神戸新聞5月9日付北播版に「東条の道標歩いて調査」「巡覧記を出版」という見出しの記事が掲載されている。紹介された「東条の道標巡覧記(めぐりき)」は、「東条の歴史を掘り起こそう会」が旧東条町内に残っている道標をくまなく調査してまとめた研究誌である。
今手元にその「巡覧記」がある。A4判205ページの冊子。「掘り起こそう会」の中心、邦近さんから編集発刊に至るこれまでの調査研究のお話を聞かせていただいた。また、もうお一人の飯尾先生には、やしろ歴史民俗の会で「掎鹿里散歩」という題で東条の歴史、道標などのお話を聴かせていただいたことがある。このお二人は、昨年の秋、とどろき荘で東条の歴史の展示発表をされた時にも懇切に説明をしていただいた。
私が道標に興味関心を抱くようになったきっかけは、社の故・上月輝夫先生から道標についてのお話を伺ってからである。その後、平成18年度に滝野東小学校で総合学習を担当し、ふるさとの歴史学習の教材研究のために校区内を調査するなかで、道標や道路元標との出会いがさらに想いを強めることになった。
今では、市内を車で走る際に目にとまった道標を記録し「ふるさと加東の歴史再発見」と題したブログで紹介し続けている。そんなことだから、今回、「東条の道標巡覧記」が発刊されたことを知り、早速邦近さんをお訪ねしたという具合である。
巡覧記によれば、道標ははじめは棒杭、江戸中期から石造へと変化していったらしい。市内の古い道標はやはり江戸中期のものだ。そして寺社巡礼道や街道の分岐点に建てられたものだが、道標のある道は昔から多くの人々が往来したことを今に伝えるものである。今は村中の細い道だが、かつては人は勿論物資や文化が往来した幹線道。京街道、大阪道、高砂街道、巡礼道・・・。道標をながめていると往時のにぎわいが彷彿として浮かんでくる。今は斜めに傾いたり、道路工事で向きが変わっていたり、アスファルトで半分埋まっていたりと往時のままではないが、踏ん張って歴史を伝えてくれている。アスファルトを破って成長した大根が人気者になったが、私は道標にこそそんな根性、元気を感じる。
地域の歴史を掘り起こすという作業は、地域の過去の記憶を蘇らせるということであり、この地域に生きる私たちの根の部分を知ることでもある。根が痩せれば地上部分も衰える。根がしっかりすれば元気が出る。植物も人間も同じだと思っている。地域史研究の意義はそこにあるのではないだろうか。「巡覧記」の道標の項を読みながらそんなことを思った。