる。
 天気予報では今夜から上空に寒波が流れ込み、明日は平地でも雪が降るかもしれないとのこと。明日から消防の年末警戒が始まる。

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今日も県庁で

2018年12月27日 05時03分35秒 | 日記
 26日(水)、朝、忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩き、事務所に寄ってから県庁に向かった。
 10時に登庁。午前、午後とも政務調査会長室で執務した。
 鴻池祥肇参議院議員の訃報が入った。2年前の副議長就任祝賀会には加東市まで駆けつけて下さって激励の言葉をいただいた。この夏にお出会いしたのが最後になった。
 年末で議員控え室も閑散としているなか、事務整理や来年の準備のために登庁した議員らと話をしたり、当局からの説明を受けたりした。夕方、加東事務所に戻り、メッセージの発送などを行った。
 今日、今から50年以上前の父の町長選挙の時に選挙カーに乗ってウグイス嬢をしたという女性に偶然出会った。今も美しい声をお持ちの方だった。そういう方が身近かにおられ、当時の話を聞かせていただくことができたことに不思議なご縁を感じた。

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県庁で一日

2018年12月26日 05時15分11秒 | 日記
 25日(火)、朝、昨日と同じコースすなわち、社の聖地巡りコースを歩いた。歯科で治療を済ませ、市内を回り、兵庫教育大学に寄ってから県庁に向かった。11時登庁。政調会長室で打ち合わせのあと、自民党県連本部で年末の事務整理。写真は加東市社の佐保神社前交差点のガソリンスタンドからの景色で、播磨高野と呼ばれる五峰山光明寺がたなびく雲に浮かんでいるように見えたもの。
 午後も政調会長室で来年2月の議員団行事の準備や打ち合わせなどをする。登庁する議員もまばらだった。各地元で活動中なのだろう。来客もあり、県の政策に係る団体要望も受けた。夕方まで執務。日が落ちるのが早い。今年もあと僅かとなった。


 

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加東を回り、あとは事務所で一日

2018年12月25日 04時34分46秒 | 日記
 24日(月)、朝、社中央公園、忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩いた。冬の日の出の景色は凜としている。写真は社中央公園から北の方角を望んだ景色。冬らしく中国山地の上空には雲がかかり、西の空には白い月が浮かんでいる。
 午前中は加東市内を回り、昼前には事務所に来客。午後は事務所で書類整理などに没頭した。夕方近く、友人が訪ねてきてしばらく同級生の話などをした。あっという間に外は暗くなり、今日の仕事に区切りをつけた。
 今日はクリスマス・イブ。子供達が小さい頃はいろいろやることが多くて慌ただしかったことを思い出してしまった。今は静かな、いたって静かな普通の夜です。
 

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天皇誕生日 加東市内を回る

2018年12月24日 04時32分17秒 | 日記
 

 

 23日(日)、今上陛下85歳の御誕生日を祝って玄関に国旗を掲げる。平成最後の天皇誕生日は日曜日だった。友人は皇居にお祝いに行くと言っていた。加東市社の環状線と学園道路が交わるところに加東警察署社交番がある。社中央公園の一角にあり、そのすぐ側の築山の頂上部に一本の石柱が建っている。これは、昭和9年(1934)に社町青年団が皇太子の誕生を記念して建立した国旗掲揚柱の礎の石柱である。当時、父は青年団長をしており、費用の工面に苦労していたことが日記に書かれている。皇太子とは今上陛下のこと。昭和8年12月23日に御降誕。85年後、当時の青年団員はもう誰もいないが、この石柱に皇太子の誕生を国民こぞってお祝いした、その喜びが込められ、今に伝えられている。

 8時30分、加東市下滝野の県立播磨中央公園へ。年末恒例の加東市ロードレース大会が行われた。郡市区駅伝の選手選考会も兼ねている。市内の小、中学生、高校、一般の部でレースが行われた。京都では全国高校駅伝が行われた。例年と違っているのは暖かいということだった。
 午前中は、市内を回り、イオン社店では、ボーイスカウトが歳末助け合い募金活動を行っていた。また、店内では県立社高校生活科学科の生徒がクリスマス演奏やSeicaの店を出し、行列ができていた。よく頑張っている。バイオリンを弾いている生徒は、教員時代の教え子の子だった。午後は自宅で片付け。作業をしている間に訪ねてこられる人もあり、会話も弾んだ。

