百聞百見

ふじもと百男の政治活動日記

道標巡覧記-貴重な地域史研究

2008年05月31日 05時10分16秒 | インポート

 神戸新聞5月9日付北播版に「東条の道標歩いて調査」「巡覧記を出版」という見出しの記事が掲載されている。紹介された「東条の道標巡覧記(めぐりき)」は、「東条の歴史を掘り起こそう会」が旧東条町内に残っている道標をくまなく調査してまとめた研究誌である。

 今手元にその「巡覧記」がある。A4判205ページの冊子。「掘り起こそう会」の中心、邦近さんから編集発刊に至るこれまでの調査研究のお話を聞かせていただいた。また、もうお一人の飯尾先生には、やしろ歴史民俗の会で「掎鹿里散歩」という題で東条の歴史、道標などのお話を聴かせていただいたことがある。このお二人は、昨年の秋、とどろき荘で東条の歴史の展示発表をされた時にも懇切に説明をしていただいた。

 私が道標に興味関心を抱くようになったきっかけは、社の故・上月輝夫先生から道標についてのお話を伺ってからである。その後、平成18年度に滝野東小学校で総合学習を担当し、ふるさとの歴史学習の教材研究のために校区内を調査するなかで、道標や道路元標との出会いがさらに想いを強めることになった。

 今では、市内を車で走る際に目にとまった道標を記録し「ふるさと加東の歴史再発見」と題したブログで紹介し続けている。そんなことだから、今回、「東条の道標巡覧記」が発刊されたことを知り、早速邦近さんをお訪ねしたという具合である。

 巡覧記によれば、道標ははじめは棒杭、江戸中期から石造へと変化していったらしい。市内の古い道標はやはり江戸中期のものだ。そして寺社巡礼道や街道の分岐点に建てられたものだが、道標のある道は昔から多くの人々が往来したことを今に伝えるものである。今は村中の細い道だが、かつては人は勿論物資や文化が往来した幹線道。京街道、大阪道、高砂街道、巡礼道・・・。道標をながめていると往時のにぎわいが彷彿として浮かんでくる。今は斜めに傾いたり、道路工事で向きが変わっていたり、アスファルトで半分埋まっていたりと往時のままではないが、踏ん張って歴史を伝えてくれている。アスファルトを破って成長した大根が人気者になったが、私は道標にこそそんな根性、元気を感じる。

 地域の歴史を掘り起こすという作業は、地域の過去の記憶を蘇らせるということであり、この地域に生きる私たちの根の部分を知ることでもある。根が痩せれば地上部分も衰える。根がしっかりすれば元気が出る。植物も人間も同じだと思っている。地域史研究の意義はそこにあるのではないだろうか。「巡覧記」の道標の項を読みながらそんなことを思った。

 


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武道の必修

2008年05月30日 05時59分17秒 | インポート

Photo_25月25日、加東市滝野総合体育館で第36回中兵庫剣道大会が開催され、丹有、北播磨、神戸地区などから多くの団体(道場)、小中学生が参加した。久保大会委員長によれば、最初(昭和48年)は、社、三田、西脇の3団体の合同練習から始まったという。その後、次々と各地の団体が加わり今日の規模になったそうだ。

 ところで、今回の教育改革の流れの中で、武道が中学校体育の授業で必修となった。これからは全員が武道を学習することになったわけである。うらやましい限りだ。戦後60年の間、学校教育の中で我が国の伝統の武道が「必修」でなかったことの意味を考えると、やはり戦後教育が敗戦、占領下、日本の伝統否定の枠組みから出発したことにを思い起こさざるをえない。私自身、剣道をする機会がなかったわけではないが、学校教育の中では教えられることもなく縁遠かった。高校時代に柔道と空手を少し経験したのみ。大人になって居合を学ぶ機会を得て、武道のよさを実感することができた。

