ふうるふうる・たらのあんなことこんなこと

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市民の力で脱原発を果たしたドイツの市 1/2

2013-03-23 10:23:40 | 原発

中浦和“ふうるふうる”のたらです。
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 「通販生活」2013年春号の記事に、森まゆみさん取材の「市民の力で脱原発を果たしたシェーナウを訪ねて。」という記事があります。
 できるんだよ、脱原発。
 ドイツと日本じゃ状況や環境が違うと言う人が必ずいるけど、日本でも知恵を使って実行していけばできるんじゃないの? という意味で抜粋して2回に分けて紹介します。

 チェルノブイリ事故のあと、シェーナウの住民が子どもの未来を守るために「親の会」をつくって活動し、地域に再生可能エネルギーを供給する市民の電力会社を作ったというドキュメンタリー映画「シェーナウの想い」を見た森さんは、「原発は怖い、という映画をしこたま見た後、この映画は一番希望の持てる明るい映画だった」と書いています。
 そして2012年10月、取材にゴー。
 取材対象は、市民運動の先頭に立ったウルズラ・スラーデックさん。もとは小学校教師で60代なかば、5人のお子さんがいます。

 チェルノブイリ事故のとき、上が13歳で、下が5歳でした。放射線がどのくらいどういうふうに飛んでくるのか心配で、外では遊ばせなかったし、庭の砂場は砂を入れ替えました。新鮮な野菜も食べられなくなって冷凍食品や缶詰を買っていました。

 チェルノブイリ事故当時、政治家が何かをしてくれるかと思ったのですが、物事はいい方に動かなかった。
 『親の会』ははじめは10~15人ほど。子どものいる夫婦が中心でメンバーの家で集まっていましたが、子どものいない人や独身の人も次の世代のことを考えて参加するようになりました。

 (フランスのフェッセンハイム原発からは30キロもない場所なので)風はこっち向きに吹くし、何かあったら危険このうえありません。それなのに原発のことにそれまでは関わって来なかった。原発とはどういうものかすらわかっていなかった。 夫のミヒャエルは医者ですから、チェルノブイリを特に深刻に受け止めていました。
 親が行動する姿勢を見せなければいけないと思いました。
 そのころ40%は原発による電気を使っていましたから、その分の電気を使わないようにしようと。
(節電コンクールを始めたが、それ以上動くと妨害された)
 私たちの地域の電力会社であり、原発にもお金を出しているKWR(カーヴェーエル)に、①原発でできた電気を使わないこと、②ソーラーなど住民の作ったエコ電気をちゃんとした価格で買い取ること、③電気を使えば使うほど安くなる料金体系を見直すこと、を求めました。でも簡単に拒否された。そこで、そうだ、送電線を買っちゃえ、きれいな電気を流して売ろう、と誰ともなく言い出して、みんなできるような気分になった。


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