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ふれあい喫茶で兵教大バンド演奏-牧野地区

2018年12月23日 05時28分17秒 | 日記
 22日(土)、朝、降っていた雨も上がった。家で作業していると、加東市牧野地区の役員さんから連絡があり、ふれあい喫茶にお誘いを受けた。しばらくして公民館に伺うと、子供会から高年クラブの皆さんまで世代を超えてのクリスマス会がちょうど始まるところだった。
 兵庫教育大学のブラスバンドのグループがクイズを交えながらクリスマスソングなど楽しい曲を演奏。会場から手拍子や公民館始まって以来はじめてというアンコールの声までかかる盛り上がりだった。
 そのあと、加東市社地区の区長さん宅を回り、さらに西の河高地区から東条東地域まで車を走らせた。古家地区では山田錦栽培農家を訪れた。
 午後は事務所に来客があり、お話を聞かせてもらった。一気に解決とはいかない相談だったが、悩みを聞かせていただくことも大事。夕方、東の空にかかった雲の間から丸く明るい月が昇った。明日はロードレース大会が開かれる。

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拉致舞台劇「めぐみへの誓い-奪還-」

2018年12月22日 05時42分35秒 | 日記
 

 21日(金)、朝、霧の中を社中央公園から忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩き、今年最終の登校見守りに立った。
 事務所に寄ってから県庁へ。11時過ぎに登庁し、議会事務局や健康福祉部と年明けの日程調整などを行う。
 午後、神戸市文化ホール(中央区)へ。2時から拉致問題啓発舞台劇「めぐみへの誓い-奪還-」の公演が行われ、同僚議員らと参加し観賞した。この公演は政府拉致問題対策本部、兵庫県、神戸市が主催し、劇団「夜想会」が上演した。脚本・演出を手がけた野伏翔氏が上演前に拉致問題解決への思いを語った。また、井戸知事、内閣府審議官が挨拶に立ち、井戸知事は国民的課題という段階を超えている重大問題であり、早急な解決が必要だと強い決意を述べた。
 劇は、昭和52年(1977)11月15日、部活を終えて帰宅中の横田めぐみさんが(13歳)が北朝鮮の工作員らに拉致され、工作船に乗せられて北朝鮮へ送られていく場面から始まり、北朝鮮での洗脳教育や精神病院での同じ拉致された日本人との交流、父と母の夢を見る場面、北朝鮮国内での思想教育と強制労働や処刑場面など、拉致被害者が置かれている状況が演じられた。また、招待所での田口八重子(ウネ)さんが金賢姫(大韓航空機爆破犯)にスパイ工作を行う場面も演じられた。めぐみさんの両親、横田滋さん、早紀江さんのめぐみさんへの思いを軸に場面が展開し、最後は、「めぐみは生きている、かならず救い出す、取り戻す」との叫びで幕が閉じた。
 フィナーレで出演者全員が「奪還」への思いを込めて歌った。田口八重子役の半井小絵さんの目に涙が光り、その思いが私達にも伝わってきた。写真は公演のチラシから。
 明日は、同じ神戸文化ホールで蓮池薫さんの講演が予定されている。

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午前はサンタ訪問、午後は県庁執務

2018年12月21日 04時21分09秒 | 日記
 20日(木)、朝の登校見守りに立ち、事務所に寄ってから、市内の保育園へ。今日は年末恒例のライオンズクラブのクリスマス訪問。日程が合わなかったために今日のグループに交替してもらっての参加だった。
 9時30分、サンタ・クロースの衣装に着替えて園児の待つ会場に入場。プレゼントを配り、いろいろな質問に答え、園児の歌の披露、記念撮影などをして最後はダンスをして交流した。0、2歳児はやっぱりサンタとの遭遇で泣く子もいたが、帰る時には笑いながら手を振ってくれていた。次のこども園では別のメンバーがサンタ役。メンバーの腹話術やマジックはこのこども園でもうけていた。
 午後2時には登庁。政調会長室で来客、電話連絡などをして4時前まで執務。4時から神戸市内で兵庫県測量設計業協会との意見交換会に出席した。今日は昼前から雨が降り出し、弱い雨だったが、夕方まで降り続いた。
 

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午前は加東、午後は県庁、私学振興議連も

2018年12月20日 04時21分53秒 | 日記
 19日(水)、朝、といっても夜明け前、忠魂碑、佐保神社、大師殿のコースを歩いた。冬らしく、手や耳が冷たくなった。その後、登校見守りに立つ。21日が終業式なので、今年の見守りもあと2日になった。写真は、忠魂碑のある明治館の広場から東の空を見た景色。
 9時30分、事務所に地元加東市の区長さんと役員さんがお越しになり、要望書を受ける。少し懇談したあと、加東警察署へ。署長さんに面会し、地区住民の署名と要望を伝えた。
 11時、東条西小学校に寄り、来年1月の県庁見学の資料を届けた。登庁したのは12時だった。
 午後は政調会長室で執務。議会事務局はじめ当局からの報告や協議を行った。
 4時から私学会館で行われた兵庫私学と県議会私学振興議員連盟との意見交換会に出席した。兵庫県内の市立中高の理事長、校長との意見交換では、少子化の中での兵庫県の公教育、公立と私学のあり方等について報告や提言に基づき、熱心な議論が行われた。県内には52校の私学があり、建学の精神にもとづいて特色ある教育を行ってきたが、少子化の進行とともに経営、教育環境の整備等厳しい状況が続いている。こうした中、公立との協調、役割分担などを考え直していかなければならないのは確かだ。出席議員の中で、私を除いて全員が私学のある地域の議員だった。無理を承知で、北播磨に進出して魅力ある教育を行って地元はもちろん都市部の生徒を呼んでくるようなことはできないかと提案するも、あとで「それは無理です」との返事だった。
 