 今、「和文化教育」が各地で取り組まれている。音楽、武道などでこれまで余り取り上げられていなかった日本伝統の音楽や楽器、武道その他幅広い分野の学習を授業の中に取り入れていこうとするものである。大いに期待したい。身体を使うことを通じて、その精神文化を自然な形で学ぶことができるという点でも大きな意味があると思う。

 去年、文教常任委員会の管内調査で、三田松聖高等学校を訪問した。この学校では茶道を正課に位置づけて、生徒に茶の心、礼儀作法を教えていた。日本の伝統文化、精神を学ぶカリキュラムがきちんとした考えに基づいて組まれ、実施されことに感動した。本来、日本の子どもたちはこうした学習環境の整った学校で学ぶことができていなければならなかったはず。

 


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陸上自衛隊青野原駐屯地

2008年05月29日 06時07分06秒 | インポート

Photo  5月25日、陸上自衛隊青野原駐屯地創設32周年行事に出席した。式典、観閲、訓練展示等、精鋭部隊のきびきびとした動き、装備に頼もしさを覚えた。

  この行事は自衛隊と地域住民を結ぶ機会の一つで、当日も多くの人が参観に訪れていた。私も今回は議員として来賓席から見せてもらったが、子どもが小さかった頃はよく連れてきて訓練を見せたり射撃などのゲームで楽しませてもらった。

 私は地元にある自衛隊を「地域人材の活用」(人材は人や専門機関、組織も含めて)という観点から、学校教育のさまざまな場面で学習に活用させてもらうことがよいのではないかと思っている。中学で社会科を教えていた頃、公民的分野の学習で、自衛隊の組織、活動等を自衛隊広報ビデオを借りて視聴させたこともある。自衛隊の活動の中でも災害救援出動は我々住民の生活にも身近に感じているところであり、そうした点からも総合学習、防災学習等で自衛隊の災害救援部隊の活動や装備などを直に体験しながら学習する機会を設定していくことがよいと思っている。

 小中学生の自衛隊駐屯地見学、体験学習という駐屯地の地元であるという条件を活かした学習が展開されれば、今よりさらに自衛隊への関心や認識が高まり、災害活動等でもスムーズな協力関係が築けるのではないだろうか。今回も訓練展示をぜひ小中学生にも見学させたいと思った。

 

 


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ふるさと史の編集

2008年05月22日 04時52分29秒 | インポート

 手元に「新町の記録」と題したA4判240ページの冊子がある。加東市新町の大久保利政さんからいただいたものだ。この冊子発刊については、すでに神戸新聞(20年1月9日付)に紹介されている。

 私は教員生活の最後の一年(平成17年度)を新町にある滝野東小学校で勤務した。平成18年3月には加東郡三町が合併して加東市になったため、滝野町立として最後の年度となると同時に、加東市立として最初の年度という節目でもあった。私は3年から6年までの総合学習を担当し、6年では「未来に伝えたいふるさと滝野の歴史遺産」、また、4年では「加古川舟運物語」と題したふるさとの歴史学習をした。その学習の過程で、新町の歴史を大久保さんや尾縣斎(故人)さんらから教えていただいたという関係があった。

 平成17年は、ちょうど新町という町が開かれて400年という千載一遇の大きな節目の年にあたり、地区では開村400年を祝って記念事業が企画された。新町のように村の起源がはっきりしていることは稀である。加古川舟運の町として政策的につくられたということがこの町の歴史を特徴づけるものになった。

 「新町の記録」には、そうした町の歴史が貴重な史料とともに見やすく記されている。中でも、大正末期の町並みの地図、滝見橋の架設に至る経緯、新町屋太鼓の購入話、愛宕神社の建立についての仮説などは興味津々の内容で充実している。尾縣さんもこうした新町の歴史を情熱的に語っておられた。大久保さんは編集後記に冊子編集の動機を次のように書いておられる。「先人の歩んできた道のりを少しでも多くの皆さんに知ってもらいたい、また、伝承してもらいたい」と。尾縣さんも「子どもたちが大きくなってよその土地に出ても、胸を張ってふるさとのことを話せる人間になってほしい」と語っておられた。

