武蔵浦和“ふうるふうる”のたらです。
(↑これをクリックするとホームページに行きます)
芦原すなおさんの文章、好きです。
●「私家版 青春デンデケデケデケ」より
「甘えたいときは甘えたらえんじゃが(いいのだよ)。年がら年じゅう切磋琢磨ばあーっかししよったら、お互いすりちびてしまうわい」
●「雨鶏」より、主人公・山越と卒業論文の指導教授の“文学”に関する会話
(これは「青春デンデケデケデケ」の続編のような作品です)
教授「君は学問がやりたいのか?」
山越「滅相もない」
教授「だったら、そんなことは君とは別の愚物にまかせておけばいい」
山越「先生は学問がお嫌いだったのですね」
教授「嫌いだね」
山越「ほお!」
教授「文学は学問じゃないからね」
山越「じゃあ、なんでしょうか?」
教授「遊びだよ。わしの研究――と一応呼んでおくが――は、作品をより面白く、楽しく味わうためのもので、それ以上でも以下でもない。だから遊びというのだ。教養だの、思想だの、倫理だの、主義だのといったもので勿体ぶって文学を飾り立てるのは、結局のところ貧乏根性だね。わしはそう思う。何かのためにならないと、そのものは価値がないという根性だよ。だったら文学などといった、もともと無用無価値のものを相手にすることはないんで。君は卒論で学問何かしなくていい。どれだけ面白い思いをしたかを書けばいいんだ」
山越「研究書などは読まなくてもいいと?」
教授「面白い研究書はめったにない」
山越「なるほど」
教授「つまんないと思ったら、上手投げで投げ飛ばせばいいんだ」
山越「ははあ」
教授「人のいうことを鵜呑みにするなよ。定評などあてにはならん。『必読の書』なんてものはこの世にはないんだ。『必読』という言葉自体が傲慢だよ。世界はね、一人の人間には及びもつかないくらい多面的なんだよ。見くびってはいけない」
“貧乏根性”たぁ、いいねえ。こんな教授に教わってみたかったねえ。
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●「私家版 青春デンデケデケデケ」より
「甘えたいときは甘えたらえんじゃが(いいのだよ)。年がら年じゅう切磋琢磨ばあーっかししよったら、お互いすりちびてしまうわい」
●「雨鶏」より、主人公・山越と卒業論文の指導教授の“文学”に関する会話
(これは「青春デンデケデケデケ」の続編のような作品です)
教授「君は学問がやりたいのか?」
山越「滅相もない」
教授「だったら、そんなことは君とは別の愚物にまかせておけばいい」
山越「先生は学問がお嫌いだったのですね」
教授「嫌いだね」
山越「ほお!」
教授「文学は学問じゃないからね」
山越「じゃあ、なんでしょうか?」
教授「遊びだよ。わしの研究――と一応呼んでおくが――は、作品をより面白く、楽しく味わうためのもので、それ以上でも以下でもない。だから遊びというのだ。教養だの、思想だの、倫理だの、主義だのといったもので勿体ぶって文学を飾り立てるのは、結局のところ貧乏根性だね。わしはそう思う。何かのためにならないと、そのものは価値がないという根性だよ。だったら文学などといった、もともと無用無価値のものを相手にすることはないんで。君は卒論で学問何かしなくていい。どれだけ面白い思いをしたかを書けばいいんだ」
山越「研究書などは読まなくてもいいと?」
教授「面白い研究書はめったにない」
山越「なるほど」
教授「つまんないと思ったら、上手投げで投げ飛ばせばいいんだ」
山越「ははあ」
教授「人のいうことを鵜呑みにするなよ。定評などあてにはならん。『必読の書』なんてものはこの世にはないんだ。『必読』という言葉自体が傲慢だよ。世界はね、一人の人間には及びもつかないくらい多面的なんだよ。見くびってはいけない」
“貧乏根性”たぁ、いいねえ。こんな教授に教わってみたかったねえ。