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今日も県庁で-警察常任委 水土里のふるさとフォーラムなど 

2018年12月19日 04時10分31秒 | 日記
 

 18日(火)、朝の登校見守りに立ち、事務所に寄ってから県庁に向かう。9時30分過ぎには登庁。政務調査会長室で副会長らと打合せ。
 10時30分、警察常任委員会が開かれた。報告に続き、閉会中の継続調査事件として「住民に身近な地域警察活動の推進について」調査した。説明に続き質疑が行われた。私からは、レディースサポート交番、若手警察官の実践講座について質問した。住民に最も近いところで活動する警察について、駐在所、交番相談員等々の質問が相次いだ。
 12時30分、県公館で開催された「水土里のふるさとフォーラム」に同僚議員等と出席した。オープニングで南あわじの人形浄瑠璃の「戎舞」が演じられた。戎様が酒を飲み、最後に大きな鯛を釣り上げるものでめでたい演目だった。式典では、井戸知事の挨拶に続き、みどり豊かなふるさと大賞が知事、委員長から各部門で素晴らしい成果を挙げたグループ、組織に贈られた。
 13時30分、自民党県連本部での会議に出席。そのあとも県庁で執務した。今日の県議会は少し騒々しかった。樽谷議員(無所属)が妻への暴力事件で県警に逮捕されたという報道が出て、農政環境常任委員会に出席していた同議員に対してマスコミ関係者の取材があったということだった。
 午後3時30分頃には退庁し、加東市へ戻るところだったが、突然歯の調子が悪くなり、そのまま歯科医へ直行。治療をしていただいた。ついでに掛かり付けの診療所にも寄って血液検査をしてもらった。元気ではあるが、健康第一。予定を変更した。
 

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県庁で一日-執行部会や文教部会

2018年12月18日 04時39分37秒 | 日記
 17日(月)、朝、登校見守りに立ち、事務所に寄ってから濃い霧の中、県庁へと車を走らせた。9時30分登庁。10時から自民党県議団執行部会。今日が平成30年最後の執行部会となる。来年2月までのスケジュールや2月議会の代表・一般質問者などについて協議を行った。
 10時30分から総務、産業労働、建設、文教の4つの委員会が開かれ、閉会中の調査事件について調査を行った。私の所属する警察常任委員会は明日なので、政務調査会長室で執務。午後1時30分から自民党県議団文教部会が開かれ、出席した議員らの熱心な質疑が行われた。その後も政調会長室で執務。議会事務局や企業庁、警察本部などひっきりなしに出入りが続き、最後は教育委員会。気がついたら外は暗くなっていた。
 今日、来年1月に県庁見学にやってくる加東市立東条西小と見学スケジュールの調整を行った。4年生14人が県議会の議場見学をする予定だ。

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今日も加東で一日

2018年12月17日 05時03分48秒 | 日記
 16日(日)、今日も自宅と事務所を往来しながら、年末の作業を行った。「まほろばwith臨時号」や写真の送付状作成など。臨時号では、「30年回顧」の項目を選んだ。兵庫県150周年、自民党県議団政調会長就任、兵庫県議会ワシントン州友好55周年訪問団、12月議会での代表質問、行革特別委・決算特別委の委員など歴史的な節目となる出来事が続いた。
 夜、NHK大河ドラマ「西郷どん」を視た。この一年、毎週楽しみに視ていた。明治維新150年の今年、維新の原動力だった西郷さんはじめ志士の生き方が幕末当時の情勢の中でよく描かれていたためだ。尊敬する西郷さんの戦略家としての「凄さ」、それは、随所に出てくるが、しっかり描かれていたと思う。鈴木亮平くんがだんだん西郷さんの似てくるのでそれも楽しみだった。最終回の城山での政府軍との奮戦場面と西郷さんの最期。「晋どん、もうここらでよか」と介錯を頼む場面がいつでてくるかと視続けたが、違っていた。西郷さんが城山で朝日がさす東方、すなわち明治天皇のおわす方角に向かって座り、別府晋介の介錯で最期を遂げる、それが大西郷の最期だと信じてきたので、ええっ、違うやないか、と思った。永遠の維新者西郷隆盛。西郷星も描かれていた。なのに、なぜ、最期が違っていたのか分からないが、「晋どん、もうここらでよか」の言葉のうち、「もうここらでよか」だけがドラマのしめくくりで活かされていた。

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