 歴史は単に積み重ねられてきた時の流れではない。語られ、或いは記述された過去の記憶の積み重ねであると思う。大久保さんのように誰かが記録し伝えなければ消えてしまう。尾縣さんのように絵に描き、語らなければ消えてしまう。お二人に共通するのはふるさとへの深い想い、未来を担う子どもたちへの強い愛情と期待である。

 地域の歴史は、自分と直接つながる身近な過去の記憶である。そこには血のつながる人々や今も身の回りに存在する景観や遺物、遺跡などが確かに存在する。教科書には記述されていないかもしれないが、地域の歴史は自分というものの存在を縦の時間の流れの中に確かに位置づけてくれるものである。人間はそうした身近な地域の歴史(文化や伝統を含め)の中に根を張ってこそ、人間として強く生きていけるのではないだろうか。自分の身近な地域を通り過ぎて一挙に国の歴史や世界史に根を張ることはできないだろう。自分を歴史的な存在として実感できるのは、やはり先祖の話であったり、もう少し広げて地域の先人の生きたあとの話ではないだろうか。地域の先人の生き方に感動したり、尊敬したり、労苦に感謝したりすることで情緒も育っていくと思う。そういう意味でもふるさとの歴史を子どもたち(子孫)にしっかりと伝承していくことは大切である。

 「新町の歴史」が編集されたということは、まさに「新町の歴史」がそこに記述され、語られ、歴史として記録され、伝承されることを意味する。このような歴史本を持てた新町は幸せだと思う。地域の活性化の方策はいろいろあるだろうが、基本は地域のことをよく知ることからだ。そんなことを思った。


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竹島はわが国固有の領土

2008年05月21日 06時04分10秒 | インポート

 5月19日付産経新聞に「竹島は日本の領土」「中学社会科指導要領解説書明記へ」と題した記事が掲載されている。これによれば、平成24年度から前面実施される中学校学習指導要領の解説書に、竹島を「わが国固有の領土」と明記する方針を固めた、という。これにより、新指導要領下で編集される新教科書に影響を与えそうだと報じている。

 では、これまで教科書には明記されていなかったのか。扶桑社の新訂版「新しい公民教科書」(平成17年版)のグラビア3ページ「わが国周辺の問題」には北方領土、尖閣諸島、そして竹島の写真が掲載され、「韓国が不法占拠している竹島」のキャプションが入っている。さらに教科書本文では、「主権国家」(国旗と国歌)の項で、「わが国も近隣諸国との間で領土問題を抱えている。国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島の北方領土、日本海上の竹島、東シナ海上の尖閣諸島については、それぞれロシア、韓国、中国がその領有を主張し、一部を支配しているが、これらの領土は歴史的にも国際法上もわが国の固有の領土である」と明記している。

 また、この教科書の指導書(教師が指導のために参考にする)では、学習資料として、竹島に関する次の説明が示されている。

 島根県隠岐島の北西の日本海に東西2島からなる竹島がある。面積は東京の日比谷公園とほぼ同じ。1905年(明治38)に日本領とされ島根県に編入された。しかし、敗戦後の1952年(昭和27)に韓国が「李承晩ライン」(当時の大統領李承晩が公海上に設けた韓国海域)を一方的に宣言して韓国側に竹島を取り込んでしまった。さらに1954年には韓国が武力占拠して灯台を設置した。これに対して日本は国際司法裁判所へ訴えようとしたが、韓国が拒否したままになっている。現在、竹島(韓国では独島とよんでいる)には韓国の警備隊が常駐し、大型船の接岸できる埠頭も建設され、韓国からの観光客が渡れるようになっているなど、実効支配を強めている。このような状況に対して、島根県議会は竹島が島根県に編入されてから100年目にあたる2005年に「竹島の日(2月22日)」条例を可決して話題になっている。

 このように「竹島は日本の領土」と教科書本文に明記し、さらに実際の指導に於いては、北方領土や尖閣諸島ととも竹島はわが国固有の領土であるという指導ができるように工夫された教科書がすでにあることも知ってほしい。


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市木、市花の決定に思う

2008年05月19日 18時30分20秒 | インポート

 加東市の市木は桜、市花はコスモスと決まった(5月1日付)。市木、市花といったものは、その市の特色を端的に表すシンボルのようなものである。桜の木が選ばれた理由は「一斉に咲き誇る様子が協調と活力を連想させる」「市が誰からも愛されるように」というこれからのまちづくりへの思いも込められていたようだ(神戸新聞)。思いだけでなく、市内には播磨中央公園の桜の園、千鳥川の桜堤公園をはじめ、清水寺や東条湖畔など桜の名所が多いのも確かだ。よく知られた名所だけではなく、あの桜、この桜と寺社の境内、学校の校庭、沿道の一本一本の桜の木が市民の脳裏に記憶され、親しまれている。また、旧町時代に市民のボランティアで植えられた桜も大樹に育って咲き誇っている。

 桜は日本人の心の花でもある。本居宣長が詠んだ「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の歌が浮かんでくる。ことに今年の春は桜の花が長い間咲いて私たちの心を楽しませてくれた。そんな日本人の心の花が市木に選ばれたことによって、これまで以上に桜への愛着、桜にまつわる日本の文化への関心や、自然を大切にしようとする姿勢が高まることを期待したい。

 近頃、殺人や自殺などの事件報道、あるいはモラル低下の話が流れるたびに日本人の心、情緒がいよいよ壊れているという感じを強く持つ。そんな社会だからこそ、日本人の心の原点ともいうべき桜が市花に選ばれたことはよかった。これを何としても加東市のまちづくり、人づくりに活かしていきたいと思う。

 市花はコスモスが選ばれた。桜の花も高得票だったようだ。コスモスは秋桜という。「花言葉は調和」(神戸新聞)だそうで、豊かな自然と人々の生活が調和したまちづくりをめざす思いがこもっているといえるし、純真や真心といった花言葉もあり、温かい心の通うふるさとづくりにピッタリの花だ。

 環境と人間の調和。これは21世紀の人類の課題でもある。このふるさとで育つ子どもたちが、桜とコスモスを通して、ふるさとやこの国の歴史・伝統・文化に関心をもちながら、自然と人間のより豊かな関係を学んでいけるようにしたい。市木、市花の制定が私たちの文化(=生き方)にどう絡ませていくのか、これからの楽しい課題ではないだろうか。

   


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地域防犯について

2008年05月07日 10時53分51秒 | インポート

 愛知県で女子高校生が下校中何者かによって殺される事件が起きた。報道によれば事件の前から不審者の出没や類似の事件が発生していたようである。

 小学生の登下校は通学経路、時間帯などがほぼ決まっていることや地区別、学年別の集団登下校の体制がとられ、これに合わせて地域の見守り体制ができており、ある程度安全が確保されるようになっている。それでも地域防犯ネットには不審者情報が飛び込んでくる。車で近寄ってきて、声をかけたり、写真を撮るなどの行為をしており、今回の殺人事件発生地域でも類似の事案が発生していたという。

 そこで心配なのは、中学生や高校生の通学の安全である。小学校とは違い、遠距離の自転車通学、部活動などで下校時刻が遅くなるなどの通学実態がある。今回同様、街灯も人気もないところを一人で下校している生徒は多いはず。特に郊外、農村部ではそんな場所はいくらでもある。女子生徒が一人で暗がりを徒歩や自転車で下校している姿を見かける度に気掛かりになる。

 対策として学校ができることは、明るいうちに帰宅できるように下校時刻を設定すること、集団で下校するよう地区別生徒の確認、通学経路が明るく人気のある道路であるかどうかの確認、不審者情報などは生徒集会や学級担任、部活動顧問などから伝え、十分に注意を喚起しておくことなどが考えられる。おそらくどの学校でも既に取り組まれていることだろうが、生徒自身が「安全」を常に意識し、自らが安全を守るという自覚を持つことが先ず大切なことだ。さらにそうした場面に遭遇したときの適切な対処の方法を具体的に訓練しておくことも必要である。例えば「大声を出す」といっても実際にふだんからそうした訓練をして身に覚えをつけておかなければ咄嗟に出るものではない。

 私はほぼ毎朝近所の学校道で小学生の登校時の30分間見守りに立っている。中高生も自転車で通るので声をかけるが、その中に隣の市にある学校まで、10㎞近くの距離を自転車通学している高一の女の子がいる。親御さんも心配だろう。いろいろ対策をとっておられるらしいが、それでも自転車で通うしか方法がないとすれば、未然に事件を防ぐ手だてを警察、地域、保護者、学校が連携をとりながらできることから確実に行っていくしかないと思う。

 警察のパトカーや地域防犯の青色パトカーの巡回は大きな抑止力になると思うし、やはり地域の人の目があることが大きな力となるはず。いつもの決まった時間に防犯マークを帽子やジャンパーを着た人が地域の中を動いている。そうした防犯ネットワーク体制がきめ細かくなっていけば事件の防止につながるのではないだろうか。街灯、防犯灯の整備はもちろんで、犯罪者が潜む暗がりをなくしていくことも大切なことだ。

 連休明けの今朝、小学生や中高生が元気に登校していく姿に「いってらっしゃい」と声をかけて見守りながら、地域防犯のあり方について考えた。

 


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新緑の好季節にふるさとの自然と伝統を実感

2008年05月06日 05時39分47秒 | インポート

Photo  4月の末から5月始めにかけては、透き通る青い空、萌えあがる新緑のまぶしさ、そして野山を渡る風に包まれて、自分も大自然と一体となって新しく生まれ変わっていくような新鮮爽快感に浸ることができる。

 加東市では5月3日に花まつり・鮎まつりが、5日のこどもの日には朝光寺鬼踊りが行われた。好季節に美しい自然と伝統の祭。ふるさとのよさを実感できる幸せに感謝の気持ちが湧いてくる。

 花まつり鮎まつりは、滝野の闘流灘周辺と五峰山光明寺を結んで開かれ、稚鮎の放流や夜の花火大会が人々の心を楽しませてくれる。今年は「加東よしよし音頭」と応援歌「勇躍加東」の発表と作詞者の表彰式も行われ、早速音頭に合わせてつくられた踊りが披露された。社、滝野、東条と合併前の3町にはそれぞれ音頭があり、去年の盆踊りでは3つの音頭が流れていたが、今年の夏は「加東よしよし音頭」で歌も手振りも一つの加東となるのが楽しみである。また、応援歌は人々の心を奮い立たせ、一つに結んでくれる歌だ。「勇躍」の題名の通り元気が湧き出る歌詞とメロディーで、加東の躍進を約束してくれるようである。

 新しいふるさとの姿とともに歴史を伝えるものがある。例えば、闘流灘を見下ろすように立っている高瀬舟の航路を開いた阿江与助像。高瀬舟は大正時代に播州鉄道が開通するまで瀬戸内と内陸を結び物資や文化を運ぶ動脈だった。また、すぐ近くには加古川の漁業権を示す姫路藩の碑も立っている。鮎漁も「かけい漁」などの伝統漁が行われていた。さらに対岸の新町は約400年前につくられた高瀬舟の河岸の町である。

 5日のこどもの日は朝光寺の鬼踊り法会が行われた。国宝の本堂、重要文化財の鐘楼、県指定文化財の多宝塔など境内は歴史的価値の高い建造物ばかり。本堂の前に設けられた舞台で青鬼や赤鬼が松明、剣などを手に鐘の音、リズムに合わせて舞う。単調だが、鬼の面や動きに表情を感じ引き込まれてしまう。

 合併して一つの市が誕生して3年目を迎えている。それまで足を運んだことのなかった祭に行ってみたという人も多い。ふるさとの自然や伝統、歴史をこうした機会に少しずつ体験し、共有していってやがて一体感ができあがっていくのだろう。


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